本題に入る前に選挙の感想を簡単に。
公明党が議席を減らしている。学会員以外にはとっくに信用されていない、要らない・どうでもいいとさえ思われているような公明党。政治への参加意識が高まって以前よりF票に応じない有権者も増えてきたということもあるのだろうし、学会内部でも「学会員は公明党を応援するのは当たり前」という空気が壊れつつもあるのではないだろうか。
勝利宣言が出来るほどに勝っていれば負荷の大きい選挙活動も苦にはならないだろうが、議席も減り結果が見えなくなる中で、自分の生活から時間を捻出して選挙活動に邁進するためのモチベーションを保つには正直辛い。
「おらが党」の感覚は情報を得る手段の多様化と、高齢化少子化と共に薄れていく。こればかりはもうどういう手を打っても挽回できないのではないかと思う。
個人的な感想としては、片山さつき議員など当選して欲しい候補者が当選して良かったなと思うと同時に、谷亮子議員はさすがにいかがなものかと疑問を持っていたりもする…。


さて、本題。
毎朝、郵便受けに配達される聖教新聞。
我が家では私が購読料を払って一般紙も取っているので、一般紙も配達されている。
実は聖教新聞は一般紙との配達時間の早さ争いに毎日のように負けており、先に一般紙が入っている都合上、郵便受けの受け口からご丁寧にも見出しが見えるように突っ込まれているのだ。
そのレイアウトは明らかに一般紙と異なる。
自画自賛、創価色丸出し、名誉会長がどっかの国や大学に褒めてもらったよ!ってな毎日が号外スクープサイズの大きな一面見出しを毎朝毎朝毎朝毎朝ご近所に晒していただいているわけで、これを恐怖新聞と言わずして何を恐怖新聞というのか。想像してみて欲しい。集合住宅の入り口にずらりと並んだ郵便受けに、目立つように、見出しを見せるように聖教新聞が突っ込まれている光景を。身の毛もよだつ光景だろう。今の時期にぴったり!(違)

配達員が一般紙より早く配達してくれていれば、見出しが見える状態で郵便受けに突っ込まれるのが一般紙になるので、何も問題はない。
だがしかし、それは酷な話らしい。聞けば活動家の傾向と同様に配達員も高齢化しており、担い手も少ないとのこと。それはこの地区でも例外ではない。
早起きしても早く回れるとは限らず、だから早く配達してほしいとはさすがに言わないし、言えない(むしろ配達しなくてもいいくらい。もっと言えば聖教新聞社など潰れればいい)。

だが、郵便受けはそう狭いものではない。実は入れようと思えば二紙は入るのである。
聖教新聞を断ることはどんの地区との建前上叶わず、かといって近所に学会員だと知られたくはないどんが「まだ郵便受けの容量はあるので、きちんと中に入れてほしいんですけど…」と新聞担当員にお願いするものの、伝わっているのかいないのか、配達員は相変わらず。
つまり配達員によって勝手にご近所に「ここに学会員がいまーす」と毎朝毎朝毎朝毎朝、学会員宣言をさせられているわけだ。
「学会員であることを誇りにするべき!見出しを見られたって構わないでしょ!むしろ見せることで新聞啓蒙に繋がるかも」との他人の自負をこっちに押しつけられているのではないかと疑ってしまうが、実際はおそらく、何も考えておられないのが正解だろうし、例え彼ら彼女らに意図や悪気は無かったとしても、何をやらしてもそつがあるというか、我が家に関わる創価な方々のやることなすこと、一挙手一投足、我が家にとっては迷惑にしか繋がっていないという、この事実
もうね、相性最悪じゃないですか。
永遠に分かり合えないことが、このことから証明されているわけですよ。無理。創価、無理。

現状、どんが早起きして新聞を回収するしか対処法は無いのであるが(その役割は絶対に私ではない!)、いずれもう一度、担当員もしくは直接配達員にお願いしないとダメだろうなとも考えている。
とりあえず架空の設定として「知り合いの学会員に頼まれている」ということにしているのだが、「お宅に聖教新聞が配達されているんだけど」とご近所さんは誰も聞いてくれはしないのである。聞いて~!誰か聞いて~!・゚・(ノД`)・゚・

せめて、誰も我が家の郵便受けに注意を払っていないことを願いつつ。