全ての人が楽しい学生時代を過ごしたわけではない。
そこには様々な理由があるだろうが、それはそれでひとつの思い出の形でだ。
ただ、そういう体験をした人から見れば、充実の学生時代を送った人はやはり羨ましくあるだろう。
ところが、そういう楽しい学生時代を過ごしておきながら、大人になって再会した時の自らの振る舞いで、同級生達と距離を置かれ、楽しかった学生時代を台無しにしてしまう人がいる。
酔って絡んで嫌われたとか、そういうことではなく、ここで取り上げるのはやはり。

同級生を折伏しようとして、同窓会に呼んでもらえなくなった。
あるいは迷惑がられて、行きづらくなった。

ええ、どんさんのことですけれども。

熱血バリ活だった若き日のどんは、帰省の度に地元の同級生達を折伏した。
「どんが学会に勧誘するから気を付けろ」という話は同級生達の間に広まった。
一応の成果として二人は入会に至ったが、失ったものはあまりに大きかったようだ。
私は「どんの地元の友人達」にほとんど会ったことがない。
同窓会があったとも、盆正月に幼なじみや同級生達に会うという話も聞いたこともない。
どんは思い出話を楽しげに話し、かつ少年期のアルバムにはたくさんの楽しそうな顔が写っているにもかかわらずだ。
今まで、そんなことはあまり意識したことはなかった。
最近、私が学生時代の部活の同窓会の幹事を引き受けた時にふと思い当たり、どんに問いかけてみたのだ。
「そういえば、同窓会ってあった?」
「………」
どんは無言で俯いて、私はどんが同級生達に何をしたかを察してしまった。
同級生達が交友関係の全てではない。
だが人生で最も多感な時期を共に過ごし、様々な思い出を共有する古い友人というのも、大事な存在なのではないかと思う。
その人達に対して、会いづらい、とか、申し訳ない、とか、そういう気持ちを抱いているどんはまだマシなほうかもしれない。
世の中には、同級生達に迷惑をかけていると自覚しないどころか、正しいことをしていると勘違いしたまま自ら同窓会をセッティングするような、自分で楽しかった学生時代の思い出に泥を塗っても平気でいられる、そういう学会員はいるからだ。
泥を塗るのは自分の思い出だけではない。
同級生達の持つ思い出にも泥を塗っている、そして当の学会員はそのことには気づいていないだろうと思われる。

ところで、自らの行いで楽しかった時期を過ごした同級生達と疎遠になってしまったどんだけれど、たった一人、例外がいる。
どんが必死に折伏しても、幾度も会館に連れ出して囲み折伏をしても、決して「うん」とは言わなかった人だ。
郷里を離れ同じ市内に住んでいたという距離的な近さもあって、折伏はそれはそれは激しく頻繁だった。
普通なら、そういうことをすれば嫌われて当然である。
さらにこの時期、どんからの折伏だけでなく、どんとは関係のない彼の職場で起こった学会の被害も目にしたということもあったようだ。
彼は入会しなかった。
きっぱりと拒否をしつつも、それでも彼はどんを嫌わず、どんの友人で居続けた。
組織に煽られ部員さん達に示しがつかないと折伏に取り組んだ結果、どんは多くの友人を失ったが、彼だけが残った。
そしてどんは、役職を離れた頃に彼を折伏することを辞めた。

私は「どんの地元の友人達」にほとんど会ったことがないと前述したが、正しくは「一人を除いて会ったことがない」となる。
彼曰く、「中学生の頃は虐めに遭っていた。高校生になってどんと出会い人生は変わった」。
短い言葉に、様々な思いが垣間見える。
そんな二人の間にあった絆に、学会信仰は敵わなかったと言うべきか。そもそも必要無かったと言うべきか。
もちろん、高校生のどんは学会員ではない。彼が学会と出会うのは高校を卒業してからだ。
学会と出会い傾倒していくどんに時に迷惑をかけられ入会を拒否しながらも友人であり続けた彼に、どんもまた救われてきたということなのだろうと思う。
そういう友人が一人いた、どんにとっては幸いなことだと思う。
学会によって全てを失わずに済んだからだ。

ちなみに折伏出来た二人共、遠方に住んでいて年賀状の付き合いが続いている。
一人は名前だけ学会員、もう一人はバリ活だ(幹部や組織とは喧嘩が絶えないらしいが)。
現在、どん自身が活動を離れている中で退会しない様々な理由の中に「自分が折伏して入会した友人に申し訳ないから」という思いがあるかららしい。

学会がいくら折伏ノルマを提示しても、「友達を連れてこい」と言われても、昔からの友人を学会信仰を関わらせないほうが良いと思う。
友人が「最後の砦」になりうることはあるはずだからだ。