妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2005年06月

ルール

ルール

女子部の服装規定について、コメント欄に新事実続々登場で、びっくらこいている(死語)。
●パステルカラーのスーツで来ない人にはスーツが用意されている。
●髪は黒くしなければならないらしい。
●化粧マニュアルも存在するらしい。
●大学行の名誉会長出席行事では、役員クラスは髪型までさらに徹底されるらしい。
●守らなければ写真撮影から外されるらしい。
●笑顔の元は名誉会長のギャグ。
●男性はスーツに七三。これは人材グループにも共通か?(どん曰く「全ての年代に好印象を与える最大公約数はスーツに七三」。…………そうかもしれないが、若年層は既に微妙な年代と思われる)

きっと調べれば調べるほど、この手の創価ルールがじゃんじゃん出てきそうで、調べたくないこの頃。
以前、ノリで掲載した嘘雑誌「SOKA GIRL」の巻頭特集のキャッチコピーが充実しすぎて誌面に収まり切らなくなるような勢いである。
「会合でキメる!SOKA GIRLの春メイクはコレ!」「個性より没個性がトレンド!パステルスーツで目指せ幹部!」「絶対名誉会長についていく!私達、SOKA GIRL宣言!」「あの子に差をつけたい!パステルスーツはこっそりブランド重視」「グループでキメよう!スーツのパステルカラーは三色揃えるのがSOKA GIRLS」「笑顔で映ろう!新聞・新報を彩るのは、私達!」
次から次へと浮かんできてしまう。うーん、雑誌の企画立てて、創価系出版社に売り込んでみるか?(嘘)

さて、所属する団体の式典や会合に出席するにあたり、またその際、広報用の写真撮影をするにあたり、それ相応の格好をするのは、社会人としての常識ではある。
が。
それは、一定のラインを越えなければ後は個々の判断で、というのが一般社会の通例であったりする。
その一般社会において、そのような式典や会合に出席する、というケースの多くは「会社行事」になると思うのだが、「華美でないスーツ」や「お客様から見て好印象なスタイル」など、会社の創業者向けのファッションではなく、あくまでお客様や取引企業様から見て「好印象な会社のイメージ」を与えるためのものである。(もちろんサービス業を中心に事細かな規定のある会社も多く存在すると思うが、同様にそれは創業者のための規定とは考えにくい。対お客様向けの企業イメージのためであると思われる。どこぞの創価とは根本的に意味が違う)
団体に属している以上は規定があるのは当然のことだが、社会人ともなれば、その規定の範囲内での自身で「判断」が尊重されることも、また当然の話である。学生ではないのだ。

ままま、そんな道理は学会様では通用するわけもないだろう。
髪型からメイクから事細かに装いを定めて指示。
従わないものは外す。
その事細かな規定は一体誰が何の目的で作ったのか、「名誉会長の好み」だろうが、「そのほうが爽やかに見えて学会のパブリックイメージに相応しいから」だろうが、正直なところどうでもいい。
高校生ならともかく、すでに成人の年齢の大学生や社会人に「判断」する権利がないというのは、どうだろうか。
学校の校則は「学生らしさ」が重要視されるが(管理教育とか、尾崎豊(!?)とか、いろいろ賛否あるが)、そのノリで行けば「創価らしさ」が必要であるのだろう。成人を過ぎ、責任は求められるものの自分のことは自分で決めて良い立場の社会人であるである以前に、「創価学会員であること」が重要視される現れではないだろうか。

全てのことは根底で繋がっているような気がする。
パステルカラーのスーツも、七三も、選挙運動も、新聞啓蒙も、財務も、役職も。
一宗教団体が会員に要求することにしては、逸脱しているような気がするのは私だけではないだろう。
責任や義務もあるけれど権利も自由も保障された日本国民である以前に、創価学会を中心に動き考える「創価学会員であること」を要求されているように感じるのだ。

やったらめったら、「人間」を強調する学会ではあるけれども。
信仰が「人間」を生き生きとさせると強調しているけれども。
「人間」とは見ていないから、逸脱した要求が出来るのではないだろうか。

この民主主義の日本で、自由に生きることが可能なこの国で、好きな物を好きに選べるこの国で、立派な成人が、同じような色調・同じような髪型・同じような笑顔の完全没個性で写真に映り「人間でござい」「生き生きしているでござい」「輝いているでござい」と言っても、なんら説得力は生じないと思うが。

そういえば、かの国では、喜び組の口紅の色まで将軍様が決めるらしい。

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ちょっと流行に乗ってみます。
今、日本で一番暑苦しい、花田家について考えてみます。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん……。
どうでも、よい。
ちょっと思ったのは、場所前に弟子放置で各局しゃべりまくりツアーしてていいのか、弟。
タニマチ切ってサポーター制ってマジか、弟。
それで国技だ伝統だって言って良いのか、弟。
それくらいです。
後はほんとにどうでもいい。
弟は「しゃべらないと罪」とか言ってましたけど、別に知りたくないし。
出勤前にテレビをつけているので、必然的に朝のワイドショーでの若貴マスコミ公開兄弟喧嘩ショーを見る羽目になってしまうけど、途中でNHK朝ドラに変えて木戸優ちゃん(本仮屋ユイカちゃん)萌え?してるんで。
可愛いなあ。ここ近年の朝ドラで一番、可愛くないですか?
「あぐり」「オードリー」以来、久々に真剣に見てますけど、朝ドラ「ファイト」。
ちなみに自分内ワースト朝ドラは「わたしの青空」と「天花」。脚本が苦手でした。
「わたしの青空」は頑張るシングルマザーというイマドキなテーマの裏で『可愛げのない女はもてないのよ』的な古典思考セリフ続出で(それを主人公に言わせている)朝からウンザリで途中で見なくなりました。「天花」は主人公がおじさんの好む女の子像で、セリフの内容もセリフ回しもシチュエーションも全てが共感できないにも関わらず、ツッコミ所が満載で、逆に毎日見てしまいました。
今回の朝ドラは、主人公姉弟が可愛いのはさておき、家族それぞれの立場での葛藤が描かれていて、良いです。
主人公が学校で孤立したり親友を孤立しても助けられない描写も生々しかったなあ。
今は主人公母が、「女」でもある自分と、そうは見てくれない夫との関係に心を痛めているシーンが続いております。
ちなみにどんは「緒方直人と酒井法子が大きい子どもの両親役なんて…時間の流れって…」と落ち込んでいました。
「あぐり」も田中美里さんが可愛くて、野村万斎さんが素敵で、のびのびとサクセスストーリーを築いていくあぐりが良かったなあ。
本物のあぐりさんが娘さんで女優の吉行和子さんと出演したドキュメンタリー番組では「ドラマで描かれているほど、あんなに(夫婦仲が)いいもんではなかった」、和子さんは「子どもは結構大変だったわよ」とおっしゃっていましたが。
……あれ?何の話でしたっけ?

晴れやかな笑顔の没個性

創価新報という新聞がある。
どんに聞くところによると、大学の創価サークルのミニコミ誌が始まりらしい。
男子部や女子部・婦人部ヤングミセスなど、若手学会員に向けられたこの新聞は月二回発行。
聖教新聞は笑えるけれども、創価新報はあからさまだ。
攻撃性は、聖教新聞に遙かに勝る。
聖教新聞は罵倒座談会1面で収まるところが、1面どころではすまない。
敵対団体(というか日蓮正宗)の僧侶(というか日顕氏)の豪邸建て替え記事をはじめ、敵対団体(というか日蓮正宗)への批判(というか攻撃)がえげつないのである。(ちなみに最新号)
新聞の形を取りながらも、内容としては週刊誌的でもある。
創価新報を斜め読んで思うが、朝から攻撃的な内容で煽られて怒り、昼間は仕事して、夜は活動して、また創価新報を読んで怒り、という怒りのエネルギーで一日を過ごす学会員さんはいるのだろうか。
精神的に不健康な過ごし方だと思うが。
生気を吸い取られるので、私は普段はあまり読まないけれど、最新号は見た。
見ただけで読んではいない。
見た、というかある写真に釘付けだった。
トップを飾る、その写真。一枚は名誉会長の笑顔。
こっちには用はない。いつも用はない。これからも用はない。
ではなくて、もう一枚の写真。
笑顔で微笑む、会場の学会員の皆さんの写真。もちろん聖教新聞でもおなじみの写真だが、カラーだとインパクトが凄い。聖教新聞はその多くがモノクロなのに対し、創価新報はカラー紙面が多いのだ。
しかし、同じような写真は聖教新聞で幾度となく見たが、改めて創価新報で見ると、その衝撃たるや。
女子部のスーツが、パステルピンク・ブルー・イエローの三色しかない。
そして。
額を出しているショートの方が多いこと多いこと。
額だけを注目して見ていると、おでこ、おでこ、おでこ、見渡す限りおでこなのである。
もちろん、パステルカラーのスーツや額を出したショートは、その写真の右隣の写真で微笑む名誉会長の好みだと言うが、にしても、これはビックリだ。
あの写真の微笑みは、パステルカラーのスーツに額の見えるショートが揃ったことへの喜びの笑みではないだろうが、にしても聞きたい。
パステルカラーのスーツと額の見えるショートが好みの起源はなんですか?

どん曰く、「女子部ってお洒落に気を遣ってる子多いよ」と言っていたが、騙されたか?騙されたのか私は。
そうではなく。
おそらくは、普段からそうなのではなく、学会の大規模な会合という学会的ハレの日のための正装なんだろうと、頑張って想像してみる。
ほら、こう、ね、TPOにあった装いって、あるでしょ。
だから、創価的TPOの装いが、これで。
……………にしても、インパクトは強烈である。
没個性の装いの中、皆様の晴れやかな笑顔の集団が、なおも個性を埋没させて、実はちょっと恐ろしさも感じてしまうのは、正直な感想だ。
「みんなが同じ事」に疑問を持てる尾崎豊スピリットをお持ちの方が、原色スーツで縦ロールの茶髪でばっちりフルメイクで紛れていたりしないだろうか。
うーん、この示し合わせたかのようなパステルカラーのスーツは、キリスト教で言うところの修道女の服だったり、イスラム教で言うところのブルカのようなものか?
絶対、違うな。

ところで。
パステルカラーのスーツが本当に名誉会長の好みであるならば、もし彼の好みが「ゴスロリ」だったらどういう写真になるだろうか。

ちなみに、よく掲載される「会場での学会員達が笑っている写真」、よーく見ていたら、明らかに爆笑している人がたまにいます。

君がソレを言うなよ。

社内の組織が変わり、部内の仕事の入り方のシステムが変わり、忙しさ倍増。
部内のスケジュール表にリーダーが掲げたらしい目標が書いてあるのを、ふと見つけ。
「外注費の削減と無駄な残業時間の削減」
……リーダー、矛盾してるぞ?仕事量から考えても今の人数じゃ、難しいぞ?
それじゃ某学会と一緒だぞ?
ふとリーダーを見れば目を回している様子。社長から何か言われたらしい。
追いつめられつつある我が部。
某学会に似て参りましたねぇ。末端のツラさも似ているだろうか。
こっちはツライままで終わらせるつもりはないけれど。

さて。昨日の素敵な聖教新聞を読み、私は吹いた。
名誉会長のスピーチ(下)も、それなりに生ぬるく読んだが、
何が面白いって罵倒座談会ページに
「悪口が社会を変えたためしはない」
と書いてあったからである。
よりによって座談会ページである。寸鉄でもわが友に贈るでもなく、座談会ページである。
あの座談会ページである。
例によって、人の言葉を引用していることも、噂の「その通りだ。」セリフが出ていることも、それはそれで面白いのだが、あの言葉に勝るものはない。
悪口満載のあのページに、「悪口が社会を変えたためしはない」って掲載するなんて。
もしかして、
自虐ギャグですか?
確かに、悪口が社会を変えることはないだろう。
分かっていらっしゃるのに、どうして悪口満載な座談会ページなど無くさないのだろう。
不思議?。

昨日のその座談会ページには足立区応援キャンペーン。
都議会選挙の絡みなのだろうか。見出しのキャッチコピーの感じでは、都議選の要は足立区らしい。
共産の不祥事を取り上げ、共産党バッシングに終始している。
例によって、棚上げぶりがスゲエっす!
と、ついつい感心してしまうのだが。
足立区といえば、最近、公明党区議員があっせん収賄容疑とあっせん利得処罰法違反で逮捕されているわけだが、当然、そんな話は触れない。
ままま、こんな時期にわざわざ公明の汚点を自ら持ち出すことをしなくてもいいだろうけれど、もちろん裏切られたのは応援した学会員でもあるわけだし。
さておき。その共産系病院の件。
足立のことを言いたいらしいが、他地区共産党・共産系病院バッシングを連ねた後、公明党はこんなに役にたってるのよ、最終的に足立区にはそんな不祥事が起こるような、本業をおろそかにして政治活動するような共産系の民医連の診療所が多いのよ、という結びつきになっている。
ちょっと無理を感じる。
足立区を勝たせたい話をするならば、足立区での取り組みや不祥事をクローズアップさせればいいような気もするのだが。それって選挙法に引っかかるのだろうか?
まあね、足立区内だけの共産党の不祥事を批判できる立場じゃないから、他の地区の不祥事を並べてるんだと思うけれど。全然さておきませんよ。私がさておくままにするわけないじゃないですか。アハハ。
にしても面白いのは、その共産系病院バッシングの際に「『カンパ活動』や『購読推進』など何が本業か分からない」「選挙になると医師も看護師もなりふり構わずだ」という表現をしている。
もちろん、思想信条の自由とはいえ、本業をおろそかにするのは良くないと思う。
だが、それを創価学会が言っちゃうのは、どうかな?
共産系病院の不祥事は党の組織構造が欠陥のせいだとも書いている。
だが、それを創価学会が言っちゃうのは、どうかな?
とてもじゃないけど、創価学会も純白に輝く清廉潔白な組織には見えないんだけど。
特になりふり構わない選挙活動。この件に関して、創価学会は他党を批判できる立場にないと思うのだが。
それを創価学会が言っちゃうのは、どうかな?
情報流出事件でも詐欺事件でも、いやがらせ電話事件でも(他にもイロイロあるんでしょうけど)、なんだかオブラートに包んだような表現をして、創価学会員による犯罪であることをぼかすような表現をしているところに、よその党や団体を、とやかく言う資格はないと思うのだが。
とやかく言う資格があるとするならば、学会員が手弁当で走り回って選挙に「勝たせた」公明党議員の不祥事くらいだろう。

犯罪を犯す学会員はいる。意図せずも学会の影響も漂う犯罪はあるが、学会の示唆がないのならば、根本は学会員個人の資質によるものだと思う。
だが、学会員が犯罪を犯すと、学会以外で何かと槍玉に挙げたり突っ込まれたりするのは何故だろうか(私とか)。
それは、学会が自分たちは正義で、理解できない人間は愚かだ嫉妬だとけなすからだ。
そりゃけなされている人々の中には足元をすくいたがる人はたくさんいるだろう。「俺らって正義だし?」って顔をしている団体に所属する人間が犯罪を犯すのだから。
「個人のことだから関係ない」と言っても「どういう教えしてるの?本当に関係ないの?」と突っ込まれても仕方ない種を、創価学会は普段から蒔いている。
さんざん他の団体や個人を攻撃しておいて、自分たちは常に正しいという顔をしていて、いざ学会員による犯罪が起こると、一般記事面ではオブラートに包み罵倒座談会では一言も触れない。
「いろんな人がいる、間違いを犯す人だっている」と誤魔化す。
確かにそうだろう。いろんな人がいて、間違いを犯す人だっているだろう。
ならばそれは他の団体にも言えることだ。
いろんな人がいて、間違いを犯す人がいる。
不祥事が起こった病院が共産系だったからといって、全ての共産系病院の医師や看護師が間違いを犯すかのような決めつけた書き方をするのはいかがだろうか。
全ての日蓮正宗の僧侶が極悪非道だと決めつけた書き方をするのはいかがだろうか。
(私は一方の肩を持つわけでもないが)
いろんな人がいて、間違いを犯す人はいるのは、どこの団体も一緒だ。
どこでも通用するその考え方を、創価学会にだけ通用して、他の団体に通用しないというのはおかしな話だ。
ふと、謙虚さのない団体だと思った。
妙な自信というか、自己主張というか、自己愛というか、ナルシストというか。
自分に自信を持つのは結構なことだが、根拠が見えないのがどうにも。
自分たちの不祥事を棚上げして、他の団体を攻撃できるその顔の皮の厚さは、それが積み重なっているのではないかと。
そういう古い角質は、もうそぎ落とした方がいいと思うけれど。
もう固くなってるから、落ちないかな。

選挙と言えば。
コラムニストの勝谷誠彦さんが6月7日、8日のご自身の日記で、尼崎市会議員選挙について触れられている。
2位から12位まで、綺麗に公明党ご当選。
詳しくは「勝谷誠彦 日記」でレッツ、Yahoo!(たまにはYahooで)
[お知らせ:この日記を読んだ後に、西原理恵子さんの「鳥頭紀行」を読むと、びっくりします。幅が広い人はいいなあ。5年も休まずweb日記続けるなんてすごいなあ]
この場所もまた、投票率が低かったうえに48.45%と過去最低だったそう。
組織票が取りやすい、どこぞにとってはありがたい投票率である。
投票のお願いは、お断りしましょう。
自分の意志で公明を選ぶならば誰も文句は言わない。
考えずに頼まれたから入れるなんて、しないで欲しい。ちゃんと考えて決めて欲しい。
そして何より。
選挙に行きましょう。
お願いします、行ってください。

Telephone Line

「真面目な」学会員さんが嫌がらせ電話で逮捕です

大本営発表(聖教新聞)で、敵の日蓮正宗を攻撃しているからって、嫌がらせ電話をしてもいいっていう免罪符にはちっともならないわけで。
そういうことをした人が悪いのは当たり前だし、受け手である容疑者自身の思考の問題とはいえ、創価学会そのものが、あんな罵倒座談会や、「敵」を口汚く罵ったり「敵」の僧侶の人格攻撃をしていることも(例えそれがお互い様で泥仕合だったとしても)本当は許されることではないし、それが末端の学会員になにがしか影響を与えていないと言い切るには難しいだろう。
「向こう(日蓮正宗)だって、同じようなことはやっている」と、聖教新聞の罵倒座談会への指摘に対して答える学会員がいるが(我が家にも)。
「じゃあ、わざわざ同じレベルに、自分たちが下りて程度の低い言い争いをそれぞれの機関紙を使ってすることが、果たして信仰者として相応しいことなのか?取り合わない・放置するという大人の対応をしておけば、世間に『信仰者として如何なものか?』と印象を与えるのは、口汚く罵り続けた方ではないかと思うけれど」
と(我が家の学会員に)言ったことがある。
学会員の間においても「罵倒座談会」は評判が悪いと聞くから、そういう意見を既に思っている人や同意される人もいるだろう(我が家にもいた。でも「それはそうなんだけど、戦いとは?」って得意の妄信学会員モノマネをしていた。もちろんジョークである)。

毎度お馴染み、週刊新潮6/2号に記事が出ていたが、すでに最新号に変わっていて、書店で現物を確認できず(情報が遅いヘタレアンチの私w)。
ネットに記事のコピーが出ていたので、それをかいつまんで説明すると。

地区部長まで務める真面目な創価学会員が、「仏敵」日蓮正宗の仏見寺に、昨年6?7月の2ヶ月間で1123回の、本人曰く宗教論争という名の嫌がらせ電話をかけ偽計業務妨害の疑いで逮捕。
しかし実際は、2ヶ月間で1123回どころではなく、平成4年頃から。夕方から深夜にかけ電話に出た寺の関係者に罵倒していたというもの。しかも一軒の寺だけではなく全国の日蓮正宗のお寺に自ら名前を名乗って電話しており、検察から要請を受けた総本山の大石寺が調査した結果、全国523の末寺で回答があったのは353の寺。そのうち262の寺が谷口からの嫌がらせ電話を受けていたことがわかる。
容疑者を知る近所の方は「朝は聖教新聞の配達をし、その後はパチンコ店で勤務、朝夕にお題目をあげる普通の人」と話している。真面目な学会員という意味だろう。
記事では創価学会の広報室のコメントも掲載しており、「逮捕された谷口博司は地区部長をつとめていました。全く個人的な行為だったとはいえ、あってはならない違法行為であり、彼を役職から解任し、厳正に処分いたしました」(コメントは記事の原文まま転載)とのこと。

日蓮正宗の言うことは信用ならん!という妄信発言は一切無視する方向にして。でも、10年以上被害に遭っており、しかも容疑者直々に名乗っているにも関わらず、すぐに手を打たなかったのは何故?というツッコミは検察にするべきか日蓮正宗にするべきか。
すぐに手を打てない事情でもあったのだろうか。
しかも今の今まで総本山まで話が行っていなかったのも不思議な話で。
にしても。
嫌がらせ電話も、もしや氷山の一角に過ぎないのではないかと思ってみたりもする。
選挙だ折伏だと、人の迷惑顧みない学会員がいるくらいだから、選挙のないときの矛先が日蓮正宗への「批判」どころか実力行使の嫌がらせを行っているのではないかというのは、下衆の勘ぐりというやつで。
ども!下衆ですけど何か?

十代の頃だったが、自己中心的な性格で嫌われていたクラスメイトがいた。
他のクラスメイトは、表だって本人に何も言うことはなかったが、裏では悪口を言われていた。
ある日、その自己中心的ぶりが私に直接危害を及ぼしてきたことがあった。
で、ブチ切れた私は、その子を罵倒して、泣かせてしまった。
耐えかねていたこともあるが、クラスメイト達が裏で悪口を言っていたということで、その子を悪く言って良い思ってしまった。
当然、皆、私の味方をしてくれるだろうと。
が、その子が泣き出したために、私は悪者に。
裏で悪口を言っていたはずのクラスメイト達が、泣き出したその子の味方をしたのである。

容疑者的にはそんな感じだろうか。
新聞では日蓮正宗を攻撃している。仏敵だと悪だと言っている。
常軌を逸した電話は正義の戦い。
が、蓋を開ければ、悪者は自分。組織からも切り捨てられる。
日蓮正宗が、自己中心的な性格のクラスメイトとは言えないが、容疑者の心情はこのようなものかなと想像してみる。
気の毒だなとは欠片も思わないが。

実際、悪いことをしたから逮捕されるし、頼みの組織とて、そんな学会員は必要ないだろう。

が。
組織は本当に無関係だろうか。
聖教新聞が、容疑者の心理状態に影響を与えてはいないだろうか。
罵倒座談会での「批判」といいながらも「攻撃」している内容を真に受ける学会員は多くはないだろうが、少なくもないと思う。
仮想敵を作り、攻撃することで自分たちの正当性を確立する。
ともすれば自分を見失ってしまうような厳しい社会の中で、それはアイデンティティとなる。
創価学会から与えられた「正当性」を頼りに生きていく。
それは信仰とは別物の「正当性」ではないだろうか。それは信仰とはいえないと思うのだ。
それを頼りに生きていくのは自由だ。
どういう糧が与えられていても真っ当に社会生活が送れているのではれば。
だが、学会から与えられた糧である「正当性」はあまりにも極端である。

人によって幅はあるだろうが、その極端な正当性を受け入れる人々がいる。
散々既出の学会活動をしたくない長期バイトの2世さんでさえ「新潮や文春の書くことは全部デタラメ、学会は正しい」と固く信じている。
その正当性が、もっと弱い人の心に潜り込んだら?真面目で不器用な人の心に潜り込んだら?
未活の2世さんでさえああなのだ。
どうなるかは火を見るより明らかだろう。
自分たちの信仰が正しいと思っているなら、人を攻撃する必要はないはずである。
自信を持って信仰の道を行けばいい。ついでに押しつけないなら、誰も文句は言わないだろう。
やっぱり、学会そのものに人を惹きつける自信がないから、仮想敵を作り攻撃するのだろう。

アンチサイトまで訪れて「アンタは間違っている、目を覚まして正しい信仰をしろ」とメールや掲示板やコメント欄で説教をかます学会員と容疑者と、何が違うだろうか。
嫌がる人間にしつこく折伏をして、拒否されても魔だなんだとしつこく食いつく学会員と容疑者と、何が違うだろうか。
何も違わない。程度の問題なだけだ。
そういう人に限って、真面目「すぎる」学会員だったりする。
容疑者を切り捨てたところで、どうせ氷山の一角。
自分たちの正当性を主張し、違う価値観を持つ人間を攻撃している人はうじゃうじゃいる。
切り捨てるより、根本的なところが変わらなければ、こういうことは無くならないだろう。
逮捕されるような事から、友達を傷つけるような事まで。
見ず知らずのネットの他人を攻撃するような事から、学会員自身が追いつめられて心を壊すような事まで。
容疑者のしたことは犯罪だ。
しかし、容疑者の、日蓮正宗への攻撃心を育てたのは、創価学会だと思う。
「厳正に処分いたしました」とのコメント。
処分とはなんだろうか。何をしたのだろうか。
処分よりも、新聞紙面を見直した方が効率が良いと思うが。
自分たちが正しいから、価値観の異なる他者を攻撃する。
それは、まるで戦争や内戦の構図である。
容疑者は、その風潮に煽られた真面目で民族や国(組織)を愛する志願兵のようだ。
結局煽られて踊らされて、散ってしまった。
気の毒だなとはやっぱり欠片も思わないが。

さておき。
改めて思うが、凄まじい粘着質である。
が、日常化してしまえば案外やりこなせるかも。
起床→聖教新聞配達→題目→仕事→題目→地区部長の活動→宗教論争のつもりの嫌がらせ電話(深夜)→題目→就寝。
にしても。
その電話をかけまくる情熱を、ドラえもんや黒柳徹子が呼びかけている電話募金に向けて欲しかった。
その情熱で、何万人の子ども達が救えただろう。ああ惜しいことをした。
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