ダライ・ラマ法王の姿を拝見したことがある。
親しみやすい笑顔ながら、毅然とした佇まいも併せ持っておられ、さらに放つオーラは威厳に満ちたものでもあった。
背負われる物の大きさは私ごときには計り知れない。
そしてこの御方を「テロリスト」と批判する人間達の神経のほうが全く持って理解できない。

2006年の秋のことだ。
仕事も忙しい中で、無理に一日だけ時間を作り新幹線に乗り、日帰り強行突破で広島へ行った。
来日されたダライ・ラマ法王の説法を聞くためだ(どんは仕事の都合だったか着任だったかで行けなかった。ああもったいない)。
その年の来日箇所は東京と広島。
ネットで来日スケジュールを調べた結果、仕事の都合で行ける日程が広島のみ。
距離的に躊躇はしたものの、その日に広島で行われるのは単なる「講演会」ではなく、宗教色の強い真言宗の寺院の「開眼法要」ことも私の背中を後押しした。
新婚旅行で行った高野山の強烈な印象があったこともある。
そういうわけで広島・宮島にある真言宗の寺院、大聖院の弥勒菩薩像の開眼法要へ。
…そこまで気合いが入っていた割に、その時はメモだけして記事にしないまま仕事の忙しさにかまけて1年以上の時間が流れているという大失態ぶりなのだが、当時ではなく今、チベットで大きな出来事が起こっているということは、記事にするタイミングは今なのだと言われているのではないだろうか(半分言い訳)。
メモを元にその日の事を書き起こしてみる。

長い階段の手すりにつけられたマニ車を回しながら登った先の境内には、たくさんの檀家さんや一般の方、僧侶、在日チベット人の方、マスコミ関係者。
法要の内容は新しく建立された弥勒菩薩の開眼供養と説法会と質疑応答。
人が多いのと位置が悪かったので、ダライ・ラマ法王ご本人の姿を肉眼で拝見出来たのは僅かな時間だけ。
法要の進行は設置されたモニターで見ていた。
法要は大聖院の僧侶と、ダライ・ラマ法王とチベット密教の僧侶達と順番で読経。
生で聞くチベット密教の読経は独特のリズムとメロディがある。
主導する僧侶の地響きのような低い声が印象的。
地元のお坊さんの般若心経しか馴染みがないのだが(どんの法華経は除外)、軽やかで浪々とした日本のお経に対し、重厚感があった。
読経の最中、配られたのはナッツの入っていてミルクで炊いたとおぼしき炊き込みご飯。
チベット人僧侶の手によって参列者全員に配られる。
味は甘い(後で調べたところ該当するものは「プラウ」というものらしい)。
法要が終わり、弥勒菩薩に関する説法の後、質疑応答(法王様曰く「人生相談でもいいんですよ」。それでは「旦那が創価で…」という相談をしてみようかと数秒でも画策した私は完全に俗物です…orz)。
そのあたりのことはとても書ききれるものではないので一番印象に残っていることを。
「日本はこれから何をなすべきか」という質問に対する「日本人は優秀で技術力がある。それを持って世界に出て、貧しい国々の力になって欲しい。人のために尽くすことで喜びを得られる、それが慈悲です」という法王様の言葉。
それから質疑応答の後に唄われた、大阪在住のチベット人女性歌手バイマーヤンジンさん(http://yangjin.jp/)によるチベット民謡。
関西弁を巧みに操り境内を笑いに包んだ後は、チベットを知って欲しいと続ける。
「見ていてください。私たちチベット人は弾圧には負けません。必ず祖国チベットに法王様をお連れします」
ダライ・ラマ法王と出身が一緒とのことで、その地方に伝わる歌を歌う。
伴奏は京都の方による日本の横笛。
声の揺らぎが心地良い、とても綺麗な歌。
「時間が迫ってきましたが、調子に乗ってもう1曲」を二度ほど。最後は日本の童謡「里の秋」。
あちこちですすり泣く声。チベットの方や、「里の秋」に涙する初老のご婦人など。
最後に、順番に弥勒菩薩と砂曼陀羅を参拝する。
弥勒菩薩は日本の端麗でシャープな仏像ではなく、チベット的な独特なお顔立ち(チベット仏教大本山デプン大僧院の座像の写しなんだそう)。
チベット語の経文が書かれている「弥勒見度佛御守護符」というお札をいただき、急ぎ広島を後にした。


現在、チベット自治区は大変な状況に置かれている。
チベット民族側、漢民族側双方に死者や負傷者が出ているという。
主張を暴力に訴える行為は許されることではない。
だが、そこまでにチベットの人々を走らせた原因は間違いなく中国政府にある。
チベットでは、真綿で首を絞めるが如くかつ狡猾なやり方でチベット文化が滅ぼされつつあり、深刻な人権侵害や虐殺も起きている。
ダライ・ラマ法王は非暴力主義のもと「現実的な方法としてのチベット人による自治」を主張されているが、チベット民族の中でも「独立」を支持している人々もいるこの現状において、中国政府が発表する「ダライ・ラマ法王が暴動を扇動している」などと言うことは全く詭弁でしかない。
さらにダライ・ラマ法王は現在、中国国家主席との対話を希望しているというのに。
いずれにせよ、現時点で中国政府による宗教弾圧・文化破壊・民族浄化が起こり、尊い人命が失われてきたことに対する反発であることは間違いない。
私は、チベットとウイグルなどの少数民族自治区において、真の意味で自治(または独立)が行われ、自由が、宗教が、文化が守られるべきであると思っている。

さて、宗教弾圧という言葉が出てきたところで、ここで本題。
コラムニストの勝谷誠彦さんが、自身が配信するメルマガで、そして出演しているメディアで「創価学会員は、同じ仏教徒が殺されている現状をどう思っているのか。何のために公明党という権力を持っているのか、支持団体の利便ではなくこういうときにこそ権力を使うべきではないのか。中国が名誉会長を表彰し続けているから何も言えないのか」という主旨のことを創価学会員に対して発言されている。
http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/
(「ストリーム」のポッドキャスト。3/19分の「コラムの花道」参照)
http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/files/st20080319.mp3(MP3直接リンク)
チベットの件に関して、私も、そして実はどんも彼の意見に同意だ。
心ある学会員がいらっしゃるのなら、彼の呼びかけに応じて行動して欲しい。
無償で活動し、ノルマをこなし、財務を払ってきたあなた方には、学会本部に物申す権利があるはずだ。
公明党議員に対して「権力を監視する必要がある」のなら、それは今だ。

創価学会にとって「親しい友、中国」だからこそ「苦言を呈する」のが「真の友情」ではないのか。
イラクのクウェート侵攻の時は「緊急アピール」なるものを発表したくせに。
まさか名誉会長が「フセインはボクに勲章をくれないから!」などと拗ねた結果かと邪推されても仕方がない。
聖教新聞では蜂起初日に共同通信社からの配信ニュースを掲載したのみ、日々世界に余波が広がる中、以降は一切の無視である。
さらにその間も新聞一面に「中国に褒めてもらったよ!」な記事を掲載しているという体たらくだ。
では学会員、学会内外のアンチの皆様は何をお考えだろうかと2ちゃんの創価公明板を覗いてみれば、「どうしてこの問題に触れないのだ。そんなに中国が大事か」というコメントから「池田先生は思慮があってこの問題をあえて触れられないのだ」「水面下で動いていらっしゃるはず」と深読みしているコメント、「僅かでも何か提言をしてくれることを期待してしまう」という切実なコメントまで様々。
心ある人々は学会の対応に悲しみ、怒り、そうして学会に支配されている人々は分かりやすく学会を庇う。
地元の会館と本部に電話をした猛者もいたが、「中国国内のことで学会は何もしない」という返答だったそうだ(詳細はhttp://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1205585821/の305と351、402)。
浄土真宗本願寺派と全日本仏教会は既に声明を出している。
http://www.hongwanji.or.jp/info/kogi_seimei/2008/080318_info.html
http://www.jbf.ne.jp/d20/
政治性を排除したせいか、論調としては弱いけれども、それでも「中国国内問題だ」と言い切ったどこぞの宗教とは雲泥の違いである。
もちろん創価学会に限らず、全日本仏教会に加盟していない他の仏教宗派も何らかの声明を出すべき時だと思っている。
宗教に限ったことではない。
日本の一部の政治家への中国の影響力は強く、また日本のマスコミは中国との記者協定で中国政府を強く批判することは出来ない。
私たちの国は、情けないことに非力な国でもあるのだ。

ところで、中国の胡錦濤国家主席が次回の訪日で名誉会長と会いたがっているらしい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080320-00000086-san-pol
ま こ と に 良 い 機 会 で す ね 。
かつて名誉会長が日中国交回復に尽力したと言うのなら、今度もその時のような情熱でもって、チベット民族の自治を取り戻すよう国家主席に働きかけ、チベット仏教を守るために尽力してみてはどうか。
成功すれば世間は学会を見直すだろうし、中国から沢山の博士号や勲章がもらえなくなくなっても、ノーベル平和賞を受賞できるかもしれない。
でも、おそらくはこの話題には触れもしないだろうし、これからもチベットを無視し続けるだろう。
それは中国との結びつきが強靱過ぎるなのか、弱味でも握られているのか、意見も挟めないほどにロビーとして支配されているのか、中国万歳の左翼活動家崩れの幹部が牛耳っているからなのか、邪宗のことなんかどうでもいいのか、ダライ・ラマ法王が名誉会長を構ってくれないからなのか、ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ法王が気にくわないのか。
…と、こんな時にこんなことで学会や名誉会長を揶揄することや邪推することは悪趣味なのは分かっている。
だが、こんなに己の利益に忠実な分かりやすい行動を取られるとやはり腹立たしい。
普段は自分たちに対する批判に対しては「宗教弾圧だ」と騒ぎ立てているこの団体は、自分たちの利益以外のことはどうでも良いということなのだろう。
これが創価学会の言う「平和」であり「正義」なのか。
一度くらい、私のようなアンチや世間の予想を裏切り、悔しがらせる行動を取ってみてはどうだろうか。
一度くらい、「創価学会や名誉会長を見直した」と言わせてみてはどうだろうか。

名誉会長と学会ほどの権力を持たない小市民の私に出来ることは、こうして記事を書くこと、抗議することと関連団体に募金をすること、そしてチベットのことをより知って、注視し続けること。
http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html
http://tsnj2001.blogspot.com/
どんは鼻息荒く中国大使館に「貴国と縁の深い創価学会に所属する者である」と明かした上で抗議メールを送っていたが、既に大使館のメールは停止になっており、エラーメールが返ってきた。
ハガキかFAXでの抗議に切り替えるようだ。
ただし、「学会員として学会本部にも何か物申さないの?」と妻にチクチクと言われ、ごにょごにょと誤魔化しながら逃げ回ってもいるんですけれども(怒)。

最後に、バイマーヤンジンさんの望みが一日も早く叶うことを願っている。


以下、追記に続く。
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