妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2006年03月

ストーリー

おじゃまもんこと、ヒューザー元社長小嶋氏が、ヤケになって週刊朝日に色々暴露しているらしい。
どうせなら証人喚問の段階でヤケになれば良かったのにもー、もー。
ヘッドラインはネットで読んだが、記事をまだ読んでいない。
というか。
どこにも週刊朝日が売っていない。
仕事にかまけてたら出遅れたらしく、もうどこにも売っていない。
既に次の号が発売されようかという勢いである。
ああ、もう。

ふと思ったのだが。
与党に絡む公明党の権力と学会員の動員力も、業界内の学会員同士のネットワークも(有利に動く互助組織?利害関係?)、十分に利権で強みになるのだろう。
恩でも売っておけば、そら将来、何に転ぶかわからないし。
権力をお持ちっていいですねー(棒読み)
羨ましいですねー(棒読み)
はい、嫉妬嫉妬(棒読み)


で、今回はこんな話題ではない。
WBCで日本が優勝して大変嬉しい。
勝利の興奮も覚めやらぬこの頃ではあるが、気がかりなことがある。
サッカー。
私は野球よりサッカーなのだ。
今年はドイツでワールドカップもある。
気がかりなのは日本代表なのかというと、そうではない。
もちろん気がかりではある。
だが、6月のドイツよりも気がかりなことは今。
贔屓チームの調子の悪さ。
非常に精彩を欠いている。
まだ開幕戦。されど開幕戦。
しかし開幕戦でこの調子では先が思いやられるのである。
素人目で今はなんとかやれている感もあるが、いつまで持つ分からない。
最悪J2に降かゴホゴホゲホゲホ
いや、諦めてはいけないのである。
サポーターが諦めてはいけないのである。
野次だって飛ばしちゃうだろうけど(テレビ前で)。
諦めてはいけないのである。
諦めてはいけないが、目をそらしたくなる。
そういうわけで、WBCで誤魔化してみたりしていたのである。
………………。

どこぞの大型掲示板でも言われていたが、舞台裏含めて映画のようじゃないですか、WBC。
ストーリーがあるじゃないですか。
思うように勝てず、誤審に泣く。
しかし同じく誤審に奮起したメキシコが勝利のアシストで準決勝進出、一度ならず二度も負けた韓国相手に大差で完封勝利、そして決勝進出。
待ち受ける世界の強豪相手についに!
苦しい思いをしながらもまとまっていくチーム、クールだったメジャーリーガーが闘志を剥き出しにし、ここぞと言うときは職人のような働きをし、リーダーシップを発揮。
いつしか純粋に、少年の頃のように、野球を楽しむ選手達。
優勝の喜びの中に生まれるのは、チームに別れを告げなければならない悲しみ。
選手達は、優勝の喜び以上の大事なものを心に刻み、それぞれのホームチームへ帰っていく。

こういうストーリーが贔屓のチームに欲しい。
……目は全然それてないですね。誤魔化されてもいないですね。嗚呼。
今は不調に喘ぐ我がチームも、この先どう転ぶか分からない。
これからチームの波瀾万丈劇的ストーリーが展開されるかもしれない。
まだまだわかんないぞ。それがスポーツ、それがサッカー、それが………。
……。

選手一人一人には、それぞれのストーリーがある。
勝利の裏で、負けの裏で、スランプの裏で。
そのストーリーに思いを馳せたくなる本を紹介します。
過去記事(http://blog.drecom.jp/hanagogo/archive/127)でも紹介した、
「俺が近所の公園でリフティングをしていたら」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093876487/503-6228528-4818332
出版されました。祝!
加筆・修正されているので、2ちゃんねる版とは違う楽しみがあります。

のし上がっていく熱さを楽しむも良し、
淡い恋心を思い出すも良し、
自分が主人公になって憧れの選手達と共に戦うも良し。
そして、読み終わりの爽快さと共に、贔屓チームのストーリーに思いを馳せてみる。
………………。
嗚呼orz (結局、元に戻る)

まとまっているようでまとまっていない本日。
主人公、樋口が我がチームに欲しい。以上!

答え ?どんの失態?

どんが勤行するために開いた仏壇に、新たな紙が貼ってあるのが見えた。
「人生の優先順位を考える、NOと言える勇気を持つ」
白い紙にどんの字で油性マジックでデカデカと。
申し訳ない・仕方ない、と言いながらも、どこか当たり前のような顔をして活動に出て行った以前には考えられなかった光景である。
ゲキョゲキョやりはじめたどんに背中を向けて部屋を出る。
なんだかんだとゲキョゲキョやっているが、それでも肩の荷が降りたような気がした。

昨年のクリスマスイブとクリスマス、両日ともどんは家にいなかった。
イブは着任、クリスマスは学会絡みでどんの手違いで。
隣の市の会館にいる仲間に、今日〆切の書類を届けに行くだけだから、すぐ戻るから(隣の市なのに?)、そう言い残して出かけたどんを私は待った。
時間は流れていく。鍋の中のカレーは冷えていく。
そもそもこのカレーはどんが好きだから作ったのに。どんも喜んでいたのに。
ブログを更新してみる。
手元にあった聖教新聞を裂く。ひたすら裂く。
こういう時は八つ当たりに限るのである。
山になった聖教新聞の残骸。それでもどんは帰らない。
ごそごそと残骸を弔いよろしくゴミ箱に突っ込む。
事故にでもあったかと心配になる。電話をかけてみる。連絡は付かない。
クリスマスだからどう、という問題ではなかった。
淋しいとかいうくだらない次元の問題でもない。
こんなことは日常茶飯事でもある。
だが、どんは「すぐ戻る」と約束をしたのだ。
約束を破られた。破るような事態があったという報告もない。
「遅くなる」という連絡ひとつ寄越せばそれで済むことなのに。
好き勝手に暮らせる独身ではないのだ。妻という人生の途中まで他人だった人間と暮らしているのだ。
そんなに学会を優先したければ、最初から女子部と結婚すれば良かったのに。
「生活圏内の周囲を学会家族で固めるのは息苦しい」などと勝手なことを言って学会員ではない人間を伴侶に選んだ癖に、せめて連絡するくらいのフォローは出来ないとでも言うのだろうか。
要は甘えているのだ、この男は。許されるとでも思っているのだろう。
信仰のためなら人に迷惑をかけることは構わない(気づかない)、どん自身が嫌がる学会員クオリティは、どんの中にも根付いてるようだ。
本人は何も気づかない様子だが。
いつまでこっちが尊重してやらねばならないのだ。
夫婦で楽しむ、絆を育む時間を何回学会に差し出してやったか。
一年間、押し込めていた感情が沸々と沸き上がる。

結局、どんが帰ってきたのは10時近くになっていた。
ひたすら謝るどん。
とりあえず、状況を説明させる。
「書類を届けるために会館に着いたら会合開始直前。目当ての人間は会合に参加する予定らしい。渡してすぐ出てくるつもりが、書類を忘れた事に気づき(←教学試験を忘れた片鱗が既にここで)そうこうしているうちに会合が始まってしまい、出られなくなり参加するはめに、いや、わざわざこんな日に会合やった幹部は当てつけだろうけれど、とにかく連絡も出来ない状態で、で、いろいろ手伝ったりで、終わってから隣の市から帰ってきたこんな時間に」
その説明を、「バカかあんたは」で一蹴する。

その後は大説教大会である。
今でも生々しく思い出せるが、説教というよりも、半ば最後通告のようだった。
「すぐ戻ると言いながら時間のかかる隣の市に行くのはどういうつもりだ」
「持っていくはずのものを忘れたってどういうことだ」
「忘れたのなら、会合には参加せずに無理矢理にでも会館を出れば良い」
「こっそりメールするくらい出来るだろうに、考えも及ばなかったのは最初から連絡を入れるということさえ思いもしなかったからではないか」
「この一年、学会が関わると全てが散々だった。
 こんな調子でいつまでも尊重されてると思うな。尊重できる許容範囲を越えている。甘え過ぎじゃないのか?」
「普段から信仰がなんだと偉そうなことを言っておきながら、この様は何」
「迷惑をかけないといいながら、大迷惑をかけている」
「私は学会員であるあんたの活動を支える義理は全くない。
 自由には責任が伴うんだから、信教の自由を言うなら自分で責任取れ。
 関係ない私にどれだけ迷惑かけたら気が済むのか」
「いろいろ気を付けているのはわかる。それでも余りある学会なのもわかる。
 でも気を付けてもマイナスの要素があまりに多い」
「責任だかなんだか知らないが学会の用事を優先させて仕事減らしたり、仕事を私に頼んだり、
 こんな風に約束破ったり、十分に洗脳されてると思うが。普通の感覚じゃこんなこと出来ない」
「仕事減らして収入落ちてるみたいだけど、学会が補填してくれるわけではない。
 私が働いてるからあんたの収入が落ちてもなんとかやっていける。
 それでも私の稼ぎにも限界はあるのだし、そもそも私は洗脳学会員なんか養うつもりは欠片もない。
 この先もこんなことが続くのであれば考える」
「私が手伝わなかったら仕事に穴開いていた。素晴らしき学会員の皆様が何か助けてくれたか?
 みんな大変かもしれないが『今が踏ん張り時です』なんて精神論ぶちまけるだけで、何もしていないじゃないか。
 それどころか用事を回してくる奴もいたし、着任の代行をあんたがかぶった時もあった。
 あんたを助けてるのは学会じゃなくて私。学会員でもなんでもない、ただの人の私。
 それでも助けてくれた人間に迷惑かけて、学会活動続けるのか」
「私とあんたを繋ぐのも、夫婦でいる理由も愛情と信頼だけ。
 それが無くなるようなことがあったら、私はあんたと一緒にいる理由なんかない」
「これ以上は一時のことだけでも許せない。この先も役職があって、壮年部になっても役職持って、
 死ぬまで続けるつもりなら、あんたとは人生設計が立てられない。あんたとはやっていけない。死ぬまで一人で学会に尽くしてろ」
「結局、学会のお偉い活動とやらは、周囲の犠牲でもって成立している。
 自分が犠牲になるのは勝手だが、身近な周囲を巻き込んで、世間様にも散々迷惑かけて、
 それで偉そうに『責任ある任務』とか『世界平和』とか、しかも『誰にも迷惑かけてない』みたいな顔してる奴もいる。
 はっきり言って学会も、学会員のしてることも茶番」
「自分だってもうヘロヘロになるまで活動して仕事も犠牲にしてるのに、それでも学会に囚われるのは洗脳されてる証」
「良識派ぶってるけど、今回するべきことを思いつかずに状況に流されたのも、洗脳されてる証」
「とにかくもう、うんざり」

着任ではなかったが、どんのズルさが良く見えた。
許してもらえると思っているから、こういう甘えた行動が取れるのだ。
今までだって、申し訳ないといいながら、私の我慢に甘えて活動していたわけだ。
疲れただなんだと学会への不満を言いながらも、結局学会活動に出かけていく姿を見るのがバカバカしかった。
もう、許すつもりはなかった。

食事の支度をしながら、それからダイニングテーブルについても、言葉を放ち続ける。
どんがどれだけ傷つこうがいたたまれなくなろうが、構わなかった。
私は可能な限り尊重してきたのだ。だが、仇のように返された。
仕方がないことではない、多少強引でも、その場から去ることはいくらでも出来たのに。
ずるずるとそれをしなかった。そして約束を破った。
これは決定的だったのだ。
どんに言っているのか、学会に言っているのか、この際どうでもよかった。
とにかく1年間貯めた物を、文章ではなく言葉で吐き出したかった。
淡々と話していたのに突然泣き始めたり、突然激昂する私に、どんは黙ったまま。
「俺には尊い任務が」とほざけるほど染まってはいないらしい。
そもそも言い訳をするだけ逆効果だということは分かっていることだろう。
何よりも、今まで見た事のない妻の姿だったかもしれない。
私自身、人に対してここまで怒りを剥き出しにしたことはなかった。
沸き上がる衝動を堪えるつもりもなかった。
そもそも最初から我慢する理由はなかったのだ。
どんは唖然として私を見ていた。

「学会辞めるか、離婚するか、どっちかを選べとは言わない。でも、もうこれ以上学会を許容するつもりはない。
 どうにか手を打って貰わないと困る」
私の言葉に、冷めたカレーを前にどんは頷いた。


下へ続く

答え ?どんの答え?

上の続き

後に、どんはその時のことを「怖かった」と表現している。
離婚されるかもしれないという感覚が現実味を帯びて感じられたと言う。
そして、ここまで私を激昂させた原因が自分だと言うことと、私が激昂する姿が、
ひたすら怖かったと。

どんは態度で実行した。
依頼されていた役職を本当に断ったのだ。
どんは今度こそ約束を守った。
上からの「今、もう少し頑張ってもらって云々」という説得を耳には入れなかった。
相手とて、どんの気持ちや立場は分かっている様子ではあったが、それでも「そうですか」とは言えない立場らしい。
組織運営のために犠牲になる人間は必要なのだろう。
最初の面接日は「受けられません」と答えて休んだ。
「この一年、十分に組織に貢献した。誰に後ろ指差される覚えはないし、今以上を求められても困る」
もともと、どんは自分のキャパを越える活動の量をこなしていた。既に生活や仕事に悪影響を及ぼしていた。
どうにかしようと思いながらズルズルと続けていて、ついに私がキレた。
時期はちょうど人事の時期だった。
タイミングは上手く整っていた。
必要なのは、どんの勇気と粘りだけだった。
一方的に指定された面接予備日は、もう連絡さえせずに休んだ。
一年間勤めた役職は任期が来て、引継に移行していた。
どんに宛われるはずだったポストは空席のまま。
年が明けてしばらくは、引継や前職で手配した着任の関係でバタバタしていたが、春の足音が聞こえ始めた頃にはもう、補佐とは名ばかりの、実務のない結婚前からの役職だけがどんの手元に残り、月に一度か二度着任があるだけのただの創価班になった。

空席のポストがあるのに、運営が回っている。
そもそも、それで運営が回るのなら、最初からそのポストは必要なかったのではないかと思う。
なんとか長だなんだと役職は多くあるが、結局は組織に縛り付けるためのものでしかないのかもしれない。
おそらく何人かがそのポストの仕事を分担してやっているのだろう。
その人達は大変かもしれないが、嫌なら逃れればいい。
冷たいと言われても、私は私とどんの人生を守るほうが大事だ。
強引にでも、どんは役職を逃れることができたのだ。
逃れられるのに逃れないのは、その人達の問題だと思う。
無報酬にもかかわらず、信仰心と責任を無理矢理絡めた役職は、本当は何の拘束力もない。
なきゃないで、どうとでもなるし、どうにでもならなきゃ、組織ごと無くなってしまえばいい。
縛り付けられてるとは思わせないようにして誰かを縛り付けて、無理させて回していく組織なんて、存在自体に無理がある。

今、どんは伸び伸びと暮らしている。
気持ちも体調も、私もどんも随分落ち着いた。
平日の夜中に呼び出されることもなくなった。
月のほとんどの週末が着任で潰れ、学会の予定に追われるように過ごしていた去年からは想像できなかった穏やかな生活である。
役職を逃れたことは結局、どんのためにもなった。
「…自分の感情に忠実に生きて良いって、結婚してから思うようになった」
そう言ったあの雪の日から、時は過ぎて花の実が膨らむ今。
どんは嬉しそうに笑い、じっくり仕事に取り組み、美味そうに飯を食べる。
いろんなところに出かけ、プラモデルに熱中し、昔のレコードを聴いている。
何冊も本を読み、映画のビデオを見る。喧嘩もする。
一人の時間も、私との時間も、いつでもどんは楽しそうだ。
仏壇に向かうのは変わらないどんの日課だし、相変わらず頓珍漢な学会思考を披露することもあるが、しかし。
付き合い始めた頃のどんと、結婚した一年半前のどんと、今のどんは、明らかに違う。
「人生の優先順位を考える、NOと言える勇気を持つ」
仏壇の中に貼ってある紙に書かれた言葉が、波乱の一年半の末、どんの出した答えだ。
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