妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2006年06月

無責任な船頭達がいる船

寝不足。
理由は言わずもがな。
とはいえうちは地上波だけなので、さほど深刻でもない。
BSだスカパーだと見られるサッカーファンはどういう生活を送っているんだろうと思う。
W杯に沸きつつも、我が地元チームの中断後のJリーグ試合日程表を確認して「次は何戦を見に行けるか」と自分の予定とにらめっこ。今年はまだ一度も行けてない。
W杯がきっかけで贔屓の選手、贔屓のJのチームが出来るという人もいらっしゃるだろうと思っていたのだが、W杯人気は必ずしもJリーグの人気(入場者数)に結びつくわけではないらしい。
Jリーグメインのサポの皆様のネットでのやりとりを見ていると、そんな話も出ているし、過去のデータでも明らかになっていることらしい。
あんまり考えたことなかった。結びつくもんだと思っていた。

世間の関心、という点に置いて象徴的な出来事があったというのを聞いた。
他県で行われたオーストラリア戦のパブリックビューイング。
トークショーもあってその県のJリーグチーム(しかも強豪)の選手がゲストで登場したそうなのだが、会場は「あれは誰?」と言っている人が多かったとか。
そんなものなんだな…。

8年前、日本がW杯初出場を決めた折り、ヒデが「Jリーグもよろしくお願いします」と言っていたのを思い出す。
Jもなでしこも代表もすべては連動している。
Jへの関心が、代表だけでなく、日本サッカー全体のレベルアップに繋がる。

-------------

ちらり、と聖教新聞を見て、相変わらずな綺麗事で、と思ってしまう。
一面の下部「名字の言」。『職場で膨大な仕事をし心身共に疲れて創価班の着任、普通なら疲れが増すのに「不思議と生命力がみなぎってきた」。また別の人はようやく帰宅したところに部員から連絡、あすにした気持ちを抑えて悩み相談、激励で自分の悩みも吹き飛んだ気がした』
『大変な中にこそ友に尽くすから境涯が開ける』そして御書の引用をして、『学会活動に一切無駄はない』と続ける。そしておきまりの『功徳』。
ほう。
そうですねぇ、がんばったらがんばっただけ、心は成長するでしょうけどねえ。
でもそういうことはね、がんばらせることの程度が、常識と度を越している組織が言っちゃいけませんよ。
生活を選んだどんは、家庭崩壊させた方々は、鬱病にまでなった方々は、ダメな学会員とでもいいたいですか。
なんて、そこまでは言わないが、そんな記事を読んで良い気持ちはしない。
人の気も知らないで、無責任なことをおっしゃる。
最終的には精神論に行き着く、その発想が安易だ。
スポーツじゃねえんだよ。気持ちだけで走らせるなよ。
人生のペース配分、そっちが指示するなって話。
「不思議と生命力がみなぎってきた」としても、確実に体は疲労する。
現実問題、体は休まらないのだから。
もちろん気の持ちようが体に良い影響を与えることはあるけれど、心と体がバラバラになることもあるし、気力が体を追いつめることもある。
妄信だってバリバリ活動して心充実!と思っているかもしれない。でも、体が悲鳴を上げていないとは限らない。
末端会員への多大なる負担をいつまでも解決できない組織が、無責任に綺麗事を書かないでいただきたい。
具体的に解決する気がないから精神論でなんとかしようとしているのか。

こういう記事を見ると「活動家が減っているんだな、その繋ぎ止めのための激励記事だろうな」と思う。
そして、苦む人が、たくさんいるんだろうなと思う。
どんもその中の一人だった。
活動家が減っている、負担に感じている人がいる、その根本の理由がどこにあるのか知っているのだろうか。
根本の理由も解決出来ないまま、『がんばったら云々』なんて記事は余計に追いつめるだけ。
追いつめた責任も取れないくせに何をおっしゃると片腹痛い。

信仰という特性があるから訴えられないだけで、企業だったら立派に労災だ。
その企業でさえ「働き方」について見直しを模索しているのに、「ガンバレ!ガンバレ!功徳だ!ガンバレ!友(というより学会)のため!」の精神論で何とか出来るとお思いなのだろうか。
でもそんな記事で決意を新たにがんばってしまう人がいるから、悪循環はなくならない。
がんばりたい人はご勝手にと思うが、がんばれない・がんばらない人はそっとしておいていただきたい。
とはいえ活動離れが増えているおかげで、負担が増えて、いくらなんでも「がんばればがんばるほど自分の身も危険」ということに気づくと思うけれど。
それを打開するための、活動家増加狙いの激励とか活動のお誘いとか、必要ありませんからね。

どうせその船は好き勝手言う無責任な船頭だらけ。
一応、本尊なる帆を掲げてるらしいけど、本来の目的たる信仰はその船にあるのだろうか。
漕ぐことが目的になっているそんな船を、無理してがんばって漕がなくても。
船頭達はその船の中のことしか知らないから、その船以外ではやっていけないから、船頭自身が沈みたくないから煽ってるだけ。
無責任な船頭が自分で漕げばいい。
どうせ漕ぎ手に負担しかかけられないんだし、解決方法なんて思いつかないんだろうから。
沈みたくないなら、無責任な激励して人に漕がすよりも、自分で率先して漕いだほうが、よっぽど尊敬してもらえるよ、船頭さん。

激励記事から、人への温かさは見えない。
冷酷さしか、感じない。
相変わらず、人の扱いが非道な組織である。



mocoさん、無事なようで本当に良かった。
どうか一日も早く平穏な生活が訪れますように。
弟さん共々、心身ともに健康を取り戻されますように。

無用の長物

創価のその字も思い出さない、毎日配られる薄っぺらい新聞は生ゴミ専用、どんは静かだし、日本代表の中に創価色の付けられた彼がいるけど知らない知らない気づかない、こないだCD買いにいったら例の三色の腕章に口づけたバッジョのDVDとか置いてあったけど見てない見てない何も見てないあーあーあーあーあー。
強引だが平穏な日々を送るそんなこの頃。
こんな日が続けばいいと思うわけだが、続くわけがない。

姉さん!事件です!

まだ、若い女性が二つも墓を持っている。
彼女はどんの仲間の姉妹で、もちろん学会員である。
その墓の場所は、学会事業の募苑。
各地方で色々言われる、九州に至っては最近内乱騒動に発展した、学会事業の募苑である。

当初、どんの地方に募苑が出来たとき、「作ったから必要な人は買ってね」というノリだったらしい。
それが、ある時から会合で「いいから買え」に変化したとのこと。
とにかく強引に広宣流布とか、名誉会長のためとか、無理矢理結びつけて会合で幹部が墓を買うように言うようになったという。
取り憑かれたように語る幹部もいれば、中には、自嘲というか自虐というか自暴自棄というか、「上と下からの板挟み感」を漂わせて語る人もいたようだが、そういう人は悪徳セールスマンにも学会幹部にも向かない。
さておき、幹部の状況からも察せられるように、当初の学会員の自発的な購買に任せていたら採算がとれなかったと、そういうことかどうかは知らないが、何が何でも売らねばならなくなったと。
結局のところ、売るための手法は一点。
広宣流布とか、名誉会長のためとか、精神的なオプションを付ければ抗えないし財布のひもも緩むはず。

そんなわけで、二つも墓を買ってしまった女性がいる。
聖教新聞を二部購入するのとは訳が違う。一部友達にあげるように友達には墓はあげられない。
一体、自分をどう納得させて二つも購入したのかわからないが、二つも売る方も売るほうである。
常識から考えて二つも売りつける意味がわからない。
さすがは、学会。
常識すっとばして売れればいいのか。
相変わらず「目的がわかりやすい」団体である。
それとも広宣流布のために墓を二つ持つのが学会の常識なのだろうか。
ちなみに、その各地の学会墓地には三大会長の墓もある。
分骨されているのかどうかは知らないが、おそらくモニュメント的な意味のものだろう。
墓に入っても名誉会長とご一緒とは、こりゃこりゃ。
各地に三大会長の墓がいくつもあるからって、学会員までいくつも墓を持つ必要もない。

ところで、私の身近にも墓を買ってしまった男がいる。
どんである。

私と出会う以前の話だ。
幹部の必死すぎる強引な煽りに乗せられ、買ったらしい。
90万円。
墓にしてみりゃ相場は安いとかそういう次元の問題ではなく、お前、何を乗せられとんねん。
「いやー、あれはね、霊感商法のようだったね」
遠い目をするな遠い目を。
「そんな商法に乗ってるのに、お前はまだ学会にいるのか!二つも買わされた人もいるのに!」
怒鳴りつけると「悪いことばかりじゃないし」とゴニョゴニョ。
「その発想を現実逃避といいます。洗脳といいます。ご存じでしたか?」
勘弁してくれぇと、どんは泣き真似をした。
どうせ外野が辞めろと言っても聞きいれないだろう
活動そのものを自粛して生活と仕事と健康を守るようになったどんに、私は今以上のことを望むことは出来ないかもしれない。
そこが私の変わらない苦悩でもある。
自分で学会のお馬鹿さんなところを分かっていても、「自分の信心には関係ない」(←逃げ口上)「行く末を見届けたい」(←それはわからんでもないが)とかなんとか言って組織を離れないどんの頭の中を覗いてみたくなる。
いっそ、誰か仲間の一人がどんに対して嫌になるほどの妄信的行動を取ってくれはしないかと鬼のようなことを考えてしまうのだが、典型妄信学会員が身近にいないらしく、いつまでも学会性善説を信じていられるようだ。
加えて、役職持ち男子部ながら、いつまでも(むしろ永遠に)「外部妻」である私に関して好き放題吹聴してくれた地区の濃ゆ?い婦人部一派とはあまり関わることがないせいもあるだろう。
仕方がないので、こうしてブログのネタにするしかない日々が続くわけだが。

話がそれた。
で、なんで急に墓の話題になったかというと。
先月の週刊新潮の学会墓地の記事のニュースである。
その後に覚醒剤事件が起きて墓地のことは頭の片隅に置いていたのだが、昨日、ふとその記事とセットで思い出したことがあった。
「…どんのアルバムに、どんと墓の写真がある」
没個性の墓の並びが日本的ではなく、なんだか違和感を感じたあの写真。
以前、この墓の所持者について問いかけた時、どんは「同じ苗字があったから、撮ってみた」と言っていた。
その時は信じた。なぜか信じてしまった。
あの墓を購入するなんて、どんの趣味やセンスなら考えられないと思ってしまったからだ。
あれだけ故郷を愛し、故郷の山河の中で眠りたいと願う男が、こんなことをするはずがないだろうと。

…………………。
しかし、今にして思う。見ず知らずの人間の墓を、同じ苗字だからって、撮影するか?
墓だぞ、墓。
再度、尋問。

ヤラレタ。
(私はどんの冗談や嘘にすぐひっかかる…)

「おおおおお怒られると思って」
「怒るわボケ!」
「ごごごごごごごめんなさい」
「嘘をついていたことのほうが腹立たしいわボケ!」
怒られると思って、ということはどん自身にも十分後ろ暗い買い物だったのだろうと思う。
結婚前、出会う前のこととはいえ、正直に話してほしかった。
なぜなら。
「あんたと私が二人まとめて死んだとする、そしたらどうなるの?そりゃ常識的な対応をするお仲間もいるでしょうけれどね、常識を知らないで学会第一の幹部がしゃしゃり出てきたらどうすんの?田舎者のうちの親と年取ったあんたの親が百戦錬磨の学会員の口先に叶うと思うか?!そりゃ死んだら何もわからんだろうけれどもさ、二人揃ってこの墓に入れられたらどうすんのさ?化けて出るぞ?ぁあ?」
どんは、ハッとした顔をした。…その可能性を考えなかったらしい。
どんは聡明である、と思うと同時にその正反対のことを、このごろ思う。

煽られて乗せられて、買うこと自体が目的になっていたようだ。
「広宣流布」の看板に釣られたのだろう。
多くを語らないが「霊感商法のようだった」と遠い目で呟いたところを見ると、他の霊感商法でもお決まりの、むしろ全世界的に定番の手法「天罰系で脅して対策として物を買わせる」が発揮され、「仏罰が」てな脅し文句も飛び出したのかもしれない。
そもそも、当時のどんは青いバリ時代だった。学会的煽りに乗せられやすい思考だったのだ。

しかし時間がたち、冷静になれば、どんの心境は変化した。
自分には故郷に先祖代々の墓がある。
どんの両親はどんが墓を買わされたことを知らない。
信仰はどうあれ、やはり生まれ育った風景が見渡せるその墓で眠りたいとしか思えない。
ノスタルジィに生きる男、それがどんである。
故郷を離れていても、帰省は欠かさず、地元の祭りに顔を出し、故郷の山河を愛し、幼い頃の思い出を大事にする男である。
そういうわけで結局、どんは墓を返還するつもりになったらしい。
そして、そのまま忘れたと。
つい昨日、唐突に私から「あんた、あのアルバムの写真の墓」と言われるまで。
どんは聡明である、と思うと同時にその正反対のことを、このごろ思う…。

この機会に返還することになった。
とりあえず、どんの仕事が落ち着き次第、募苑に連絡することから始まる。
返還できることは書類にも明記されている。
その先がどういう経緯になるのか私は知らないが、金を返せと言うわけでもなし(私の金じゃない)、各地で散々揉めて評判のよろしくない事業でもあるというし新潮にも取り上げられているし、揉め事は困るのはあちらさんだろうからすんなり行くのではないかと思う。
行くはずである。
ごねる権限は相手にはないはずである。
きっと。
おそらく。
多分。
大丈夫だろうな、あ?

一寸先は闇である。何が起こるかわからない。
死んでしまったら何も分からない。分からないからこそ、生きているうちに死後の心配事は整理しておいたほうが良い。
エロ本とか人に見られて恥ずかしい日記とか莫大な財産とか、無用の墓とか。
記事検索
QRコード
QRコード
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: