妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2005年09月

解散狂想曲05 ?がんばらない。?

家でゆるゆるだらだらしているかなと思えば、深夜まで帰ってこなかったりして。
そんなどんの選挙戦ももうじき終わる。
一応、無理はしていない様子。無理しないついでにFとかZとか辞めとけ辞めとけ。

そんな日々の中で、「活動に出てこない部員さんがいる」とのことで、どんが「激励」に狩り出された。
激しく励ます。スクールウォーズの山下真司が5人くらい揃って励ましているようなイメージに、クラクラする。BGMはHEROで。
「出てこない人を激励するなんて、もう放っておいてあげればいいじゃん」という私の問いかけに「激励って言っても、まず話を聞いてからだから」と苦笑いしながら出かけていき。
数時間して帰宅。

詳しくは書かないが、多分、この時期、同じ悩みを持っている学会員さんはいらっしゃると思う。
概要としてその人の話は「仕事が忙しく選挙活動が出来ない。しかし活動報告に顔を出せば、他の人はFの数をどんどんあげている、それがプレッシャーに感じて活動に出づらくなった」。
F票のノルマがあるわけではないらしい(どんの地区は)。しかし、選挙にはいけいけどんどん!の空気がつきまとい、聖教新聞や公明新聞では日々「勝利」を煽る。報道は自民vs民主。自民を選ぶと答えた人は「自民単独で(公明イラネ)」と答えるそうで、焦る公明焦る学会。「なんとかしなければ」という危機感が取り巻く。しかし仕事は選挙と関係なく当たり前に進んでいく。
「で、アンタはなんと?」
「一人の獅子として、先生の弟子として……!!!」
「無神経」
「……そんなわけないじゃん」
どんは「仕事や生活が大事だし責任があるのだから、それを大事にして良いと思う。出来るときに出来ることをすればいい。無理もしなくてもいいし、引け目に感じなくてもいい」と答えたそう。
「……アンタってさ、いい人だよね」
「……まあ、俺が彼に言ったことは学会員としては劣等生の答えなんだろうね」
無理が出来ない状況の人に「頑張れ」と言わない(というか性格的に言えない)。
何が優先すべきことか見失わないで冷静に判断できる。
いくらバリ学会員とはいえ、考え方は常識的学会思考的には劣等生だから、あたしゃアンタと結婚したんだけどね。

生活の基盤は大事だ。責任ある仕事は大事だ。学会員の代わりはいくらでもいるけれど、その仕事や生活の中ではその人の代わりはその人しかいない。
無理をして身体や心を壊しても、仕事に穴を空けて社会的信用を失っても、学会も党も誰も責任は取ってくれない。
全て自分に降りかかってくる。
いつまでも、「学会が悪い」と第三者のせいにしていては何も解決しない。(いや、事実、学会は無責任だし悪いと思うけど)。
自分の力で挽回するか、そうならないように事前に自分で自分のペースを守るようにするか(含脱活動家・脱学会)。
自分で自分を護ることが必要ではないだろうか(そもそも、そういうことをさせる学会って、ましてや自分を護ろうとすることを阻もうとする学会って、なんなのよどうなのよってことになるのだが)。

誰かのためにとか、平和のためにとか(具体的に学会の何が平和のためなのか未だ不明)、センセーのためにとか、よく聞く言葉だ。
そうやって大義を振りかざして、自分以外のために戦うのも結構だが、自分を護ることも大事だと思う。
自分を犠牲にして選挙や広宣流布や新聞啓蒙やらをやり遂げて、そりゃやり遂げたあとの充実感はあるかもしれないけれど、結局学会のためにしかなっていない。功徳という言葉だけのご褒美はもらえるけれど。
自分がそれで良いと得るものはあると思うのなら、それはそれは良かったですねーその努力は実生活にも生かしてくださいねー、と思うが、それで自分の生活と身体と心を壊してしまっては、自分を追いつめてしまっては、意味のないことではないか?信仰って自分の幸せのためにもあるはずのものではないのか?

私は、自分が大事だと言い切れることが素晴らしいと思う。
自己中心ぽく見えるけれど、自分を幸せにするのは自分しかいないし、自分を護るのも自分しかいないと思う。
もう忘れてしまったけど、誰かが言っていた。「自分が幸せじゃないのに、他人を幸せにできると思う?」。
自分も自分の周囲の人も苦しめて、平和のために日本のために選挙に勝つためにセンセーのために。それでもらうご褒美なんて、いらないぞ。
自分を護るために、がんばらなくてもいい時はある。

不愉快

この度の台風で被災された方々、お見舞い申し上げます。
行方不明の方が一日も早く、出来ればご無事で帰還されることと
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

そんな中で、9月7日の聖教新聞を見て、不愉快になった。
4コマ漫画である。
明らかに台風と思わせるかのように、家の外は荒れ模様。
高齢の男性が「友達と話したくてうずうずしているのに(選挙依頼?)」と悔しがる。
話したがるというのは、世間話ではなく、時期からして選挙だろう。ここ最近の漫画では家庭訪問や電話をする学会員のエピソードが何度か描かれている。
しかし、「でもこれはチャンス!こんな時だからこそ、友達は家にいるはず、私には電話という味方がある」とやおら電話をかけだす。

台風の日に足腰の弱い高齢の方は外へ出ては行けないという啓発だろうか。
家にいる時間さえても有効に(選挙活動に)使えという啓発だろうか。
いずれにしろ、不愉快である。

●電話の相手も台風のまっただ中にいる場合。
1.台風だからといって、皆が家でのんびりしているわけではない。
自分の身と家族と家を守るために、支度がある。
浸水だの屋根が飛んだだの、そこまでいかなくても、相手には相手の家の事情というものがある。
2.台風の日、電話回線は空けておいた方良い。
出先にいる家族からの連絡、地域の緊急連絡網等々、緊急の電話というものがある。
台風に限らず、地震等の災害の時は、心配でも被災地への電話は控えるのが常識である。

●電話の相手が台風とは関係ない場所にいる場合。
1.台風の日、電話回線は空けておいた方良い。
出先にいる家族からの連絡、地域の緊急連絡網等々、緊急の電話というものがある。
この高齢の男性の家の電話に「キャッチホン」がついていることを願う。
2.戸惑い。
台風のまっただ中にいる人間から(選挙依頼の)電話があると、「こんな時にこういうことしていていいのかこの人は」という心配を与える。…………そういうのはどうでもいいけど。

●どちらにしても。
毎年、台風による家屋への被害は起こる。人命さえも失われる事もある。
台風の日にするべきことは、自分の命や家屋を守るために警戒を怠らないこと、出来る準備をしておくのであって、「チャンス!家にいる」と電話をかけるべきではない。
そりゃ家にはいるよ。でも世間話も仏法話も選挙依頼話も聞いている場合ではないのだ。

●最大の不愉快。
この4コマ漫画の対面の部分。10面の右角に「台風14号 5人死亡、15人が不明」という見出しがある。
尊い人命が失われ、無事かさえわからない人がおり、家屋に甚大な被害を及ぼしたこの度の台風。
一方で「台風でみんな家にいるだろう、チャンスだから電話しよう」という漫画を掲載する無神経さ。
亡くなってるんですよね、人が。まだ行方が分からない人がいらっしゃるんですよね。住む家を無くした人も、農地や家畜を失った人もいるんですよね。
多くの人々に読まれる新聞ならば、せめて台風に備えるための漫画にするとか、それこそ被害がないように祈って題目あげる漫画にするとか、それくらいの配慮があっても良いのではないだろうか。
だが、これが台風の前に描かれて新聞社に渡されたものならば、この不愉快の根元は漫画家ではなく聖教新聞社側だ。
隣の紙面に台風被害の記事を載せるということが確定した時点で、漫画の内容を差し替えるなり休止にしたほうが賢明だったと思う。
台風の記事が掲載される、このタイミングであの漫画掲載は、不謹慎すぎる。
今まだ予断も許さない状態で、新しい台風も発生したというのに。

痛ましい被害を与える災害が起こる、その側で、これはチャンスだから選挙依頼だか広宣流布だかの電話をしろと言う。
このタイミングでそういう漫画を掲載というのは、心の中のどこが麻痺したら出来るのだろうか。

小話、みっつ。

ひとつ。

出入り禁止とはいえども、たまにどんに用事がある人はサササッと訪れて去っていくことはある。で、最近もそんな人がやってきた。
どんに書類を届けにきたその男子部のバリ活動家な人は我が家の(妻がアンチという)事情をご存知の方で、どんが置いていた創価な書類を見て「華さん、どんさんと喧嘩したらこの書類を新潮とか正宗あてに送るといいですよ」と自虐的ブラックジョークを残して帰っていった。
自虐ブラックジョークはそれとして。
どんは笑いながら「まー、名簿とかスケジュールとか、たいしたものじゃないし」。
「……個人情報保護法って知ってるか?地区の会員さんの個人情報を『たいしたもんじゃない』とは、いやはや」
「あ!そうだ!」
思い出したらしく、慌てて書類を片づけ始めるどん。
いやいや、漏洩させたりはしませんけれどね。

さてさて、創価学会がプライバシーポリシーについてどう考えているのか、名簿を扱う役職持ちにどういうお達しをしているのかは知らない。
学会として「プライバシーポリシーはちゃんとあります!」なんて言ったって、幹部にした相談が翌日には周囲に知れ渡っていたとか、知らない幹部が未活の家にやってきたとか、卒業アルバムやPTAの名簿を元にしたらしい選挙の依頼があったとか、そんな話を伝え聞くに、ちゃんとやっているようには思えない。
現場学会員制作の独自の名簿の存在、内部書類の扱いや破棄方法まで上層部が把握できるわけもないだろう。
その辺に、ぽんっと名簿やスケジュールがむき出しで置いてあるくらいだしw。
もしも学会がプライバシーマーク認定を取得しようと思ったら、末端まで徹底させないと取得できないから、ものすっっっっごい大変なことになるだろうなあ。
何度も内部講習会して、テスト受けて、会館ごとに監査受けて、資料を読んで、感想文書いて…(…っていうことを我が社で取り組んでいる最中)。
どんは、破棄する学会書類はちゃんとシュレッダーにかけているけれど、それも仕事する際に、広告の内部情報を手にすることが多くシュレッダー破棄や返却を義務づけられているから、その延長線上でやっているようなものだ。
どんに確認したところ、学会から書類の破棄についての注意など、情報取り扱いに関するお達しは、やっぱり特にはないそうで。
題目や本尊で守れないものが個人情報ってな。そもそも学会員さん自身が守ってなかったりして。


ふたつ。

昨日の「トリビアの泉」の「トリビアの種」コーナーで女性の心を掴むメール内容は?という企画が放送されていた。
私からしてみれば憧れの、有名コピーライターが集結して作ったその内容は「電話してもいいですか。」
……さすが!!キューンと来ちゃうし、勉強になるしで身もだえていたらば、食卓の向こうのどんが。
「華ちゃんも、つきあい始めの頃そんなメールくれたことあるよ」
「そうだっけ」
「悲しいことがあったらしくってね『涙が止まりません、電話してもいいですか。』って」
「………………うるせえよ(怒)」
そして、思い出す。
「そういえば、その電話の後、『心配だから明日会いに行く』ってメールくれたのに、どんは来なかったんだよね、結局。用事が出来たって
「そうだっけ?」
「その用事って、後で分かったことだったんだけどさ。アンタ、学会の用事で来られなかったんだよね
「(しまった!)」
藪から蛇が出てきたぞ、オイ。


みっつ。

さて、ニュースです。
このブログでも書いたが、日蓮正宗の寺に3000回以上迷惑電話をかけ逮捕された、かの学会員。
懲役1年の実刑判決。
公判でも『1日1回に自制はするがこれからも教義を正していく』と言ったそうで。
もう言っている意味がわからないんですけど。
煽られて思いこんで罪を犯して、なお正しいと。
「学会の教義は絶対に正しい」と思いこんだ果てを見てしまった気分。
正しいと思うのは自由だ。でも、それは自分の中だけに留めておけよっていうのは、学会の性質上そうはいかないのだろうか。
確かに、これは被告個人の起こした行動であるし、償うべきは彼なのだが。
でも、被告をここまで頑なにした学会って、何なんだろうか。


ぼやき。
ところで刑務所内で聖教新聞は読めるのだろうか?
拘置所のほうではアンケートをとり、一番多かった新聞を購読できると聞いたことがある。
ということで本棚より取り出しましたのは映画「刑務所の中」パンフレット。
新聞についての記述あり。
「受刑者に見せる新聞・雑誌の内容に規制はあるのか」という問いに対して「刑務所ごとに異なるが、警備・教化との関係を考慮しつつ、雑誌・新聞の内容を規制して記事を削除することはある」「暴力団の抗争など、受刑者の対立・闘争につながるされるような記事は、収監者に応じて判断する」とのこと。
犯罪の一因を担ったのが教義だったわけだから、………聖教新聞は読めない可能性は高いかも。
受刑者といえども、基本的人権があるわけでその中には信仰の自由があったりするのだろうが、犯罪の原因が信仰の場合は、一体どうなるんだろう?
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