妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

普通の日々

残暑見舞い

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残暑の厳しい折、皆様いかがお過ごしでしょうか。
暑いですね、本当に。
体調など崩されていらっしゃいませんか?
気を付けてお過ごしください。

そういう私は夏が嫌いです。
裸になっても熱いから。
馬鹿な理由ですみません。
夏耐久力が低いのです。
気力はあります、やる気もあります。ただ暑さと湿気に弱いのです。
(体調を崩すほどではありませんが)
今はただ、ひたすら秋が待ち遠しい…。

それではお仕事の人も盆休みの人も、それから学会員の人も(←社交辞令)、良い夏を。

業務連絡 その後



皆さん、ご報告ありがとうございました。
先日ドリコムさんに障害報告のメールをいたしまして、対応していただき、本日午後に復旧いたしました。
ネットの世界ではMacが時々仲間はずれにされることがあるのでw、Windowsな皆さんの報告は助かりました。
ありがとうございました。

……ということで、通常営業です。

業務連絡

http://hanagogo.blog.drecom.jp/archive/200の記事のコメント欄、5/22?24の午前までのコメント欄(ほしのさんからcrevidaeさんまでの7名の方のコメント)が私の環境(MacOS9/IE5.1とOSX/Safari)では無くなっています(もちろん、私自身が手違いなどで削除したわけではありません)。
それ以外の記事でコメント欄が多いものには同様の状態に。
どうやら、最新50コメント以前のものが無くなっているようです。
ところが、管理ページにログインして見るコメント一覧や、携帯電話(※)からは、全コメントがちゃんと存在しているのです。

Macだからなのか? orz

皆さんの環境ではどうでしょうか(Windowsなど)。
障害の問い合わせの前に他環境での状態を知りたいので、お気づきの点があれば、教えてください。
ご協力お願いいたします。


※ 報告が遅れましたが、携帯電話でこのブログが見られるようになってます。
  http://hanagogo.blog.drecom.jp/m/

ナゼなんだ!

創価学会には関係ないが、一サッカーファンでアンチカルトの立場としては、非常に気になる件
相手が相手だけに迷ったけれど、アップすることにします。長文、ご容赦。
(ヘンナノヤツラガヨッテキマセンヨウニ…)

記事中のURLは直リンしてませんので、コピー&ペーストでお願いします。
[その1]http://www.s-pulse.co.jp/news/20070529-223.html
[その2]http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070608-210090.html
[その3]http://www.nikkansports.com/soccer/p-sc-tp0-20070509-195960.html

日刊スポーツのサイト・6/8朝刊でも記事にある通り、Jリーグの清水エスパルスが韓国で行われるピースカップに出場することに関して、全国霊感商法対策弁護士会が出場を取りやめるように申し入れたというものだ。
その、ピースカップコリアなる国際大会の主催は、統一協会関連団体である「鮮文平和サッカー財団」。
この記事が出る以前から、2ちゃんねるの国内サッカー板の該当スレで「いかがしたものか」と経過を見ていたところだった。

言うまでもなく、未だに霊感商法の被害が絶えない統一協会。
病的な反日教育を含むと言われる教義、一方で右翼的だと言われる政治団体の顔も持つ。
「イベント」や「合宿」を利用したシステマティックな洗脳も行われていると聞く。
また合同結婚式は現在も行われおり、韓国へ「嫁がされた」女性は洗脳された故に無自覚なまま悲惨な目に遭っており、残されたご家族・友人の心痛は計り知れない。
合同結婚式については、以前の声明だが問題点がまとめられているので、下記。
全国霊感商法対策弁護士会
http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/index-j.htm
その他、紀藤弁護士のブログ内統一協会カテゴリ
http://kito.cocolog-nifty.com/topnews/cat390642/index.html
被害者家族の会
http://www12.ocn.ne.jp/~kazoku/
以前、このブログのコメント欄にも、近しい人が信者になってしまったという方がいらっしゃったと記憶している。

クラブからしてみれば、外国の強豪クラブと試合が出来るのは良い経験ではあるし、優勝した場合の2億4000万円もの賞金(Jリーグ優勝は2億、ナビスコカップは1億)も魅力である。
清水サポーターの中には、「強豪と対戦できるのは嬉しい」という意見(総意ではない)もあるようなのだが、そこはもう一歩踏み込んで考えてみて欲しい。
…だって、統一協会よ?あの統一協会よ?
上記にも触れたが、日本人をターゲットにし、霊感商法や勧誘の被害に遭わせ、洗脳でもって(この手の宗教の入信は自己責任とは言えない)財産を奪い人生を狂わしてきた、創価学会以上にタチの悪いカルト宗教。(でも、学会に苦しめられている人がいるので学会がマシだとは思わない)
記事の指摘の通り、その財団が主催する大会の運営資金や莫大な賞金の出所にも疑問であるし、何よりも青少年の育成に大きく影響を及ぼし公共の存在でもあるプロサッカーチームがそのような大会に出場して良いものなのかどうかも疑問だ。
何より、苦痛を受けている被害者・ご家族が日本に存在しているのだ。
打診を受けたのはエスパルスだけではないが、そのクラブは既に打診を断っているという。
そんな中でナゼなんだ!エスパルス!という気持ちが強い。
強豪クラブとの対戦経験と引き替えに、そういう財団と関わることで、今後不利なことになりはしないか。
そもそも主催側は日本のクラブチーム参加で一体何を期待しているのだろうか(見当はつくけど)。

ちなみにこの時期、日本ではナビスコカップが行われ、さらにアジアカップもある。
[その3]の記事では、アジアサッカー連盟は良い顔をしていないとある。
ナビスコカップが重なっているはずのJリーグは「参加を止める理由はない」とのこと。
ナゼなんだ!ナゼ理由がないんだJリーグ!
理由は十二分にあるとは思うが「主催団体がいかがわしいんでダメです」と言える立場にはないということなんだろう。
一方、マンチェスターユナイテッドが7月に予定しているアジアツアー(日本は浦和レッズと対戦)も、アジアカップと重なっている。
AFCはマンUに日程延期を求めているが、その件について日本サッカー協会の川淵氏が(このブログに二度目の登場のカワブッチ)「日本には直接関係ない、クラブの権利もある」との見解を示しているため、その論調で行けば「レッズはマンUと対戦していいけどエスパルスはピースカップに出ちゃダメ」とは言えないということになってしまう。
ただ、Jリーグの規約第4条の3で、「スタジアムに持ち込み禁止のもの」として「政治的、思想的または宗教的な主義、主張または概念を表示した横断幕他」とある。(http://www.j-league.or.jp/stadium/kanrikitei.html)
その手の横断幕持ち込み禁止ならば、問題のある特定宗教の関連団体が主催し、また特定宗教の誇示行為に繋がる危険のある大会に出場することは良いとは言えないのでは?
こういう前例を許すとなると、では国内で(例えば)創価学会が設立したスポーツ団体が主催する(例えば)「ガンジー・キング・イケダ・カップ」なるもろ宗教誇示色の強い大会が行われるとして、その団体がJリーグクラブの参加を打診しても断れないことになりはしないだろうか。(例えばね、例えば)
アジアカップとマンUのアジアツアーに関すると見解の整合性とは別次元の問題として考えて良い問題だと思うのだが。

[その2]の記事によれば、エスパルス広報部は「統一協会主催なら出場していない。繋がりがあるような話も聞いたが直結した関係とは認識していないので、出場する」とあるが、ニッカンスポーツの朝刊にはその記事の枠内に財団ではなく「統一協会・広報部」のコメントが出ている。
……しっかり直結した関係の団体のようですが……。
優勝チームには教祖からカップと賞金が手渡されるようですが……。
「認識してない」って、ちゃんと調べればわかることでしょう……。

ちなみに、統一協会側は「全国霊感商法対策弁護士会は、ある特定の政治的意図をもって発足した団体。彼らの主張は健全なスポーツ精神によって人種・国境・文化の壁を越え、世界の和合を目指そうとするスポーツの祭典に対するひぼうであり思想の自由に対する重大な侵害行為(6/8 日刊スポーツ朝刊より抜粋)」とのこと。
一体どこが誹謗なのか、この程度で誹謗とは。異議を唱える自由はあるのだが。
「大会を開催する自由」ではなく「思想の自由」という言葉を大上段に振りかざした時点で、そこに宗教・政治的意図があり、統一協会のプロパガンダとしての大会だと自ら宣言しているのと等しいのではないだろうか。
大きな国際大会が、友好やスポーツの発展だけでなく経済効果や国のアピールに繋がることは否めないが、それは不健全なことだとは思わない。
もちろん、参加する側も様々な価値観・宗教観の選手達が国やクラブの威信をかけて集まっている。
世界には、宗教団体が母体となっているクラブだってある。
だが、主催側に一宗教団体のなにがしかの意図や思惑が加わることは健全と言えるだろうか?
国や公共の団体が一般のクラブや外国の選手を募って公共のスポーツ大会やイベントを行う以上は、自らの思想性を持ち込まないことがその大会・イベントが健全なものかどうかを左右するのではないだろうか。
当然、宗教団体にスポーツ大会を開催する自由があると同時に、健全さを保つ責任があるはずだ。
公共の大会・イベントに宗教色を出すことは、いくら「人種・国境・文化の壁を越え、世界の和合を目指そうとする」とお題目を並べたとしても、その宗教のアピールにスポーツを利用することに繋がってしまう。
だが実際、ネット検索で2003年のピースカップを観戦した方の観戦記を見つけたが、やはり統一協会色の強い大会の様子がうかがえる。
前述しているが、優勝チームには教祖からカップと賞金が手渡され、その様子をおさめた写真が統一協会の雑誌に掲載されている。
そういった点からも、ピースカップは統一協会のための大会だと言える。
ところで、統一協会教祖の言う「全国霊感商法対策弁護士会の特定の政治意図」というのは、要は共産党系であると言いたいようで、統一協会教祖が設立した政治組織とも対立している。
共産党は政党としての支持はしないが、この件に関しては間違ってないと思う。
ただ、カルトに対峙する団体が、共産党系しかないのだとしたら、一体、日本ってどうなってるんだとしか言いようがない(問題が政治的対立にすり替わっていく危険がある)。
しかし、日本には言論の自由とインターネットがある。
それならば私が疑問の声を上げるぞということでこの細々とした拙ブログでこの記事を書いて問題提議してみる事に決めたわけでございますが(言論の自由なんで信者の苦情は受け付けませんよ。これは誹謗中傷じゃないですよ)。
もちろん、清水サポーターで参加に反対している方の中には、疑問の声を上げておられる方々も居ると思う。
……と、ココまで書いたが、大丈夫かな、私の身辺。
こんなしがないブログなのに、相手が相手だけに学会より怖いんですけどw

世界の強豪と戦う機会は、欧州クラブの親善試合ツアーや、リーグ優勝(天皇杯優勝)→ACL→クラブワールドカップという手段だってあるわけだし、清水エスパルスほどの強豪クラブならば、叶えられる目標でもあると思うのだけれど。
さらにもう一つ持ち上げておくと、清水サポーターの応援が好きだ。
本格的なサンバを取り入れたとてもリズミカルな応援で、つられそうになったり、聞いてしまったり、楽しくなってしまったりするのだ。
…他クラブサポーターなのにここまで褒めてしまったじゃないか!どうしてくれよう!
一サッカーファンたる私個人としては、辞退したほうが良いのではないだろうかと思う。
どう考えても悪影響のほうが大きすぎるし、強行すれば、被害者への侮辱に繋がる・社会的感覚が無い・道義的におかしいと言われても仕方がないように思うのだが。
上記にも書いたが、少し調べれば「参加するに相応しいか否か」ということが分かると思うのだが。
2003年大会ではドイツのバイヤーレバークーゼンとイタリアのASローマ、ブラジルのFCサンパウロが開催直前に参加辞退している(表向きはSARSという理由になっている)。
その他、ペレ夫妻が抽選会に参加したものの当初の滞在予定を繰り上げ早々に帰国、以後の大会の参加もキャンセル。
チケットに関してもトラブルが起こったと聞く。
一連の出来事は大会運営そのものにも、何かがあるように感じるのだが。

もしかして、上に書き連ねたことなんて言われなくてもとっくに分かっているけれど、大会辞退の違約金問題や、韓国代表選手が所属しているという理由以外にどうしても断れない理由があると言うことなのだろうか。


ところで。
2ちゃんねるの該当スレを見ていたら、こんなレスがあった。
「(大会に出られなくて、他サポは)嫉妬してるんだろう」(他サポが嫉妬するわけない。こんな事態に巻き込まれて大会に出ることを「羨ましい」とは思えない)
「日本の偉人もその教えに賛同している(以下政治団体繋がりの有名政治家の名前を羅列)」
「差別や偏見に負けるな」
本当に清水サポーターならばそういうことを言うとは思えない。
清水サポーターのレスを装った、どう考えても統一協会信者のレスなわけだが(釣りかもしれないけど)、……あれ、なんだこの既視感。
やはり発想が似るということだろう。
いえ、別に何がとか、どこの団体のこととは言わないけれど。
そういえば共産vs特定宗教団体という対立軸もなんだか既視感…。


追記:活動に反対している側は「統一協会」と使うようなので、統一教会から協会に表記を変えました。  6/12

前時代

年賀状の束の中の、新年らしからぬハガキが二枚。
外国の旅先で求めたとおぼしき絵ハガキ二枚に渡って、学生時代の友達の近況が綴られていた。
数ヶ月海外に居て、そこで陶芸を学んでいたこと。
帰国してまた働きながら、工房を開いたこと。
絵ハガキの空白部分にびっしりと、彼女の几帳面な文字が並ぶ。
湿っぽい陶芸室で粘土を練っていた彼女の、直向きな瞳を思い出した。
芸術を学びながらも、卒業した同窓生の多くは結局、普通の職を得た。
学生時代に学んだことを今でも続けているのは、私の思い当たる限り数人だ。
そして私は。
カンバスがMacのモニタに変わり、絵筆をマウスに持ち替え、芸術ではなく商業広告の世界にいる。
遠からず、しかし近いわけではない。
自分の表現したいもの、ではなく。
人が表現したいものの意図を汲んで広告を作るのが私の仕事だ。
だが、学生時代に描いた未来に居るわけではない。

私には画学生だった時代がある。
油絵の具の匂いの充満する教室が、私の世界だった。
木炭に手を汚しながら目の粗い紙に線や面を重ねていく。
木炭を消すために持参したはずの食パンを、時々口に放り込む。
高いとはいえ油絵の具をケチるわけにもいかず、バイト代で化粧品を買うよりも油絵の具を買った。
時々、コンサートで息抜きをした。チケット代を惜しまないのは今と変わらない。
鬱陶しい人付き合いを中途半端に拒絶しながら、絵筆を走らせた。
絵が好きで、そこに居た。
今にして思えば、「芸術」を表現できるほど、自分の中に強い力があったわけではないように思う。
一応「画家になりたい」と答えていたが、なれるとは心のどこかで思っていなかった。
単に凡人で終わる一生に抗いたかっただけかもしれない。
若さにありがちな思考だ。

そんな悶々とした日々を共に過ごしたのが、その前述の彼女だ。
彼女は私と同じ年だが一年遅れて入学してきて、私の数少ない友人のひとりとなった。
一度は違う道に進んだが、諦めきれずにという、そういう理由だったように思う。
逆にそういう理由で、同学年だが年上、という友人もいた。
そういう理由で入ってくるわけだから、熱意が俄然違う。
そこで彼女は陶芸と出会い、陶芸のコースに進んだ。
同学年だが年上な友人も同様に熱意が違うわけで、今も彼らは絵を職業としている。
そして、彼女も卒業しても陶芸を続けた。
まず焼き物で有名な土地で学び、それから郷里に帰った彼女は働いて陶芸窯を買った。
一番続けにくく手間のかかる類のものである。
それを今現在も続けるということは、海外にも学びに出るということは、学生時代の熱意は衰えるどころか燃えさかっているということだ。
彼女は陶芸が好きなのだ。

私は彼女が羨ましかった。
同じように悩みながらも、心に芯が一本通った、そういう女性だった。
私は自分に甘かったが、彼女は自分に厳しかった。
同じ年なのに、大人に思えた。
私は、教室で時間を過ごす日々の中で、絵を生業とする事には向かないと薄々と気付いていた。
生業とする覚悟も熱意も無かったと、今なら言える。
私にあるのはふにゃふにゃとした折れそうな芯。
卒業したらどうやって食べていこう。
それでもここまで来て普通に就職するのは嫌だった。無駄にプライドだけは高い。
何のために親は、私の我が儘を聞き、高い学費を出してくれたのか。
モラトリアムと片づけるにはあまりにも申し訳がない。
だが時間は刻々と過ぎていく。

ただ、私に出来たことがある。
よく友人と一緒にイベントなどで似顔絵描きブースを出し、小遣い稼ぎをしたのだが、友人達が「自分らしい」画風で描いていたのに対し、私は自分の画風を封じ「相手が喜びそうな」画風で描いた。
生業には向かないと分かっていながら未練たらたらの私には、友人達の画風が羨ましかったのだが、私の描いたもののほうが客には評判は良く、また私もそれを狙っていなかったと言えば嘘になる。
私が「自分の表現したいこと」よりも「相手がそれを見てどう思うか」ということを無意識に選んでいたと気付いたのは、実はごく最近のことだ。
当時はそれが分からなかった。
分からないなりに、私は学生時代最後の一年で、絵筆をマウスに持ち替えた。
すっぱり「芸術」に別れを告げ、完全に「就職」だけを考えてデザイン教室の扉を叩いた。
卒業したら、自分で稼ぐよう、親から通達されている。当然のことである。
何もしていないのに、まるで何かを諦めたような気分を一人前に感じてみながら、それでも親の援助でここに入ったことそのものを無駄にしないためにしたことだが、それがその後の私の人生を決めた。
基礎とMacの操作技術だけをさらって卒業。
仕事の中で学び、仕事に生かすために社会にある様々な物を見て聞いた。
会社が変わることはあったが、画家ではなく「デザイナー」となった私は今日もマウスを動かしながら、「相手がそれを見てどう思うか」を念頭に仕事をしている。
結果的に天職だと思えるようになった。
この立ち位置が過労働でワーキングプアまっしぐらな業界なのは、政界と経済界に小一時間ほど問いつめたいわけだが、それでも夫婦二人で暮らしていけている。
ふにゃふにゃだった芯は、働く中で揉まれて、プレッシャーと責任でそれ相応の太さと硬さになった。
凡人でいることに抗う気持ちは、もしかしたらまだあるのかもしれない。
それでも、歯車の名も無き部品のひとつとして社会を動かす一人となったことに、誇りを持っている。

やりたいことがあった彼女と、そうではなかった私だが、とりあえずそれぞれなんとかなっている。
今現在、手間のかかる仕事の分厚い資料を前に頭を悩ませている最中でもさほど迷いのない自分がいる。
この業界で、請われ続ける人間でいることが私の目指すところ。
彼女は、これからどう生きるのだろう。
結婚した時、彼女から夫婦茶碗をもらった。
彼女が作ったものではなく、彼女の師匠が作ったもの。
「私が作ったものをあげるには、まだまだ」と手紙に書いてあった。
自分に厳しい彼女の目指す道は険しそうだが、彼女は成しえる人だと思う。
卒業してから、住む土地は遠く離れている彼女には一度も会っていない。
旅行がてら会いにいくのも、良いかもしれない。
彼女のしていることを見て聞いて、昔のように自分の駄目な部分に照らし合わせて落ち込むのではなく、自分を奮い立たせる刺激に出来るほどには私は大人になっているはずだ。

…………多分。
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