妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

創価学会員の夫を観察

自由と責任

お知らせ
★2013.3.13 追記3
11日よりライブドアブログ全体で発生しておりました「NGワードとされる」「エラーで書き込めない」等のコメント投稿障害ですが、結局、復旧に2日かかっていたようです。
改めまして、巻き込まれた方がおられましたら、申し訳ありませんでした。

 Blogger Alliance お知らせブログ「[追記あり]コメント投稿の不具合について」
http://blog.blogpark.jp/archives/4416669.html

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2013年。平成25年。
あけましておめでとうございます。
昨年中も、当ブログをご愛顧いただき、
ありがとうございました。
本年もよろしくお願いいたします。

年末のどんさんは、私に怒られてました。
大掃除の途中で、私が必要なものを買い出しに行った隙に、ヤツは題目をあげてまして。
私が帰ってきたら、仏壇の前に正座して、見つかっちゃった!テヘペロ☆って顔をこっちに向けてました。
テヘペロ☆じゃねーよ、おっさん。
で、当たり前ですけど、進んでないですよね。
どんの担当分の掃除が。
そりゃそうですよね、掃除しないで題目あげてたんですからね。
福運ポイントは掃除代行にも使えませんからね。
まあ、怒られますよね、年末、やること多いのにね。
掃除を終えてからにしろと怒ってたら、悪かったとは思ったんでしょうね。
だったら素直に謝ればいいのに、罰の悪さを誤魔化すように何やら芝居がかって「心の自由を奪うつもりか」と、反論してきましてね、まあ、ボケてるわけですね、彼は。
チラチラ上目遣いでこちらを伺いツッコミ待ちする顔に、余計に腹が立ちまして。
ボケだろうがツッコミだろうが、この忙しい最中に、掃除は進んでないし。
「自由は責任を果たしてこそでしょうがアホか」と一応ツッコミはしておきましたが、素直に謝らずに無駄にボケたばかりに「忙しいのにアホか」と通常の三倍は怒られてました。
で、しおしおと掃除に戻っていきました。
って、ここまで書いて思い当たったんですけど、どんさんてば、なんだかんだで謝ってないな。
あんにゃろう…。

という一連の流れは、まあ、漫才のようなものといいますか、様式美といいますか(何も美しくないですけど)、深刻な夫婦喧嘩でもなんでもないんですけれども、でも腹が立たないわけじゃないですけど、でも怒ってばかりでもないですけど。

新年らしく良いこと書いてみようと思ったんですけど、どうにも私のように根が毒々しい人には無理でした!
仰々しいタイトルの内容が緩すぎなんですが、こんな感じで今年も楽しく!(楽しいのか…?)よろしくお願いします!




★2013.3.11 追記1
ライブドアブログ全体でコメント投稿時に障害がおこっていたようです(復旧済み?)。
巻き込まれた方がおられましたら、申し訳ありません。
お手数をおかけして恐縮ですが再度の投稿をお願いいたします。




★2013.3.11 追記2
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東日本大震災で、親を失った、行方不明、親が障害を負った等の子ども達のためのあしなが育英会の特別一時金、ケア活動の報告と募金のお知らせ。
http://www.ashinaga.org/higashi_nihon/entry-507.html
勿論、普段のあしなが育英会の活動にもご支援を。
http://www.ashinaga.org/

バリ活リテラシー

どんのバリ活時代の話です。


08024koma


本人はあまり覚えていないようですが、バリ活当時、同じ週刊誌の記事のうち、創価ネタは信じないけど芸能ネタはあっさり信じるという傾向があって、吃驚したものです。
その、信じないと憤慨した雑誌の別の記事は信じられる理由は未だ謎です。
というか、今となってはその理由には触れないことが優しさですが、ただ、ある意味では、素直な人なんだと思います…。





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この度の震災で、親を失った、行方不明、親が障害を負った等の子ども達のためのあしなが育英会の第二次緊急対応措置(特別一時金、ケア活動)と、それに向けた募金のお知らせ。
http://www.ashinaga.org/

チェンジ!

20110425


「絶対違う、まるで違う」と思った理由

高杢さんはスタイル変更後も格好いい。
どんはスタイル変更後は格好悪い。

高杢さんは芸能界へ。
どんは駐車場へ。

高杢さんはその後、音楽活動で超人気者に。
どんはその後、バリバリな活動で友達を無くす。

高杢さんは華やかなステージに立つ。
どんは学会歌指揮でステージに立つ。

高杢さんはファンから黄色い声援を浴びる。
どんは駐車場誘導で婦人部のおばちゃんから罵声を浴びる。

・゚・(ノД`)・゚・


余談ですが、小学生低学年の頃はチェッカーズが好きでした。
親に強請ってカセットテープを買ってもらったことを覚えています。
当時は音楽も歌詞もよく分かりませんでしたが、今、改めて聞いてみると、良い曲がたくさんあるなあと思います。




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この度の震災で、親を失った、行方不明、親が障害を負った等の子ども達のためのあしなが育英会の第二次緊急対応措置(特別一時金、ケア活動)と、それに向けた募金のお知らせ。
http://www.ashinaga.org/


得体の知れない私

帰宅したらマンションの外で近所の婦人部Oさん(仮称)に声をかけられた。
特に何も思わず、ご挨拶をしていたら。
「あの、選挙の時は公明党にお願いできます?」
おおう、油断してたらコレかい、と思いながら、
「いいえ、無理です」
と、正直に応えたら、Oさん(仮称)はやや間があった後に、
「ええっとですね」
と、なおも言葉を続けてこられたので
「夫とは考えが違うので公明党の応援はできません」
と、こちらも畳みかけて返したら、
「すみません、お引き留めして」
と、頭を下げられたのでこちらも
「すみません、ご期待には応えられなくて」
と、頭を下げ返して笑顔でその場を離れたある日ある午後の出来事。

どんは結婚早々に地区の人に「うちの妻は無理です」と宣言しており、「無理」だと分かっているのにどうして投票依頼をするのかと疑問ではあったのだが、「知らなかった」のか「忘れていた」のか「耳に入らなかった」のか「そんなの関係ねえ」のか「言えばなんとかなると思っていた」のか「少しは気を遣って社交辞令でも了承してくれると思っていた」のか…思いつく限りの選択肢を上げてみたが学会員さんの考えることはよく分からない…そのいずれかであろうと思う。
すみません、気を遣うつもりがなくて。
こういうことはハッキリしておきたい性分なもので。

だが、自宅に入るとどんに「Oさん(仮称)に会った?」と聞かれたのである。
「会ったよ。選挙のお願いされて断ったけど、どうして?」と応えると「実はさっきウチに来られて『奥さんと話をさせてください』って頼まれたんだよ。もちろん断ったけど」とのこと。
いやいやいやいや、Oさん(仮称)、あなたどんに断られたのに私にアタックをチャレンジしたわけですか?
どんに断られたところに私が帰ってきて、アタックチャーンス!だったわけですか?
さすがは「創価学会の主戦力は婦人部」と言われているだけある。
諦めが悪い。
本人が断ったので、もう次は無いだろうと思いたいところ。

どんは活動家時代から「嫌なときははっきり断られたい」と思ってきたらしい。
本当は嫌なのに、気を遣って「分かりました」と了承されると、大丈夫なんだと思い込んでしまう。
そしてその人に選挙の度に何度もお願い続けているうちに、後で「実は嫌だった」というのを知らされると、本当にいたたまれなくなるらしい。
同じことを思っている学会員仲間は彼の周囲にいると言うのだが、断ったらムキになって何度も来てトラブルに発展させてしまう学会員もいるからこそ、「気を遣って(その場を丸く収めようとする・相手を怒らせないようにする)了承してしまう」現象も起こるわけで。
「学会」といえば「しつこい選挙活動」は、もはやセット。
そのセットを恐れて、優しい嘘でも気遣いでも了承してしまう(そして選挙権のある人口を超えるF票が集まる)このスパイラルをどこかで止めてしまえれば良いのだが。
私とOさん(仮称)の今回のやりとりなんてほんの些細なことでしかないが、断ったことで嫌な思いをした人も多いだろう。
お願いする自由があり、断る自由がある。
一度断られたらスッと引いてくれれば、双方幸せだと…ってF票が集まらないし福運が溜まらないから双方幸せではなく、こちらを立てればあちらが立たずってことですね。

そんな話をどんとしていたらば。
「座談会に行ってもね、時々『奥さんと話したい』って言われるんだけどね、『やめておいたほうが良いですよ』って断ってるよ」
とニコニコしながらどんは言った。
ん?「やめておいたほうが良い」?
「Oさん(仮称)にもそうやって断った?」
「うん」
なんだその恐怖を煽るような、「悪いこと言わないから」という相手を思っての一言みたいなニュアンスを含むような、そのくせ覗いてみたいという好奇心をくすぐるような、「うちの奥さん怖いんです」を暗に言っているような、その言葉は。
他にも無難な断りの文句があるだろう!
「やめておいたほうが良い」じゃなくて「やめてください」でいいでしょう!
いや分かりますよ「やめてください」って言葉がキツくてお仲間に言いづらいのは。
それに、何を言ってもしつこく食い下がるかもしれません。
でも、どうせ食い下がるんだったら、そういう言葉で私を得体の知れない何かに仕立てるのはやめてくれる?

なるほど。
毒鼓の縁と言う教えがあった上に、「やめておいたほうが良いですよ」と何が起こるか分からないような含みのある言い方をするから、学会の主砲で主戦力の婦人部の「負けじ魂」に火をつけると、だから「断られても話がしたい」と思うわけですね。

つまり、すっぱり断ったつもりで満足げに微笑む私の夫にも一因があるわけですか?


※私は怖い妻ではありません多分。

追記:
さっきコメントを返していて思い当たったのですが、結局どんが何をどう言おうと根本的にどんが私に学会を関わらせないようにしていること自体が彼女たちは嫌なんであって「どんさんが言わないなら私達が!」になっているような気がしてきました。
………orz

最後の砦

全ての人が楽しい学生時代を過ごしたわけではない。
そこには様々な理由があるだろうが、それはそれでひとつの思い出の形でだ。
ただ、そういう体験をした人から見れば、充実の学生時代を送った人はやはり羨ましくあるだろう。
ところが、そういう楽しい学生時代を過ごしておきながら、大人になって再会した時の自らの振る舞いで、同級生達と距離を置かれ、楽しかった学生時代を台無しにしてしまう人がいる。
酔って絡んで嫌われたとか、そういうことではなく、ここで取り上げるのはやはり。

同級生を折伏しようとして、同窓会に呼んでもらえなくなった。
あるいは迷惑がられて、行きづらくなった。

ええ、どんさんのことですけれども。

熱血バリ活だった若き日のどんは、帰省の度に地元の同級生達を折伏した。
「どんが学会に勧誘するから気を付けろ」という話は同級生達の間に広まった。
一応の成果として二人は入会に至ったが、失ったものはあまりに大きかったようだ。
私は「どんの地元の友人達」にほとんど会ったことがない。
同窓会があったとも、盆正月に幼なじみや同級生達に会うという話も聞いたこともない。
どんは思い出話を楽しげに話し、かつ少年期のアルバムにはたくさんの楽しそうな顔が写っているにもかかわらずだ。
今まで、そんなことはあまり意識したことはなかった。
最近、私が学生時代の部活の同窓会の幹事を引き受けた時にふと思い当たり、どんに問いかけてみたのだ。
「そういえば、同窓会ってあった?」
「………」
どんは無言で俯いて、私はどんが同級生達に何をしたかを察してしまった。
同級生達が交友関係の全てではない。
だが人生で最も多感な時期を共に過ごし、様々な思い出を共有する古い友人というのも、大事な存在なのではないかと思う。
その人達に対して、会いづらい、とか、申し訳ない、とか、そういう気持ちを抱いているどんはまだマシなほうかもしれない。
世の中には、同級生達に迷惑をかけていると自覚しないどころか、正しいことをしていると勘違いしたまま自ら同窓会をセッティングするような、自分で楽しかった学生時代の思い出に泥を塗っても平気でいられる、そういう学会員はいるからだ。
泥を塗るのは自分の思い出だけではない。
同級生達の持つ思い出にも泥を塗っている、そして当の学会員はそのことには気づいていないだろうと思われる。

ところで、自らの行いで楽しかった時期を過ごした同級生達と疎遠になってしまったどんだけれど、たった一人、例外がいる。
どんが必死に折伏しても、幾度も会館に連れ出して囲み折伏をしても、決して「うん」とは言わなかった人だ。
郷里を離れ同じ市内に住んでいたという距離的な近さもあって、折伏はそれはそれは激しく頻繁だった。
普通なら、そういうことをすれば嫌われて当然である。
さらにこの時期、どんからの折伏だけでなく、どんとは関係のない彼の職場で起こった学会の被害も目にしたということもあったようだ。
彼は入会しなかった。
きっぱりと拒否をしつつも、それでも彼はどんを嫌わず、どんの友人で居続けた。
組織に煽られ部員さん達に示しがつかないと折伏に取り組んだ結果、どんは多くの友人を失ったが、彼だけが残った。
そしてどんは、役職を離れた頃に彼を折伏することを辞めた。

私は「どんの地元の友人達」にほとんど会ったことがないと前述したが、正しくは「一人を除いて会ったことがない」となる。
彼曰く、「中学生の頃は虐めに遭っていた。高校生になってどんと出会い人生は変わった」。
短い言葉に、様々な思いが垣間見える。
そんな二人の間にあった絆に、学会信仰は敵わなかったと言うべきか。そもそも必要無かったと言うべきか。
もちろん、高校生のどんは学会員ではない。彼が学会と出会うのは高校を卒業してからだ。
学会と出会い傾倒していくどんに時に迷惑をかけられ入会を拒否しながらも友人であり続けた彼に、どんもまた救われてきたということなのだろうと思う。
そういう友人が一人いた、どんにとっては幸いなことだと思う。
学会によって全てを失わずに済んだからだ。

ちなみに折伏出来た二人共、遠方に住んでいて年賀状の付き合いが続いている。
一人は名前だけ学会員、もう一人はバリ活だ(幹部や組織とは喧嘩が絶えないらしいが)。
現在、どん自身が活動を離れている中で退会しない様々な理由の中に「自分が折伏して入会した友人に申し訳ないから」という思いがあるかららしい。

学会がいくら折伏ノルマを提示しても、「友達を連れてこい」と言われても、昔からの友人を学会信仰を関わらせないほうが良いと思う。
友人が「最後の砦」になりうることはあるはずだからだ。
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