妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2008年02月

越えられないもの

小説を読んでいたら、どんが部屋に入ってきた。
「創価学会は、共産党とよく似ている」
突然の私の問いかけに、どんはワハハと笑った。
「そうなんだよね。幹部にも共産党出身者がいるとか聞くしね」
学会の人材育成を「洗脳」とするなら、共産圏の一党独裁の国でやっていたそれとも似ているように思う。
「折伏は、オルグか」
「ははは」
どんはさらに笑った。
この頃のどんは学会を庇うことさえしない。
どんは物見櫓に登って周囲を俯瞰で見ているような感じさえする(共産党と似ているということは個人の客観的主観によるものだから庇うような案件でもないが)。
感受性が豊かで周囲から影響を受けやすい一面を持つこの男の、また別の一面はこのように俯瞰で周囲を見ることだ。
勉強家で聡明などんが、どうして学会に染まったのか、同時に染まりきらなかったのか、彼の性格がそれを表している。
「本当は創価学会と共産党は裏で手を結んで出来レースでもしてんじゃないの」
「それはないんじゃない?昔、松本清張の仲介でそういうことはあったらしいけど」
「なんで松本清張なの」
「あの人、共産党支持者だから」
「………」
有名な話なのだろうが、あまり作家の思想信条を聞く気にはなれない。
自分の中の作品観を大事にしておきたいものだ。
話題を戻す。
「日蓮正宗との抗争は、いわば内ゲバというところで」
「かなり大雑把に言えばね。…で、何、内ゲバとかオルグとか。華の年代には似つかわしくない」
私は読んでいた本を掲げて見せた。
「『サウスバウンド』。主人公が小学生男子で、お父さんが元過激派で」
説明しようとすると、どんが眉を顰めた。
彼が多感だった80年代に受けた「教育」の反動で、彼はその手の類のものを嫌う。
過激派だろうが左翼だろうが、その細かい分類の特性を把握した上で、嫌悪感を示す。
やたらそれらの情報に詳しい癖に、感情的に反発するのだ。
だが、過去に受けた教育の反動でどんが嫌うそれらの主義主張が、創価学会には過分にある。
本来、公明党は自民党ではなく社民や共産と連立野党を組んでいたほうが良いのではと思うくらい。
ここにもまた、どんが学会に染まりきらない理由がある。
「面白いのに」
どんは表情を戻すと、飄々とした笑顔を残して部屋を出ていってしまった。

どん個人の主張と、公明党や創価学会の主張は大きく異なっている部分がある。
ただそれはどんに限った話ではないだろう。
宗教と政治は違う。宗教が同じでも個々の政治思想は違って当たり前なのだ。本来は。
それを政党を作って、学会員だから党の主張に賛成して応援しなさいというのも、おかしな話だ。
宗教とは別の所で学会員の支持政党が違って当然であるにも関わらず。
考えることを奪われるというのは、そういうことなのか。

ところでこれを夫婦の会話としていいのだろうか。
折伏とかオルグとか内ゲバとか新聞啓蒙とか、あまりに色が無さ過ぎる。
まあ、こんな会話ばかりではないし、これはこれで今まで上手くやってきたのだから良しとする。
小説に向き直ろうとして、ふと学生時代を思いだした。
六畳間の下宿のドアを開けると、同級生が立っていた。
同年代くらいの、見知らぬ男女を従えて。
「実は共産党の」
彼女が説明するところによると、このグループは共産党の若手組織だということらしい。
要は仲間に入りませんかと、そういうことで。
私を仲間に誘うなんて目の付け所が悪いんじゃないかと思ったのだが、暇だったので立ったまま話を聞いてみる。
説明したのはその中の男性だった。
内容は覚えていない。
ただ、緊張でもしているのか話し方はぎこちなく、何度も言葉に詰まっていたことを覚えている。
その話を受けての、私の返答も。
「群れるの、嫌なんで」
今思えば青臭い返答ではある。なんだその斜に構えた返答は生意気だと若き自分の頬を捻ってやりたい。
だがやはり、美意識の大いなる相違は、越えられないのだ。

後にどんと付き合うことで、間近で創価学会を観察する羽目になった時も、美意識が理解することを拒否し、同じ感想を抱いた。
どんが完全に学会に染まりきらなかったように、私にも学会に全く共感できない資質がある。

実はその身に返ること

仕事&どんが家にいる(有り難い!)で、時間的に内容が充実したものが書けるかどうか難しい状況にいる。
ブログ前半期を見ると、(自分にしては)考えた内容&長文で、もっと気軽な文章にすれば良かったのに自らハードルを上げた自分のバカバカと思ったりもするが、それだけ一生懸命書いた拙文を読んでくださる方々がいたからこその今のブログがあるわけで。
ブログを書くことを勧めたのは他でもない夫のどんだったが、ブログが夫婦間にも良い作用をもたらし状況を好転させたのもまた、ブログを介しての書き手と読み手の呼応があったからこそ。
書いていくことは大変だが、とても有り難く思っています。
質の維持が出来るかどうかは分からないのですが、出来る範囲で続けていきますので(気持ちだけは過分に)のんびりお付き合いください。

随分遅いネタで恐縮ですが。
昨年11/1の聖教新聞の罵倒座談会は「議員とその家族に模範となれ」と言うものだった。
「『議員の家族にばかり厳しく言うのか』という愚痴をこぼす家族は真剣に戦っていない」主旨や「家族も学会員なのに座談会や会合に出ない、新聞を読んでいない」主旨のことも書かれていた。
さて。
議員の給与は税金で支払われている故に、世間様から厳しい目で見られているということは分かる。
支持団体たる創価学会の力で議員になったわけだし、学会から議員家族に対しても同様だろう。
だが、この記事を読んで、学会員ではない私が感じた嫌悪感がある。
相変わらずの上から目線なのは「権力者や政治を厳しい目で見る良民(プッw)たる自分たち」という、いつもの自己陶酔系の表現なので、「創価学会だって今や立派に権力団体でしょww」とだけ書いてそれは放っておくとして。
家族の行動まで難癖をつけるのはどうなんだろうか。
座談会・会合に来ない、聖教新聞を読まないなどは、個人の思想や行動の自由の範疇になるのではないのか。
議員の子どもの学会二世・三世の立場になれば尚更。
宗教を選ぶ自由が無かった上に、親が議員だと言うだけで行動を厳しくチェックされ、学会活動に出るように促される。
果たしてそこまでされる・言われる必要があるのだろうか。
(バリ活になってしまって、周囲に害悪をまき散らしながら学会道を邁進する二世三世もいるだろうから、そういう人々にまで思いを馳せようとは思わないが、少なくとも「宗教を選ぶ自由が元々無かった」一点から現在の姿があるということに対しては気の毒だと思う)
学会側に立って言えば、「選挙に勝たせてやった=元は税金の議員の給与で生活している家族にも厳しく行くゼ!」ということなのだろう。
確かに、給与の財源は税金だが、給与は労働の対価。
高い安いの議論はさておくとしても、何もせずに大金を手にしているわけではない。
いわゆるオイシイ思いをする議員もいるだろうし、不正を働く議員もいる。
政務調査費の問題の渦中に公明党議員もいた。
そういう事件があるから厳しい目を向けられることは仕方がないし、私にも疑う気持ちはある。
罵倒座談会が取り上げている「態度が尊大な議員・家族」もいるのだろうから、そこは厳しくしていかなければならないとは思う。
それは何も公明党に限ったことではないが。
だからといって、全ての議員・家族がそういう態度なわけではない。
当人は普通にしていても、周囲の学会員が当人の態度を過剰に厳しくジャッジして「偉そうに!」と吹聴している場合も多々あるはずだ。
模範となれ、律しろ、戒めよと一見道義的なことを書いていながら、議員家族の個人の思想に関わる行動にまで言及し、活動をしないこと新聞を読まないことを機関紙で糾弾するのはやはり、大きな違和感がある。
国が保障する個人の思想言論の自由を制限しようとしていること、どうしてそこに想像が及ばないのだろうと、不思議で仕方がない。
議員家族、特に子どもの立場では、親の扶養に入っているうちは何かと言われるだろうが、成人し、職を持ち、自立すれば晴れてアレコレ言われる立場を脱することが出来る。
公明党議員の子どもが学会を退会しても、自民党議員の子どもが民主党支持者になっても、共産党議員の子どもが自民党を支持しても、自由なはず。
議員たる親の体面上は不都合ではあるけれど、最終的には個人の自由は保障されてしかるべきではと思うのだ。

ところで、税金で給与を得る議員に似た立場の人間達が、他にもいる。
学会員の財務から給与を得る立場の専従の幹部や職員の学会員である。
議員同様、学会員から厳しい目を常に注がれる存在である。
その代表がいわば罵倒座談会のメンバー。
議員とその家族に対する座談会における発言はそのまま、彼らの身に返ること。
彼らを含む学会専従者達に当てはまってしまう。
模範だなんだと上から目線で言っているけれど案外、「俺らだっていろいろ言われて我慢してるんだから、そっちだって我慢しろよ!」というのが本音だったりして。

もちろん、私はどこぞの罵倒座談会とは違うので、学会専従者の家族に対しても議員家族に対する視線同様に、過剰に厳しい目を向けろとは思わない。
財源が財務とはいえ労働の対価であり、家族にも個人の思想や行動が保障されているのは議員と同様だと思っている。
専従幹部の子どもが学会を退会する自由だってある。
公明党議員の子どもや専従幹部の子どもが「学会のおかしさに気付いてしまった」場合、一般の学会員以上の苦しみはあるだろう。
親の職業を考えればとても難しいことは承知だし、この罵倒座談会のように行動や言動、態度にアレコレ言う学会員がいるだろう。
それでもあなたのその手に「自由に生きる権利」があることを忘れないで欲しいと思う。
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