妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2008年04月

ヒマラヤを越える

先日の記事のコメント欄で、さゆきさんにご紹介いただいたドキュメンタリー映画「ヒマラヤを越える子供たち」のDVDを購入し、どんと二人で鑑賞した。
映画の原作となったハインリヒ・ハラー著「セブン・イヤーズ・イン・チベット」も読み、映画では描かれなかったエピソードや当時のチベットの風景、人々の生活を知ることが出来た。


それぞれの感想などはまた時間が出来た時に追記する予定。
本日は取り急ぎ情報まで。

http://www.tsg-kiku.com/
http://www.tsg-kiku.com/eoth/index.html

収益は全てチベット難民支援に寄付されるそうなので、懐具合の暖かい方、興味のある方は、是非。

Free Tibet 2

マータイさんが聖火リレー不参加。

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008041100099

学会に縁のある方が聖火リレー不参加という意思表明をされた。
リレー不参加の理由は「スーダンのダルフール地方、チベット、ミャンマーでの人権問題を提起している世界の他の人々に連帯を表明するため」。
「これら3カ国・地域での人権問題の改善に尽力するよう中国に圧力を掛けることが大切だ」ともおっしゃっている。
学会が賛同し行動を共にするのはマータイさんか、中国政府か。
市民・政治家限らず抗議運動が世界に広がっている現状で、この問題を無視するのは難しいと思う。
いずれにせよ胡錦濤国家主席から「会いたい日本の民間人のひとり」として名誉会長を指名されているのなら、なにかアクションを起こさなければならないだろう。
先日ネットで「学会側がチベット問題を批判し胡錦濤国家主席との対談を拒否した」という書き込みを見かけたが、ソースが示されていないので現時点では信用できない。
事実なら素晴らしいことであるし、意図的な火消しレスや釣りならくだらないとしか言いようがない。

学会は「平和と人権」「正義」を標榜してきたからこそ「この問題をどう扱うか」と注目されるのだし、さらに政治権力を持つ公明党、中国との繋がりを持つ学会だからこそ、「中国政府に何を言うのか」と注目される。
物申せる立場に無いとは思えない。
学会の言う「中日友好の絆」が何か言うことで壊れるなら、それまでの話。
そんな関係は友情とは言わない。
勲章と未来の布教そしてロビー活動と、単に利害関係でしかないということだろう。
胡錦濤国家主席と名誉会長が対談するのかしないのか、ネットの書き込みは本当なのか、しなかったとして理由を公表するのか、したとして何を言うのか内容は公表されるのか、現時点では分からない。
だが、世界的に中国政府のチベットへの対応に牽制や苦言が広がる中、あの天安門事件の直後にも中国政府に手を差し伸べてくれた学会までもが対談を拒否する、または「宗教弾圧・人権弾圧を止めよ」と苦言を呈することが、中国政府への揺さぶりになるのではないだろうか。
非力な私たちアンチを笑うのなら、お持ちの力を今こそ人権を守るために使い、私たちに見せつけてはいかがか。

学会以前の問題として、最も情けないのは日本政府。
完全に及び腰の姿勢。
そこまで中国政府のご機嫌を伺う必要があるのだろうか。
このまま日本政府が何も言わないということは、「既に中国政府に骨抜きにされてます」と公言しているようなものだと思うのだが。
報道協定がありながらも、あえて踏み込んで発言するマスコミも増えてきたというのに。
中国政府の機嫌を伺うあまり、日本として大事なものを捨てているような気がしてならない。



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すでにあちらこちらで紹介されていますが、このブログでも紹介します。

●アルピニスト 野口健さんのブログからチベットに関するエントリー。
まだ読んでいない方、学会員の方、是非読んでください。

北京オリンピック?チョモランマからの悲鳴?
http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51052579.html
チベット動乱?北京オリンピックの条件?
http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51052593.html

●関西のテレビ番組のチベット問題特集で、姫路にある天台宗の別格本山 圓教寺の僧侶の方がチベットについて宗教者の立場から発言されています。
発言についての私個人の感想やコメントは書きません。
読まれる方のそれぞれの立場で、感じていただければと思います。

http://jp.youtube.com/watch?v=d9ocolmnyoA
http://jp.youtube.com/watch?v=71A9OV2nWcg

今、私たち日本の仏教者の真価が問われています。
チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由が失われることに心から悲しみと、止むに止まれぬ抗議を表明せずにはいられません。
私たちはあくまでも宗教者、仏教者として、僧侶をはじめとするチベット人の苦しみを、もはや黙って見過ごすことができません。
チベット仏教の宗教的伝統を、チベット人の自由な意思で守るということが、大切な基本です。
皆さんは、日本の全国のお坊さんがどうしているのかとお思いでしょう。
日本の各宗派、教団は日中国交回復のあと、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いできました。
私も中国の寺院の復興に携わりました。
しかし、中国の寺院との交流は全て北京を通さずにはできません。
ほとんど自由はなかった。
これからもそうだと、全国のほとんどの僧侶は知っています。
そして、日本の仏教教団がダライ・ラマ法王と交流することを、北京は不快に思うこともよく知られています。
あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると、私は考えています。
しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、日本の仏教界に目立った行動は見られません。
中国仏教界が大切な友人であるなら、どうして何も言わない、しないで良いのでしょうか。
ダライ・ラマ法王を中心に仏教国としての歴史を重ねてきたチベットが、今、なくなろうとしています。
私たちは宗教者、仏教者として、草の根から声を挙げていかなければなりません。
しかし、私の所属する宗派が、中国の仏教界関係者から抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いでしょう。
このように申し上げるのは、私たちと行動を共にしましょうということではないのです。
それぞれのご住職、檀信徒の皆さんが、これをきっかけに自ら考えていただきたいのです。
オリンピックにあわせて、中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。
この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。
もしも宗教者として毅然とした態度で臨めないならば、私たちはこれから、信者さん、檀家さんにどのようなことを説いていけるのでしょうか。
私たちにとってこれが宗教者、仏教者であるための最後の機会かもしれません。

書写山 圓教寺 執事長 大樹 玄承
平成20年4月5日

知らない 知りたい

レンタルビデオ屋で借りて久しぶりに映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」を見た。
オーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーの自伝を映画化したものだ。
映画での後半は、まさにチベットに中国が侵攻して来ようとする様が描かれている。
多くの人がそうであったと思うが、私もまたチベットに目を向けることとなるきっかけとなった映画だ。
ダライ・ラマ法王の話を聞ける機会があるのならと、わざわざ広島まで行ったのもやはり、この映画を見ていたからこそのことだろうと思う。
「近代史の出来事の当事者の話を聞いてみたい」という知的欲求を満たしたいがための単純な衝動は、結果として貴重な体験へと導いてくれた。
「知りたい」という欲求は、生きる上での指針となるのだろうと思う。

映画は学生時代に劇場で見て以来だから、もう結構な時間が経っている。
再びこの映画を見ようと思ったのは、現在のチベットでの状況も理由だが、何より、どんが「見たことない」と言ったからである。
この映画が公開された時、そして割と近年まで、どんはこの映画の名前しか知らなかったという。
その時期は「バリ活学会員人生」と被っている。
仕事と活動で帰宅は深夜。
ニュースも終わった時間帯で放送しているテレビ番組は通信販売の類ばかり。
新聞も一般紙くらいとっていれば映画紹介コーナーで映画の内容も目に入るだろうが、聖教新聞一紙のみ。
それすらも読む時間も少なく、会合で必要な記事を読むのが精一杯だったと言う。
例え聖教新聞に映画紹介コーナーがあり、この映画が紹介されていたとしても、どんの目に届いたかどうかさえ難しかったようだ。
完全に世間の情報から隔離した状態で活動をしていたと、当時を振り返ってどんは言う。
映画は単なる一例で、当時、世間を賑わせていた様々な情報に疎かったようだ。
これはどんが特殊なケースではないだろう。
活動に追われて世間の情報に疎くなっていくことは、よくある話であるらしい。
また活動していなくても聖教新聞一紙で満足だと思っていれば、それで得る情報も制限される場合もある。
平和や人権について語りながら、世界の紛争や人権問題などの知識が伴っていない学会員がいる背景はやはり、学会ならではの光景があるのだろう(言うまでも無いが、全ての学会員がそうだとは思わない)。

先日の記事で紹介した2ちゃんねる創価・公明板の、チベットに関して立てられたいくつかのスレッドで、「ダライ某は前近代的で封建的な専制君主なのに」「チベットをダシにして創価学会を中傷するだけがミエミエ」というようなレスを見かけた(http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1205806672の670と692など)。
そのようなレスの根底には「チベットの歴史と中国との関係を『知らない』」「中国政府がチベットに何をしてきたのかを『知らない』」という情報の欠落があるように思う(勿論、いろんな意見があって良いとは思うが、せめてレスする前にネットで調べるとかしないのだろうか。ブログ記事をひとつ書くのに、いろいろ考えて調べるなどの労力を使う私からしたら、その自信が信じられない)。
単純な発想は思考停止しか招かないが、もし何が起こったかを知っていればそういう次元の問題ではないと分かるはずだからだ。
今回のことを「チベットの歴史と中国との関係を『知る』」ことと捉え、学会からのお仕着せではない平和や人権について自発的に考えるきっかけにする、それで良いと思うのだが。
幸いにもこの国ではチベットに関する様々な立場・異なる視点からの情報を、書籍でもネットでも安易に手に入れることが出来る。
私には無い、「熱心な信仰者」の立場で「知る」ということは、おそらく私とは違った世界が見えてくるのではないだろうか。
無論、チベット弾圧のことで怒ったり疑問を持つ学会員もいらっしゃるようだ。
そういう感情を抱く人はやはり「知りたい」と思うことの重要性を「知っている」人だと思う。

日本は情報が過分に行き交う。
メディアリテラシーが必要だということが、贅沢だとも言えるのかもしれないほどに。
だが世間の出来事に積極的に興味を持たなければ、情報を得ることはなくなる。
何かに追われるように忙しくしていれば、努めて時間を割いて情報を得ることも難しくなる。
もちろん、学会に限ったことではない。
「知らない」よりも「知りたい」「知っている」のほうが、人間として深みが増すのではと思う。
私も至らない人間だが、「知りたい」という欲求を大事にし、「知っている人」になることを目指し続けたい。

最後に、映画を見たどんの感想は「この映画は見たほうが良い!」。
映画は2時間と少しで終わるが、実際はこの後も映画で描かれた以上に悲惨な出来事が起こっている。
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