妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2006年12月

学会のある年末


クリスマスイブに長時間唱題会をやるのは地区幹部のエゴと意地である。
断言するのも乱暴だが、他に理由が思い当たらない。
長時間唱題会をやる時期は別にその日でなくたっていいわけだし。
キリストに喧嘩を売り、というほどのものはないだろうが、クリスチャンでもない日本人が浮かれるのに天誅を下すつもりか、それとももはや日本の風俗的習慣と化したクリスマスを楽しもうと浮かれる学会員を引き締めるつもりか、はたまたクリスマスイブ以前に年末の糞忙しい時期に唱題会を決行しやがった地区幹部は暇で暇で自分の暇さ加減に悲観して他人に巻き添え食らわせるつもりか(前回の幹部と今年の幹部は違うはずなのだが、毎年クリスマス時期は暇な人間が幹部になるのか。幹部になる条件が「クリスマスは暇であるべし」なのか)
今日び、未来部でさえクリスマスを楽しみにするこの学会ご時世にもかかわらず、敢行される名付けて「クリスマスイブ唱題会?クリスマスなんて大嫌い!!なんちゃって?」。
長時間の唱題会は控えるようお達しがあるというが、それでもまた敢行されたところを見ると、本部に求心力がないのか、本部(エリート)vs現場(たたき上げ)の縮図がここでも発揮されてるのか。
お達しを無視するのなら、財務や新聞啓蒙等々のノルマも無視すればいいのに何故かしないのが不思議なところ。相変わらず反抗具合が中途半端で気にくわない。
いっそ、本部に「我、長時間唱題会決行ス!」と電報でも打って宣戦布告して某角川の倉庫に眠っているであろう角川製61式戦車(作り物)を借りてきてエレーナと名付け三色にペイントして泥団子とかペンキとか下手物系とかぶっ放し中心会館に立て籠もりながら長時間唱題会すればいいのに。BGMはもちろんTM NETWORKの「SEVEN DAYS WAR」。(気合いバリバリ)活動家学会員1名、(おそらくお付き合い)未活学会員1名、(営業なのか本気かは不明の)細木信者1名で構成される(我が青春の)ユニットの名曲を大音量で流せば気分が盛り上がるに違いない。…本部からは止めにも来ないと思うけど。(今年の我が家は「80年代カルチャーを振り返る」のがブームでした)

話が逸れました。

で、どんが数時間拉致られ出ることに。
着任だかなんだか知らないが、たかが数時間、されど数時間。
イブ以前にこの男、月曜納期の仕事が(笑)←笑うしかねー。
貴重な1時間を地区幹部様に差し出すらしい。その幹部ってさ、手伝ってくれんの?仕事。
「やめとけば」と一応、止めてみるも「誰かがその分代わりに出なきゃいけなくなるからさ…」と、心優しくも完全に付け入れられやすいお返事。
「じゃあ皆で断れば?。年の瀬にこんなことやってるほうが迷惑なんだから」
なんというか、去年一昨年もあったような光景なのだが、もう振り返らない。過去記事読み返しに行ったりはしない。
せーの、で皆で断ればヨロシイのだ。
正直「迷惑だなあ」って感じてるのはどん一人ではあるまい。
なのに断らない。断ると面倒臭い波風が起きるから。
わざわざクリスマスイブに意地で唱題会敢行しちゃうような地区幹部である。周囲や世間を冷静に見ているとも思い難い。逆らうとろくな事がないんだろうと予想。
「仕方が無いなあ…」と苦笑めいた本音を隠して会館に集まってもらってそれで幸せか?決してあなたに地区の部員を統率できる力があるわけではないんですよ?地区幹部殿。
ただ、喜び勇んで長時間唱題しちゃったり着任しちゃったりする人がいるかもしれない。
そういう人はもう、地区幹部と共に好きなだけ唱題して脳内物質を放出すればいいと思います。ハイ。

人を巻き込むな。断れない人も巻き込むな。
断れない人がいるから、こんなことが続くという側面もある。
そりゃ皆、波風荒立てたくないでしょう。
嫌だなあ、面倒だなあと思っても、ハッキリNO!と言うのもその後のことを思えばまた面倒。
いい大人なのに「信心がなってない!」幹部指導なんて受けちゃった日にゃあ。
だからって自分の仕事や家族行事犠牲にしていつまでもいつまでもお付き合いしちゃうから、クリスマスイブに唱題会を敢行するような幹部がいつまでも燃えて暴走するわけで。
一人で燃えてればいいのだが。なんで巻き込むかな?
「一人で長時間唱題会?クリスマスなんて大嫌い!!」でもやってればいいのに。
あ、それが出来ないからクリスマスイブに長時間唱題会やってしまうような幹部になるわけなのね。
なんだかループしてきたぞ。

そんなわけで数時間後に帰宅したどんに待ち受けていた試練。
「クリスマスプレゼント買ってください。クリスマスケーキも買いたいのです。仕事置いて会館行けるだけの時間の余裕があるんだろ?。あんたクリスマスプレゼントいらないよね?あんた学会員なのにクリスマスプレゼントが必要なの?」
妻の意地悪。可哀相に可哀相に、どんさん可哀相に。
ほら地区幹部、君の意地のせいで部員さんがアンチ妻に意地悪されるんだぜ?(違)
かくして、日本の風俗行事になってしまったクリスマスを普通に楽しめるアンチ妻の華さんはアニエスのお財布(1万4千円)を買ってもらい、美味しいケーキも買いに行くことが出来ました。
でも華さんは、その夜ご馳走を作ってどんさんと楽しんだ後、どんさんの仕事を手伝って、どんさんへのクリスマスプレゼント購入を検討しました。
結局、楽しんだんじゃん優しいじゃん。私も許すからいけないのか?ループだな、こりゃこりゃ。
これで終わりかと思いきや。

ところがどっこい、本日。
年末の糞忙しいのに、どんはまた着任です。年末の警備です。
「……テ、テロが起きるかもしれないし」
起きるか馬鹿!どんの言い訳もネタ風味。
小出し小出しに時間を見つけては掃除をしていたとはいえ、年末ギリギリまで仕事をして、そして帰省を控えた私たち夫婦にとっての今日は貴重な大掃除な日なわけだが。
一日中どんがいません!
そんなわけで一人で大掃除である。
なんというか、去年一昨年もあったような光景なのだが、もう振り返らない。過去記事読み返しに行ったりはしない。
洗剤片手に一人、台所のしつこい汚れと戦い、風呂の汚れと戦い、窓の汚れと戦い。
仏敵との戦いも広宣流布の戦いも平和の戦いにすらなってない戦いも、正直どうでもいいから、こっちの掃除の戦いやれや!と怒り気味。
どんの活動が減ったとて、肝心な時に駆り出された日にゃあよう。
去年までのことを思えば、これで我慢するべきか、いやいや譲らないべきか。
譲ってしまうと、またズルズルつけ込まれそうだしなあ。
空気読めない、間が悪し、創価学会。
本当に、私とは気が合わないウマが合わない創価学会。仲良くしたくもないのだが。お互い様か。
とにかく来年もブログでごねてやる。

さっき、なんとか掃除を終わらせて(どんのために一番面倒な箇所の掃除を残してあげた!)、この記事を書きながら天皇杯サッカーの中継を見ていた。
地元チームはもう敗退しているので、なんの思い入れもなく観戦。
コンサドーレもここまで。ガンバのツネ様「いってらっしゃいゲーム」は元旦に。レッドブル・ザルツブルグのレッドブルってF1チームのレッドブルと同じ資本なんですね。初めて知りました。
レッズの永井選手はいつ見ても美形。と、わざわざ書いてしまいたくなるほどいつ見ても美形。セルフプロデュースの写真集出したらしい。見たい見たいけど買うほどでもないけど見たい。
アウェイで来たときのスタジアムで見る時は美形かどうかも判別できないほど遠いので、その点ではテレビは良い。(ちゃんとサッカー見てますよ!)
レッズも元旦に。リーグ最終戦と同じ対戦カード。
実家でどんとのんびり見るのだろう。
そういえば、新年勤行会のお誘いがあったようだが、どんは「実家の会館に行くので」と断っていた。
すいませんね、嘘なんですよ(笑)。しかし嘘も方便。
あちこち波風立てたくない、どんなりの気を使った嘘。
それが良いのか悪いのか、よく分からない。
学会を辞めることとは信仰を捨てることは違うのだがら、白黒ハッキリつけてほしいと思うけれど。
それもまた彼の人生。
そのどんが学会に食われないよう、牽制しつつツッコミつつゴネつつ笑い飛ばすのが、私の人生。
来年もまた続きます。

読んでくださる皆様、コメントをくださる皆様。
今年一年、お世話になりました。
おかげさまで、(去年に比べたら、これでも)まったりとした年末です。
皆様のご愛顧と応援のお陰でもあります。ありがとうございます。
来年も、当ブログをよろしくご贔屓に。
では、良いお年を。

使えるもんはなんでも使う

12/14の聖教新聞例の罵倒座談会は、学会の系列学校の事だった。
並べ立てられる「優秀な人材が様々な分野で大活躍、部活はトップクラス」。
……素晴らしいことですよ。
ええ、生徒さん努力なさったんですね。
でも。
いくらなんでも、その手の賛美は過剰すぎないだろうか。
宗教の権威以前に、学校教育の現場である。
学会の権威のために、名門校になることが目的なのか?
いじめが起こらないよう取り組んでますとか、部活を卒業まで一生懸命やりますとか、勉学に取り組んでますとか、ボランティア活動に取り組んでます、とか。
目立つ成績にだけスポットライトを浴びせて学会の権威を誇示よりも、学校教育ならもっと別の視点が必要なんではないだろうかと思うのだが。
大人がそんなふうに過度に煽るのって、どうなんだろうなあ。
多感な時期に、大人から「君たち特別」感覚や、「優秀な人材になってね」という期待を必要以上に背負わされるのは良いこととは思えないんだけど。
もちろん生徒間の競争は必要だと思うし、能力を伸ばすための努力は素晴らしいとも思う。
でもその結果が新聞で学会の誇示に使われるのって、なんというか、生徒に対する褒めどころ?が違うというか、結果が出ていなくても地道にコツコツ頑張る生徒に対する視点が抜けているというか、優秀な結果だけを取り上げて経過をおざなりしているというか、生徒本人を置き去りにしているというか、とにかく学会のためにも君たちは優秀でなければならん!と言うニュアンスがひしひしと伝わってくるというか、生徒の努力に対する結果を組織のプロパガンダに使うのってなんか引っかかるというか、最終的には「こういう素晴らしい人材を育てた学会と名誉会長凄い!偉い!」と言いたいだけちゃうんかというか。
ま、別に生徒さん本人が「学会のために!先生のために!」とか思っているのならいいのだけれど(思わされてるともいいますが…)。

どんが未来部を担当していたとき、その学校を受ける予定の2世・3世の中学生が何人かいたそうで。
その面接の練習をしていたときのこと。
幹部が、今回の座談会の如く「この学校は国会議員が何人も送り出しているからね!」と意気揚々と語ったところ、その中学生の一人が冷静な顔でしれっと「つーかそもそも学会員が公明党議員になってんだから当然じゃないすか?」と答えたとのこと。
どんは吹き出しそうになり、幹部は「まあ、それはそうなんだけど…」と苦笑していたそうだ。
確かに、そういう目で持って見れば、多くが学会員の公明党議員の中における系列学校出身者が多いのは当然のこと。様々な党に属する議員を多く輩出した他の学校とは意味が違う。
かつてを思い出せばすぐ思い当たること。この年代は純粋無垢な存在ではない。
そして意外にクールで、世の中斜めに見てしまう時期だったりする。
十代以上に純粋になってしまっている(純粋を振る舞っている?)学会大人達の煽りを、その年代なりの鋭い目線で見る生徒さんもいるのかもしれない。

座談会を読んで思うのだが、毎度毎度えげつないというか、例え同じ学会員とはいえ様々な立場の人間に対する優しい目線がないというか、庶民とか言うくせになんだかんだで権威主義というか、学会権威誇示のためなら使えるもんはなんで使うというか。
そもそも教育に一番相応しくないのがこの座談会企画だったりするんでないかいなと。
新聞の座談会は、学会員にたいするゲキとかアピールでしかなので、今回も学会中枢部の権威目的な身勝手な期待と煽りでしかないと思いたい。
学校現場でそんな空気が持ち込まれているとは、思いたくないなあ。
何度も言うようだが、「学校教育」、なんで。
教育は優秀な人材を作り出すため だけ にあるのではない。
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