罵倒座談会に新人がデビューするかもしれない。
公明党を離党を希望し除名された、参議院議員 福本潤一氏である。
と、茶化しても仕方がないので、まずはご本人の離党に関するメッセージを読んでいただきたい。
「こちらが手弁当で勝たせてやったにも関わらず離党するなどと裏切り者!」と既に問答無用でお怒りの学会員もいるだろうと思うけれど。
http://homepage3.nifty.com/~fukumoto/
彼は今までの「公明党離反者」とは明らかに異なる。
もし、そんなこと関係ないとばかりに、福本議員を罵倒座談会に取り上げるとするなら、それこそ創価学会は愚かだとしか言いようがない。
学会員の中にも、福本議員と同じ疑問を抱いている人もいるかもしれない。
彼が言わんとすることを、皮膚感覚で感じ取っている人もいるかもしれない。
さらに福本議員は学会員活動家による、異常な選挙活動のことにも触れていらっしゃる。
その中でも疑問や負担を感じ心身の健康を害している人々の存在を文中で紹介し、さらに「申し訳ない」と記した議員が今までいるだろうか。
かつてどんを取り巻いていたあの歯がゆい狂乱の日々を、議員が把握し謝罪されていたことが単純に嬉しかったというのが、メッセージのその箇所を読んだ私の率直な感想だ。
学会や公明党が取り上げない・何の対策もしなかったそれらの問題を取り上げて謝罪までした人を罵倒することは、選挙活動のために心身の健康を害した学会員達を無視する行為だと言えよう。
公な批判が無くとも、もしかしたら「あの福本さんってね」と悪い評判が現場で回ることもあるかもしれない。
もちろん私はこの方を知らないし庇う理由もないが、「先生のために」と考えられる人とそうでない人との物の見方は違うという事実を踏まえれば、「悪い評判」が発生する経緯に「学会ならではの価値観」「学会フィルター」が介在していることが察することが出来ると思う。
新聞で罵倒されなくても、そのような悪い評判が流れるとするなら、私は「何らかの意図」を疑うだろう。
「週刊現代」(7/7号)にも彼の告白をまとめた記事がある。
まず最初に議員であり学会員という自らの立場を、いわゆる「池田名誉会長崇拝派」ではなく、途中入会の「日蓮仏法」信仰者と明確にして始まる告白は、スキャンダラスなものではない。
おそらく、内部の事情を少なからず知るアンチや、現場レベルで学会に疑問を持つような学会員にとっては「ありそうな話だ」と感じるのではないかと思う。
なんせ、あらゆる意味で学会員の目は公明党議員に対して厳しい。
一見、有権者として健全に見えるそれらも、自己を犠牲にしてでも「議員を選挙に勝たせてやっている」という強烈かつ過剰な自負が一端である(福運に繋がるとかいう輩もいるけど)。
さらに「議員がなんだ、大臣がなんだ、一番偉いのは庶民だ」というような(どこかで聞いたような)権力・権威に対するアンチテーゼが学会の中には根強くある(権力を批判しながらその権力や権威を求めて勲章や表彰を一面トップでひけらかして喜んでるの誰だっけ)。
正論にも見えるが、そこには国政という責任ある大きな仕事をする相手に対する労りや尊敬は感じられない。
これもまた公明党議員への「厳しい目」の一端であるといえるだろう。
現場レベルにまで「厳しい目」が浸透しているのだから、思想や利権・権力が濃く絡む上層部同士のそれらはさらに壮絶なものだろうと察するのは容易だ。
公明党と創価学会は一枚岩ではない。
それぞれの異なる思惑がそこに存在している。
しかし告白記事からは、やはり公明党は支持母体たる創価学会の意向には逆らえないジレンマが、伝わってくる。
その点は公式サイトのご自身の文章を踏まえて読むと、さらに強いものとなる。
環境の専門家として国政で成しえたいことと、学会(現場・上層部)から求められるものの大きな差。
環境関連の法を成立させることが出来たものの、党や支持母体の体質の目をそらせぬ問題。
平和、環境、福祉などと大風呂敷を広げながらもその中身は、支持母体のための政党だったという現実は、良心がある人ならば「受け入れがたい」ものだろう。
……良心以前に長いものに巻かれて生きていきたい人もいるだろうが。
私は公明党から「たった一人の人間を崇拝する人々が権力を持つということの、不気味さ」を常々感じていた。
この記事で語られる内容からも、同じ不気味さ感じている。
テレビの政治系討論番組でお馴染み、表面的には「国政」を語る、アノ議員も、コノ議員も、「(率先して)先生のために!」か「長いものに巻かれて抗わない」な人々だと言うことだ。
この記事は次号も続くらしい。
興味深く読んでいこうと思う。
大企業で開発研究に携わる人間が、学会職員として学会に引き抜かれた。
いわゆる創価大学卒の純真培養系の他の職員や学会幹部と折りがあわず、今は閑職だと言う。
今回の福本議員の件を知り、私はそのどんの知人の話を連想した。
優秀な人間を集めたいという学会の思惑があるのだろうが、いくら優秀でも生かせる畑がなければ意味がない。
人材の使い方を間違えるのは、社会に対しての罪だとさえ思う。
公明党は、地球環境問題のエキスパートとして福本議員を擁立しながら、彼の本分を最大限に発揮させる環境ではなかったということだろう。
実績のある方なようなので、他党から出馬されるようであれば頑張って頂きたいし、仮に国政への道が叶わなかったとしても、また元の研究分野で社会のためにご活躍をしていただきたいと思う。