妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2005年10月

華の車窓から  vol.4 衝撃の京都

旅行中は早起きだ。良いことだ。
どんを叩き起こす習慣は変わらない。何故だ。
ホテルのバイキングの朝食を済ませて、要潤似のフロントマンの笑顔に見送られ出発。
まずは二条城。
どんが丁度読んでいる司馬遼太郎の本に二条城が出てくるとかで、大喜びしている。
人物のマネキンが不気味なのは日本全国同じなんだろうと思いつつ、外国人の団体旅行者をかき分けかき分け進む。
日本人の団体を案内するガイドさんの説明もこっそり聞いてみる。
例によってどんと私の見学のペースは違うので早くもばらける。これでも夫婦です。イエイ。
大政奉還の部屋。探幽の襖。歴史が動いた場所の持つ空気というのは、独特だ。
本丸も公開中。面白い作りの2階3階。この旅を通して様々な建物を見たのだが…大工さんってスゴイね。
そのまま京都御所に移動。
見学する為には宮内庁に事前の申し込みが必要となる。本当は、同様に事前申し込みが必要だった桂離宮にも行きたかったのだが、既に定員で諦める。
時間帯を選んで申し込み。その時間帯に応募した人々が一つのグループとして見学するのである。
ガイドさんも付けばSPもつく。
SPもつく。SPもつく。SPもつく。皇宮警察とか?宮内庁職員とか?分からないけれどSPもつく。
生まれて初めてSPをつけた状態で見学する。
文化財を守る意味でも不穏な輩の下調べやらなんやらかんやら対策でもあるのだろう。
現在進行形で儀式に使われる場所なのだ。
にしても雅である。何がどう雅なのかと説明をしろと言われると大変困るのだが、雅なのである。
同列に語るのもおかしな話なのだが、人々が職業を選び働いて日々の糧を得て生きる同じ社会に、代々引き継いできた儀式を粛々と行う方々もいらっしゃる。
資本主義の経済活動で回るこの国は、その一方の精神世界の中で、千年以上代々継承する儀式や、様々な土着信仰、仏教、神道でも回っている。
その環境で育ってきた私たちからしてみれば当然のことではあるのだが、ふと立ち止まって考えてみると、とても神秘的でもある。
そしてその精神世界が育んだ文化が現在に残っているのである。
高野から熊野、京都と巡ったこの旅は、そういう文化を見た旅でもある。

建物や庭の広さに驚きつつ、建物の説明に頷きつつ、庭を観賞しつつ。コース終了。
それから蛤御門を見学。蛤御門の変の際に出来たという砲弾の跡に触りつつ、鼻息荒くなる怪しい夫婦(歴史好き)。

バスで出町柳へ移動。
出発前、学生時代を京都で過ごした職場の同僚が言った。
「出町柳に美味しい手打ちパスタのイタリア料理店がありますから、絶対行ってください。絶対!パスタの常識変わりますから!」
帰ってきて「行かなかった」と言ったら、きっと口もきいてもらえなくなるのではという気さえしてくるお勧めぶりを受け止め、ネットで調べた地図を片手に出町柳を歩く。
住宅街の中に、その小さなイタリア料理店はあった。
地元のお客さんに混じってランチを注文する。前菜とパスタとデザート。パスタは数品からチョイス。
私はゴルゴンゾーラにしようかと思ったのだが胃の調子と相談の上、ミートソースタリアテッレ。どんはレンズ豆のスパゲティ。
ついでに生ハムなんかも注文してしまったりして。
それにしても。私は海原雄山でもないし、味王でもないので、どう語って良いのか分からないのだが。
パスタの常識が変わりました。びっくりしました。ゴルゴンゾーラでもきっと大丈夫でした。
大変、美味でした!
以上!
同僚!教えてくれてありがとう!!

レモンチェッロを飲んですきっとして大満足の胃袋を抱えて、再びバスに。
下鴨神社に移動。近いんだから歩けよ!というツッコミは受けません。結構、遠いし広いし。
横から入って、境内に参拝(例によって私のみ)、御手洗団子発祥の地らしい御手洗神社も参拝。
それから糺の森を歩く。
流れる小川、そよ風にざわめく木々と揺れる木漏れ日。
スケジュールがタイトなはずなのに、ゆったりとした時間が流れる。自然は良い。
遠足の園児達とすれ違い、私たちはバスの通る道を探した。

金閣である。金閣寺である。バスに乗って辿り着いた先は金閣寺。ついでにようじやで買い物しちゃったりして。
二条城・下鴨神社に引き続き、本日3つ目の世界遺産。
インパクトは群を抜く。
視界に入ったとたん、「どーーーーーーん!」という効果音がついてもおかしくない。
どんが絶句している。私は意味もなく笑い始める。
太陽の光に輝く金閣寺。
よくもまあ、ほんと、こんなものをと不謹慎に呟く。すごい。すごすぎるぞ金閣寺。
燃やしたくなりはしないがすごすぎるぞ金閣寺。
タイあたりの方からの団体の観光客の一人が、金閣寺をバックにピースをする仲間の女の子の写真を撮るのに、デジカメの画面いっぱいに女の子の顔をアップにしているという、絶対メインが何かを間違っているか、女の子への恋心の前には金閣なんかどうでもいいかのような撮り方をしているが、すごすぎるぞ金閣寺というか鹿苑寺。
ちなみに、鏡湖池に浮かぶ島々や畔の木々の剪定に、庭師さん達が舟を漕ぎつつ作業中。ご苦労様です。
旅行ガイドには「金閣は住居と仏寺の要素を持つ楼閣建築」とある。……住めるんかい!!
きぬかけの道をバスで竜安寺へ。本日世界遺産4つ目。
鏡容池を右手に進む。池の中の弁天島には真田幸村の墓があるらしい。
石庭を眺めつつ、風にあたりつつぼやっとする。
風は夕方の気配を運んでいる。時刻を3時を回っている。
「仁和寺に回れるかな?」返事がないので隣を見ると、どんが惚けていた。
おーい、帰ってこーい。この頃になると、どんが話をした内容を覚えているかとか、的確な返事が返ってくるかとか、もう諦めている。石庭を前に悟りの境地。ずいぶんと狭い悟りである。
ここで特筆するべきことが。
竜安寺のトイレには、和式トイレの使い方が英語で示してある!
80年代に流行ったようなファンシーなイラストだが、何故か画像があらい。数センチで72dpiしかないものをむりやり大きなサイズに拡大したような画像の荒れ具合。
それでも、座る位置の指定などもしてあり、ちょっと笑ってしまう。でも、親切だと思う。
庭を眺め、池を今度は左手に山門を出る。
その竜安寺の向かいの京小物屋さんでお買い物。どんは隣のお店でソフトクリームをほおばっている。
無言のうちにお土産担当に任命されていたらしく、それぞれの両親へのお土産なんかも買い求める。
それで時間をロスした挙げ句、ほんの出来心で、竜安寺から仁和寺まで歩いてしまった結果。
仁和寺にたどり着いたら、拝観時間が終了していた。
本日5つ目の世界遺産は、門だけ。
ちなみに門の前には、金閣で出会った不思議な写真の撮り方をする青年の顔も見えるアジアからの団体観光客。あの女の子に恋をしているのか君は。
さて、本日の行程は終了。どんは満足そうに微笑んでいる。そうだろう、君は満足だろうよ、君は。ついていくだけなんだから。
京都二日目にして、ようやっと土地勘の冴えてきた私も余裕を持ってどんと接することが出来た。がんばった、よくがんばったぞ私。

バスで四条河原町へ。京都在住の友人と落ち合い、祇園で食事…と行っても、外観はそれなりだけど中身は普通の居酒屋さん。
その店のメニューを見ていて。おばんざいの所に「たいたん」と書いてある。
「………たいたんって……TITAN?」
呟く私に友人が突っ込む。
「今、英語で言ったやろ」
土星衛星ではなく、「野菜の炊いたん(炊いたもの)」で「たいたん」。
あーなるほど、なるほど。そりゃそうだそりゃそうだ。
「何が出ててくると思たんよ、それ」
「……………」
すみませんでした。その横で、どんがマジ受けして笑っている。
ちなみに、ここも美味でした。なすを「焼いたん」が肉厚で美味しかった。
店を出て、友人に連れられ、ちょっと夜の祇園を散策。
いかにもお金持ちの中年男性が、舞妓や芸妓を連れて歩いている。
突然の非日常な光景にぎょっとする私とどん。
友達は涼しい顔。
「あの人は、祇園にツテがあるお金持ちの観光客でしょ。京都のお金持ちは、あんなにひけらかすみたいに舞妓さんを連れて歩かないよ」
「へええええええ」
改めて、入っちゃ行けないところに入っちゃったような、そんな気分。
やっぱりここは粋な大人の遊びが出来る人が来る街なのだ。すんませんすんません、すぐ帰ります。なすは美味しかったです。TITANとか言ってすんません。

どんは一人でホテルに帰り、友人と古い喫茶店でコーヒーを飲みつつ話し込む。東郷青児ゆかりの喫茶店ソワレが閉まっていたので(…ゼリーポンチ食べたかった)、別の喫茶店に行ったのだが、洋風で重厚感のある内装や調度品の趣のある店だった(名前失念)。
友人とまたの再会を誓いつつ、別れる。
コンビニでまた休足時間を購入。ホテルに戻ると要潤似のフロントマンはおらず。何故か寂しい。何故だ。
部屋ではどんがごろんごろんしていた。そしてのんびり聞いてきた。
「明日はどこに行くの??」
事前に説明した私が馬鹿でした。前日に説明しなければならないのね。
10年もたてば、きっと私もこんなに忘れっぽくなるのだろうか。これからゆく道なのだろうか。
嫌だ。絶対嫌だ。
いや、大らかなのだ。この男は大らかなのだ。この大らかさに私は救われている。そういうことにしておく。

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1.二条城ゴージャス編 細かい細工で煌びやか唐門
2.二条城シンプル編 番士の詰所
3.京都御所。回遊式の庭園。
4.京都御所。蹴鞠はこちらでドウゾ。
5.京都御所。排水溝の蓋も宮内庁仕様
6.京都御所。マンホールの蓋も宮内庁仕様
7.蛤御門
8.蛤御門に残る弾痕。幕末の息づかいとどんの腕。
9.出町柳の猫
10.下鴨神社。この「さざれ石」が君が代に出てきます。
11.下鴨神社。
12.どーーーーん!金閣寺フォーーーーーー!
13.竜安寺石庭 観光客がのんびり黄昏れています。
14.仁和寺。アジアの純真、恋は実るか?
15.夜の祇園。粋な大人の街を行く無粋な夫婦(私とどん)


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食べたもの
9食目 朝食 ホテルのバイキング
10食目 昼食 イタリア料理店のランチメニュー。美味すぎて美味すぎて…また行きます。次はディナーにします。
11食目 夕食 祇園の居酒屋。京野菜が美味しかった。

虫けらの戯れ言

常々思うのだが、どんを送り出すことで、私は結果的に学会の片棒を担いでいるのだ。と、着任に出かけていくどんを見ながらむなしい気分になる。
憲法はどんの信仰の自由を認めている。
その信仰を仕切る団体は、素敵に灰色。
そんな灰色の団体は、役職を与え責任を課すことで、どんの仕事をかきまわし、私との生活をかきまわし、どんの時間と体力を奪っていく。
例え、どんが気をつけても、杓子定規には事は進むわけじゃないし、容赦なく用事を言いつけてくる。
何が巧いって、あくまで「強要なんてしてないよ?、どんくんの責任感が強いからだよ?」というスタンスでいるところである。強要してる空気はプンプンなんだけど。
心配だったらありゃしない。ありゃしないんだが、伴侶が心配だからと言って「行くな」と監禁までするわけにはいかないわけで。「行く」と言われれば送り出さないといけないわけで。
でもそれがどんを追いつめることになる。じゃあ自発的に考えてもらうしかない。
なので「人材グループで心を壊した人がいるよ。もう少し考えられないかな。組織にいなくても、信仰があればいいでしょ?」いただいたコメントや他のブログで読んだことを話してみる。
そんなこんなで、なんとかアプローチしてみるのだが、『役職の責任』を刷り込まれたらしいどんの耳には届かず。
というよりも、届いてはいる。気づいてもいる。そりゃこの1年で自分の地区や隣の地区に心を病んで活動を休む人が何人か出てきているのである。ついに耐えられなくなり、引っ越し先も告げずに、去った人もいるのである。
それなのに自分の健康な将来の為でもあるにも関わらず『責任を放棄する』ということがどうしても出来ないらしい。それをマインドコントロールと言う。多分。ま、確かに、責任って放棄しづらいものだが。
組織から与えられる役職・役割。それらは危険を伴う任務にもかかわらず、無償。責任とかやりがいとか感謝とか信仰とかパンとジュースとか、そんな言葉(とパンとジュース)で組織につなぎ止められるもんかいと思うのだが、夫が見事につなぎ止められている(別にパンとジュースでつなぎ止められているわけではない)。使えなくなったら、学会は「休みなさい」と優しい言葉をかけてポイッと休ませれば良いが、その後の面倒を看るのはアタクシ。
妻であるこの ア タ ク シ 。
この細腕少し(少しよ、少し)脂肪が揺れる腕で働いて、どんの面倒を看るのである。
それを告げたとき、どんは「そうだよね…」と項垂れた。でも報いることは出来ないらしい。それをマインドコントロールと言う。
「そうなったら俺を捨ててもいいよ…」
喧嘩の時にポロリともらしたどんの言葉に激昂する私。酔ってるだろ?お前さん、自分に酔ってるだろ?そんなこと出来るわけないだろうが!!私はアンタの妻じゃボケ!!と、私に恫喝されて、さらに項垂れた。
どんの体を思ってのアプローチさえも、どんを追いつめる。
じゃあ、私が我慢をし続ければいいのかというと、それは私の心と体に悪い。相当悪い。我慢も続かない。
で、定期的に爆発する。が、その爆発さえもどんを追いつめる。
なので我慢する。でもどんが心配なのは変わらず。ついつい、口に出してしまう。どうすることも出来ないどん。また我慢する私。どんも我慢する。学会遠慮なし。また爆発する私。以下ループ。ラビリンス。スパイラル。エンドレス。デンジャラス。ヘルプアス。

一体どうしろと?

結婚してこのブログを始めた当初は「夫が学会にいたいという気持ちを尊重して」とか思っていたけれど、甘かったね。こんな酷いとは思わなかったね。
舐めてました。学会様、スミマセン。ベロンベロンに舐めきってました。
来月、ブログ一周年。この一年で、「夫が学会に居続けたら、夫が壊れる。しかも学会はその責任を取らない。夫は学会の無償で使える駒でしかない」んだなあということが、実生活を通して分かった。よーーーーく分かった。我が家の場合ね。
役職もなくて創価班でもなくて、一般学会員だったら、「学会、ここおかしいんじゃないの」とツッコミつつも、「尊重し続けること」が可能だったかもしれないが。
お互いの気持ちを尊重しあおうとしてもね、そういう気持ちさえも巧妙に踏みにじっていく団体があるんです。あ、創価学会って言うんですけれど。知ってる?
そもそも。私が持っていた「尊重したい」という気持ちを踏んで汚していったのは、学会のほうだから。

学会指導で、「自分の信仰の姿を見せて、納得してもらえ」というのがあるらしいのだが。
一年365日隣で密着取材させていただいた結果。
「どんが学会に消耗されていく姿を見て、アンチ学会度が倍増した」
どんはお気楽な部分が残っているので、「アンタの信仰の姿を見て、ますます学会が嫌になった」と言うと、「えええぇ!!!」と吃驚した顔をした。
そんな驚いた顔をわざわざしたって、わかってるだろうが、お前さん…。
でも、実際のところ、どんも疲労を自覚している。役職と仕事と激動の数年。
どんのために、うんうんと話を聞き、ご飯を作り、でもどんは活動に行ってしまうのである。
むなしい。これはむなしい。それでもって、また上に戻る。

一世でこれですから。
どんの上を行くバリのご家庭・また二世三世さんのご家庭、姑舅がバリのご家庭、本当に凄まじいと思う。でもって、今の私の痛みの何十倍辛い思いをされているのかと思うと、余計に落ち込む。
で、余計に学会に対して怒りが沸く。

どんの場合、「俺は学会の批判もするし、妄信じゃないもんね」という自覚があるだけに、少々タチが悪い。
確かに、世間で言う妄信ではない。違う形では巻き込まれているが、私に信仰を一緒にしてくれとは言わない(そもそも家の中の全てが創価色に染まるのが嫌で外部との付き合い・結婚を望んだのはどんの方)。他宗と接する時も、常識的だ。学会のここが悪い・公明のここがおかしい、自分から言うこともある。
でもね、でもね、口で常識的なことを言っても、学会に関わることで自分の身に降りかかる不利益を払いのけられないのは、どうかと思う。

ラビリンス。スパイラル。エンドレス。デンジャラス。
でも、自分達の身は自分達でなんとかせねばなるまい。特に私は学会員を伴侶にした。
自己責任。つまりは自分のケツは自分で拭くしかない。
光は見えない。ここは暗闇だ。
暗闇の中でどんを支え続けるのは、学会の思うツボ。
疲れて帰ってきた学会員を休ませ、また活動に送り出す。
どんの腕をつかむ、この手を離せば、私だけは光のある場所に出るのだろう。
私には冷淡な部分もある。ふとそうしたい気持ちになることもある。
どんを痛めつけるのは学会なのに、それでも学会ではなく「ふがいない俺が悪いんだ」と学会の罪さえ背負うその行為もきっとマインドコントロールお人好しのこの男を、好きにしろと突き放してしまいたくなる。
どんに養われていない分、実はそれはたやすい。愛情だけで私たちは繋がっている。
でもそれをしてしまったら?この男はいつまでも責任に捕らわれて暗闇の中で自分を痛めつけるだけだ。それもまた、学会の思うツボ。
じゃあどうするか。
「二人でこの暗闇から這い出ること。」
私は無力だ。学会様から見れば、虫けら以下だろう。
学会のことで疲れているのは事実だし、権力はない。しかし粘着質でしぶとく逞しい。
これもまた虫けらのごとく。
せめて、学会の意のままにはならないように。そこから逃れられるように。いつか一筋の光を探し出せるように。どんの腕を掴んで歩き続けるしかない。
意味のないことではないと思う。
暗闇が続くかもしれない。それでも、流した涙の一滴さえ、無駄にはなっていない。
日々の葛藤を、目の前の出来事を笑いに変えてでも、こうして書き連ねることは、絶対に意味のないことではないという、自信が私にはある。
いろんな方に励まされ、支えられ。この一年を通して培った、大切なものだ。
それを糧に、私は光を探して歩き続ける。喧嘩しながらでも、聡明でお人好しで優しい、腹立たしくも愛しい男のその腕を強く掴んで。



駒がひとつ、戦線を離れることくらい、たいした痛手でもないでしょう?
大事な駒でしたら、こんなに乱雑に扱うわけがございませんもの。
いえいえ、所詮、俗物の虫けらの戯れ言ですから、お気になさらずに。ねえ。

妄信コメンテーター考

旅行記がちょいっとばかり横道にそれて、アンチブログらしいことを。
さて、旅から帰って早数週間。
人間がスッキリした状態から、ストレスや疲労に浸食される過程を体感できた。
あはははは。

お約束の、妄信コメンテーター考。
さりげなく、200,000ページビュー越え記念。
皆様のおかげで、こんな数を出してしまいました。ありがたいことです。
今回のブログを書くにあたり、過去のコメント欄を遡り、ピックアップしてきたのはステキな妄信系学会員様荒しコメントの数々
そう数があるわけでもないが、それでもとりあえず共通する点がある
もちろん、同じ人間が書いているのではない。
違う人間が書いていてコメント内容に似たり寄ったりの共通項があるのだから、洗脳と言われてもいたしかたないのではないかと思う。
むしろ違う人間が書いているのに、同じようなことを書かせる学会には改めて拍手と賞賛を送りたいわけがない。
とりあえず、個別のコメントを取り上げることはちょっと意地悪かなと思うので(わずかな良心)それは控えることにして、分析してみることにする。

●人物像(当たっているかどうかは別として)
1. 若い
2. 2世や3世である可能性が高い。
【そう思う理由】
1-1. 年齢を重ねると(+一般社会に出ると)、自分にそぐわない意見でもある程度流せる。場の空気が読める。棲み分けが出来る。「いろんな考えの人がいる」ということを当然のこととして受け入れることが出来る。それが出来ないということは。
1-2. 礼儀がなっていないから。
1-3. 10代だから?アタシ若いのぉ?という自己申告コメントあり。「若さ」が最強の武器だと思いこんでいる故の発言。みんな年取るし。武器じゃないし。
1-4. オバサン・あばずれ等、妙齢の女性を辱める言葉を書けば、女性(華)が傷つくと思いこんでいる。浅いわねぇ。
1-5. 学会員にも、いろいろな人がいてそれぞれに活動や信仰のスタンスが違う、部によって活動の密度が違う等々が考慮できず、自分の尺度で学会内部を推し量ることさえある。年齢が高い人はその辺は察することができるはず。
2-1. 幼少時より「学会は正しい」という刷り込みがあるために、学会が批判されることは許せない。
2-2. 創価学会が批判される対象であることを知らない。「こんなことを書くなんて、学会員が傷つくとは思わないのか」という発言等、学会員が外部の人間を傷つけているという発想は持っていない。

幼少時、自我が確立されていく過程で偏った思想を与え続けるのは、問題だと思う。
もちろん、全てがそうだとは思わない。子ども個人の資質も関係すると思うが、そうは育てなかった親御さんもいるはずだ。
だが、その一方で妄信的な2世3世が育ち、ネットで暴れているのは事実である。
親の姿がなんとなく見てとれる。
上記のような要素を持った若者を増やしてしまうのではないか。もはやここまで来ると「若いから」という事は大目に見てもらえる材料でもなんでもない。
10代の子どもが自分の意にそぐわないからという理由で「死」を望む。純粋にそれを願っているのだ。それが正しいことだと思っているのだ。
しかし、純粋さを武器にすることは諸刃の刃。若者自身も刺しかねない。
いつか必ず、社会と自分の価値観との大きな差に気づく瞬間があると思う。
その時、恐ろしいまでの純粋さで、どう対応できるのだろうか。

学会関係なく、他人から叱られること・批判されることに慣れない若年層も多いと聞く。「ゆとり教育」の問題も関わってくるのではと思ってみたりもする。それに学会が加わることに、恐怖を感じる。

●文章のパターン(根拠もなく偉そうなのは必須)
A.
まずは哀れみ(学会のすばらしさを知らないなんて)
→真実について語り出す(真実は一つしかないと思いこんでいるらしい)
→このあたりで語気が更に荒くなる(書いているうちにさらに腹が立ってくるらしい)
→学会のすばらしさを語り出す(その素晴らしい学会内部にいるアタシって素晴らしい人間なのよと言いたいみたいです)
→偉大なる名誉会長大絶賛(隣の国のうちの北のほうの話?)
→だんだん自分に酔ってくるらしく、ちょっとポエムっぽくなる。
→「仏罰・地獄へ堕ちる・死に顔・生命が濁っている(人の不幸を期待する人間が濁っているんだよと小一時間)」など細木●子と同じ手口を使う、 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!! 学会お得意の脅し文句登場!
→捨てゼリフ「時間の無駄だったわ(最後まで偉そう)または「不幸になるから入信しなさい」 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!

B. 完全に中傷
C. 小難しい事を言っているけれど、的はずれ。
D. 高い位置から、思わせぶりな事を言う。「俺はあいつらとは違うぜ」と同じ学会員でさえも見下す。
E. 押しつけがましい。「●●するべきです。さもなくば□□になります」一種の脅迫。細●数子と同じ手口。

上記Aは私が書くと、完全に茶化しがはいっているが、いつもコメントをくださるあんころもちさんが、その妄信旋風吹き荒れる渦中の際に、分かりやすい分析を残してくださっている。
(あんころもちさん、流用させていただきます)
-----------以下流用-----------
1.かっこつけて登場
2.根拠無く決め付ける
3.それを前提に批判する
4.どうせわからないだろうと見下す
5.いかに学会否定が悪か、脈絡無い言葉をたたみかけていく
6.トランス状態
7.日本は嫉妬 だから駄目
8.我々は明るい未来、お前は悲惨な最期という脅し
9.高らかに勝利宣言
10.入会を勧めるor呪う
-----------以上流用終わり-----------
実は、これはこのブログに限ったことではなく、他のブログや掲示板(某大型掲示板含む)にもこのパターンに乗っ取ったコメントが書かれているのを見かける。
別に、学会員ネット工作員部隊(あるのか?)が示し合わせて相談して同じような内容を書いているわけではなく、同じ学会員とはいえ、見ず知らずの人間が、同じような思考パターンで書いているのである。
コピーのようなそのコピー元は創価学会。
とはいえ、「アンチ対処法マニュアル」が存在するわけではないはず。幹部指導や会合・聖教新聞の罵倒座談会などに触れることで、その思考の基盤となるものが、それぞれ同じように出来ていくのではないだろうか?(他に思いつきません)

結果、言葉遣いや多少のバリエーションは違っても同じ流れで文章が構成され、着地地点も同じである。
同じ流れではなくても、何かしら共通した部分はある。そういう書き込みが量産されていく。
もちろん全ての学会員さんがそうなるわけではない。そうならない人と、そうなる人、その差はそれぞれの環境や性格などが関わっているのではないのだろうか。

●行動パターン。
コメントの後は大抵二度と来ない。
過去に2名ほど、二度目のコメントを残された方がいる。
一人の方は謝罪の言葉。もう一人の方は遠巻きに「お前さんはアホか」と言い返された後に「若さ」という最後の砦にしがみついた遠吠え。

その場合を除けば、大抵二度目のコメントはなく、二度と読まないという可能性が高い。

【理由】
これは彼らにとっての正義の戦いなのだ。
1.
実際には誰にもダメージが与えられないのだが、ダメージを与えられると思っていることを書き殴っていくという行為が、正義の戦いで、彼らにしてみれば「正義の鉄槌を下した」と満足しているわけで、よもや反論が入るとは思わない。それだけ自分たちは正しいという自信に満ちている。(あらゆる意味で手遅れ)

2.
黙っていられず空気も読めないまま、書き殴ってしまうが、後の反応が怖くて見られない。


●最後に。
とりあえず、この内容は、また機会があればまとめてみたり練り直してみたりするつもりだが、とりあえず今日はこんな感じで。
結果として、妄信コメンテーターがアンチブログで暴れれば暴れるほど、創価学会を貶めているのである。
学会をかばうつもりが、人と話す姿勢も欠片も持たない、高慢で礼儀知らずで正義面して現れた結果、自ら自身の手で学会の首を絞めていることになる。

粘着質だなあ、と自分で自分を分析しつつ。
次に妄信コメンテーターさんが来たときに、また。
来なくて良いけど。

華の車窓から  vol.3 激情の京都 その弐

vol.3 その弐(その壱から読んでね)


●俺の話を聞け。
東寺に行くために、一度京都駅に戻る。歩いていける距離なので、歩いていこうということに。
ただ、駅に戻るバスの中で「寺田屋に行きたかったけれど、もう時間がないので諦めて、東寺に行ってから拝観時間を気にしなくても良い伏見稲荷に行こう」という話をどんにして、どんも聞いていたはずだった。
が、歩く私にどんがかけた言葉は、信じられない一言だった。
「次、池田屋だっけ」
ハァァァァ?!
お前、人の話聞いてたか?池田屋って?私はこの旅の中でただの一言も池田屋とは行っていないぞ?新撰組の屯所に行くとは行ったが池田屋とは言っていない。竜馬ゆかりの地の寺田屋に行くと言ったが池田屋とは言ってない。つーか、どっから池田屋って出てきたよ?池田はあんたんとこの親玉だろうが!と、怒鳴りつけたい気持ちを(これでも)ぐっと堪えてやっぱり怒ってしまう。
「人の話聞いてた?寺田屋に行かないって言ったの。これから東寺に行くの。五重塔があるの。高野山の弘法大師ゆかりの寺なのはアンタも知ってるでしょう。そこに行くって説明したのになんで聞いてないの?!池田屋ってどっから出てきたのよ!」
どんがびっくりしたような顔をしたが、すぐに顔が険しくなる。
「そんなに怒らなくてもいいじゃん!説明されても言葉が足りないから分からないよ」
「分からないのは聞く気がないからじゃないの?」
それでも人目を気にして抑えて口論している最中、目に飛び込んできたのは、創価学会、京都にある会館。
マジで。これ、マジです。暮れなずむ空に輝く緑の電飾看板。会館の前で「池田」屋発言とは、どんよ、お前も学会員よのぉ。
会館名も覚えていないが、確かに学会の文字。よっぽど、どんをそこに預けて一人で旅しようと思ったことか。というか、これは嫌がらせか?
会館の近くで学会員夫と喧嘩。これぞアンチ嫁のクオリティ。
(余談だが、帰ってきて場所を手がかりに会館名を調べようとしたのだが、見つからない。狐に騙されたのか私は?幻想でも見たのか私は?ということで京都駅の近くにある会館をご存じの方いらっしゃいますか)
険悪なまま京都二カ所目の世界遺産、東寺へ。
閉館時間も迫り、もう堂の中には入れないとのことだが、ご厚意で庭に入り建物の周囲だけ無料で見せていただけることに。
私は東寺は二度目だが、どんは初めて。険悪な空気も忘れて、また興味深げに見入っている。
暢気なものだ。
バスで東福寺へ、JRに乗り換え伏見稲荷へ。ここは私の希望で、あの鳥居の列を見たかったのだ。
空はもう夕焼け。ずらりと続く朱赤の鳥居に、機嫌の戻ったどんと、やや不機嫌な私。
鳥居の中を歩く。一昨日から歩いてばかりだ。上ったり下ったり。人生とはそんなものか?
それにしても、この鳥居の数。人々の強い思いを垣間見たような気がする。たくさんの神や仏が存在するこの国は、一見筋が通っていないように見えて(どこぞの学会の妄信的な方もよくそうやって日本を揶揄されますが)、実はとても信心深い国ではないだろうか。
信心深いという言葉も適切ではないのかもしれない。身近に、生活の中に、神や仏が存在している。それを当たり前のこととしてこの国で生きる、そういう国なのだと思う。
だから自己主張の激しいどこぞの(中略)は、この国にそぐわないのではないだろうか。
いや、逆に、そういう国だからこそどこぞの(中略)は布教できるのであって、もしこの国が一神教の国ならば、今ほどの規模になっていないような気がする。
結局、許容されているのに「迫害日本」「精神後進国日本」とごね続けていらっしゃる。
壮大な反抗期の子どもだと、以前のブログで書いたなあ。

●先斗町哀歌
JRで京都駅まで戻る。バスに乗り込むが、路線を間違えてしまったらしい。
どんが勘付く。こういう時だけは勘が良い。
結局、ホテルへ一番近いバス停で降りるも結構歩く羽目に。
どんがぶつくさ言い出す。キレる私。「バスの路線も分からない奴が文句を言うな」
どんがもし、分からないなりに調べてくれるなら文句も言わない。人のプロデュースに乗っかるだけの人間に文句を言う資格なんかないのだ。ないのだったらないのだ。あややはきっとつんくに背かない。
ホテルにチェックイン。今日は普通のホテル。要潤に似たフロントの男性の120%の笑顔に釘付けになる。
ホテルで少し休んで、夕食は先斗町へ。
ここで恥を一つ、披露。
「先斗町」は「ぽんとちょう」ですが、「せんとちょう」と読んだ人が居ます。私です。すみませんでした。
このMacのATOKだってあっさり変換しやがりました。
その先斗町の古い洋食屋で夕食。まだシーズンだったので川床で食べられることに。やや機嫌が戻る私。鴨川の風に吹かれながら、私はオムレツ、どんはハンバーグ。
食後、また少し歩いてバーの川床でまったり。大人だ。大人の夜だ。その時、バーのオリジナルカクテルの名前を先斗町ナントカ(名前失念)をせんとちょうと読んでしまってバーテンダーに言い直されたのが私。
哀しい。哀しい夜だ。私には京都の大人の夜は遠いのだ。南座も笑っている。どんも笑っている。お前は笑うな。
帰りがけ、鴨川の河原を歩く。カップルがチュウをしている。その中で殺伐とした空気を放つ私。
どんがおどおどと聞いてくる。
「なんかさ、言葉に刺があるんだけど、喧嘩売っているの?」
「喧嘩を売る余裕があるように見える?」
「………」
「私だって楽しみたいですけれどもね、慣れない土地で迷わないように必死なのに、人の話をまるで聞かない人間を連れて旅行しているものですから。いいのよ?明日から別行動でも」
「いいよ、それでも」
ブチ(←キレた)
「そもそも誰を楽しませる為に私が一生懸命なんだと思いますか?あんたがこういう場所を巡るのが大好きだから、いろいろ考えているのに」
「………スミマセン」
日常でもそうなのだ。いろいろ考える私に、のほほんとしたどんに。それはそれで上手くいくのだろうが、こっちがイッパイイッパイの時は脆い。
そもそもどんはリードするのが苦手なのだ。元カノとの付き合いだって、男性がいろいろプロデュースすることに期待されるのが重荷だったらしい。「だって華ちゃんは自分でしたいことを主張してくれるから、楽?」確かに言いたいことを言って、その希望が通らなかったことはないが、それにしてもどん、乗っかりすぎ。
しょぼんとしたどんと鴨川をとぼとぼ歩く。言葉に刺があったことは事実ではある。でも謝らない、私は謝らないぞう!
ホテルへの帰り道、コンビニで入浴剤と「休足時間」を購入。にしてもよく歩いた、よく喧嘩した。ああ楽しかった。
まあ、パートナーのいる人生というのはそういうものなのだろう。

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旅行記も後二日分。こればかり続くのも何なので、そろそろ別の話題も差し込みつつ、書いていこうと思っています。
よろしく?。



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1.清水寺。
2.ここは何年坂なんだっけ?
3.三十三間堂。走り抜けたのはR.田中一郎(しつこい)
4.東寺
5.東寺の猫。餌をやってはいけません旨の看板アリ。
6.五重塔。
7.夕日に輝く伏見稲荷。
8.BGMは安全地帯、気分は真田広之、お酒のCMでしたっけ?
9.先斗町。賑やかな夜。
10.せんとちょうと読んでしまってすみませんでした。
11.鴨川、カップルがイチャイチャ。私は殺伐、どんはおどおど。

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7食目 お昼ご飯はお茶漬けバイキング(写真なし)
8食目 老舗洋食屋さんの定番メニュー。

華の車窓から  vol.3 激情の京都 その壱

vol.3 その壱

くろしおを一本早めたために、空いた席に振り分けられ、どんと席が離れる。
久しぶりの一人の時間を思い思いに過ごす。
MP3プレーヤーのイヤホンを耳につっこみ、車窓を眺めたり眠ったりしているうちに、新大阪駅へ。
そしてどんと合流。ここで新幹線に乗り換えて京都へ行く。
「俺の後ろの席のおばちゃん二人組が話してたんだけどさあ」
「何?」
「学会トークを。というかアンチ学会トークを。なんかね、おばちゃんの妹夫婦が学会員なんだって。でね、その夫婦の家に行くと学会の話しかしないから、とうとう誰も行かなくなっちゃったってさ」
「あらあらあらあら」
「で、でもさ、『しっかりした考え方なんやけどぉ』って」
「それは言っていないでしょ」
「……すみません、おばちゃんは誰も行かなくなったとしか話していませんでした」
「無駄なフォローはしなくてよろしい」
「はい」
場所が変わっても、その手の人はどこにでもいる。
妄信学会員・迷惑学会員は一部の人だなんて、その一部って具体的に何人だろう。結局は全国にどこにでもいるような気がするのだが。

エスカレーターの上り口を間違えて上がったホームは指定席付近。
しかしもう発車してしまうので、近くの乗り口に飛び込む。スーツケースをガラガラ引っ張りながら車両の廊下を自由席まで進む。すぐ降りるのだから良いんだけど。
どんがブツクサ言っている。普段が文句を言われる方なのでここぞとばかりに、である。
つーか、仕切りを人に任せているどんが間違えた私に文句を言うなんぞ一千万年早いと自分勝手に開き直り。
空気がやや険悪に。旅の風物詩、喧嘩、そろそろ勃発か。

13時頃には京都駅に到着。何度来てもでかいぞ京都駅。一度ガメラだかにたたき壊されたのも京都駅。その新しい駅ビルオープン当時、ここの劇場でジャニーズの連続公演あった。1日2回(か3回だっけ?)公演数ヶ月。今にしてみればずいぶん過酷なスケジュールで公演をしていたなあ、なんて。
これをきっかけに辞めたJrもいれば、辞めそうに見えてガッツリ残ってデビューしたJrもいる。雑誌のインタビューで「本当は公演が終わったら辞めて美術系の学校に行くつもりだった」と語っているのを読んだ。人生はどう転ぶか分からない。話もどう転ぶか分からない。なんで私がこんな話を知っているのかも触れてはいけない。過ぎた話だ。

荷物のデリバリーサービスで荷物だけ先にホテルに移動。
人間はまだ土地勘は掴めないまま市内観光へ。
まずは、市内バスにのり、京都の定番、清水寺へ。
バス停を降りて清水寺を目指すものの、どうやら正面の道ではないらしい。私たちの乗ったバスは清水道に止まるルートではなく、東山五条に止まるルート。両方、清水寺へ行けるけれども、道順が違う。
そういうわけで墓地の中心を進む羽目に。
ところで、その墓地の中で一際目立つのは太平洋戦争で出征して亡くなられた方々の墓。目にするたびにハッとする。どんは時々そういう方の墓の前で足を止める。
高野山の奥の院でもそうだったが、意識しない中に突然「かつて日本は戦争をしていた」という事実を突きつけられているようだ。
二人、考えながら上り坂を進む。

●巡る世界遺産
三カ所目の世界遺産、京都一カ所目の世界遺産、清水寺。
高所恐怖症のくせに高いところにあえて歩むどん。清水の舞台の柵に近づいては離れ近づいては離れ。そんなどんをほっといて、私は参拝しつつ写真を撮りつつ。清水の舞台といえば究極超人あーる。……そんな懐かしい話はさておき、昼食はガイドブックにあった、「お茶漬けバイキング」なるものに。
私の好物の阿闍梨餅を購入後、少し迷って到着。お茶漬けといいつつバイキングなのは漬け物。それを乗せてズルズルとお茶漬けを頂く。季節のご飯やお粥もあったりする。
全種類をトライするどんと、大根系だけを選ぶ私。少々持たれ気味の胃も落ち着いたところで、次の目的地へ。
ところで、参道で舞妓に扮した観光客とすれ違ったのだが、本物の舞妓だと信じた男がいた。どんである。
料金を払って舞妓の扮装をして写真を撮るという店があることを、知らなかったらしい。ガイドブックにあれだけ掲載されていたのに。ここで新事実発覚。こいつ、ガイドブック読んでない。
京都の旅は私が調べたのだが、やはりまるっと乗っかるつもりだったらしい。
「次はどこ?」
「三十三間堂」
実は、少し前に次の目的地を話したのだが、聞いていなかったらしい。
慣れない土地で苛つく私に少しずつ投入される燃料。短気な私、耐えられるか?!

人多過ぎでバス停で降りられないというハプニングを越えつつ、三十三間堂到着。実は私は京都は何度か来ている。とはいえ慣れない土地には代わりはない。地図を握りしめての緊張の移動である。
日は傾き、閉館時間は迫っているのである。ここは効率よく回りたい。
そんな私の後ろを、どんはのほほんとついていく。
もうちょっと、どんを頼りがいのある男に書いてあげたいが、実際にのほほんとついてきていたので仕方がない。諦めろ、どん。
さて、三十三間堂と言えば究極超人あーる。……そんな懐かしい話は再びさておき、この場所でのどんの反応は楽しみである。
ご存じの方もたくさんいらっしゃると思うが、あの仏像の数。1001体の千手観音。さらにその最前に並ぶ様々な仏像。
案の定、どんがのけぞった。
私のことさえも忘れたかのように熱心に見入っている。
ところで、この仏像の中に知り合いに似た人がいる、と言われているそうだが、確かに一人、同僚に似た仏像を発見。その同僚はそもそもが仏顔なのだが。

vol.3その弐へ続く
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