上層部からは「休養を取って活動に当たれ」なんて聖教新聞を通じて言いつつも、人材グループの現場にある活動量はとてもじゃないけれど、休養を取るとこなせない量。
休みたい、生活を優先させたい、なんて零すのは弱い心で、それは魔だなんて言う幹部もいちゃったりして。
ある日、どんが聞いてきた。
「華ちゃんのブログに、活動してて鬱になったり心の病になったりする人、来たりする?」
「は?」
唐突。何かあったか。
「疲れて退会した人もいるし、活動家だったご家族がっていう人もいるよ」
コメントを寄せてくださった方々の中から、覚えている方のケースを挙げる。
どんは、ふう、とため息をついた。
「だよね。そりゃそうだよね」
「何かございましたか」
「ございました」
どんが言うには。
学会活動が原因で鬱病になる人が身近に増えてきている、とのこと。
近隣の地区からはそんな話は聞こえてきたのだが、どんの地区もいよいよ例外ではなく。
地区の活動家学会員さんが、そういう理由で活動をお休みする旨の連絡が入ったというのである。
そのことに、どんはショックを受けている様だった。
「仕事から帰って仕事するようなものなんだよね、男子部の役職付きや人材グループって」
ぽつりと呟く。
いつもはふざけるのに、なんだかしおらしい。
「…まあ、あんたが追い込まれそうだったら強制的にでも脱会させるよ私は」
そう言うと、どんは力無く笑った。
「脱会させるのも、家族なら権限あるよね」
!!!!!!!!!!!
え?え?今、なんていった?何て言ったの?
いつもならふざけて「活動は俺の誇りなのさ!」とどこかのバリ学会員の真似をするのに!
びっくりする私の横で、どんはまた、ほう、とため息をついた。
生活や本職を無視するかのような活動量。
若年層の活動離れで減る後継者。
真面目で責任を背負う人材グループにかかる負荷は重くなる中、魔だとか、福運だとか、功徳だとか、だましだましのゲキも、そろそろ限界に来ているのだろうか。
コップから水が溢れるように、ストレスが許容量を越える人が増えているのだろう。
逆に学会的ゲキも励ましも、当事者を追い込む要因でしかなくなる。
昔の世代は、なんて言う幹部もいるかもしれない。
だが昔は昔、今は今。現代人は心も体も何かと脆い。
活動意欲に波があるのは差し引いて考えたとしても、現代人の許容量は実は狭いのではないか。
団塊の世代の平均寿命は長いが、その後の世代の平均寿命は少しずつ短くなってくるとも言われているのにも関係しているのかもしれない。
時代に合わないのは独特の文体や言い回しだけではない。
活動内容自体が、そしてそこに目をつぶれば、いずれ存在自体が、時代に合わなくなるのではないだろうか(私はそれで一向に構いませんが)。
変化を拒んでいるのか、疎いだけなのか、内部では変化があるものの浸透しないのか、変化の波をどこかがせき止めているのか、世代間に大きなギャップがあるのか、名誉会長がネックなのか、上層部と現場の差があまりに大きいのか。
そんなことよりも、私がショックなのは。
バリのどんが、弱音をはいた。
そのこと。
一時的な物なのか、影響受けやすいどんのことだから、人に痛みに感化されてるだけなのか、それとも……。
男子部の人材不足で壮年部への移動が却下されている、役職を兼任されそうになった、着任に遅れたり休んだりした人の代わりに着任に入る、仕事が忙しくなると土日の休みも関係なくなる、仕事で会合を休めたとしても責任の発生する会合や打ち合わせは休むわけにもいかない、それ以外にもどんが私に言わない、いろんなこと。
「信仰を捨てろなんて言わない、だけど活動はもう、そろそろいいんじゃないの?」
そう言った私に、どんはいつもの顔に戻って言った。
「責任があるし」
近い将来、私が家族として成すべきことが、あるかもしれない。
今、私が出来ることは、可能な限りどんの心を体を、気をつけて見ること。
何か有れば、すぐに動けるように。
どんが、弱音を吐いた。
でも私は、励まさない。
私はアンチだから、この家はどんが安らぐ場所だから。
私はどんが大事だから。
だから、励まさない。
休みたい、生活を優先させたい、なんて零すのは弱い心で、それは魔だなんて言う幹部もいちゃったりして。
ある日、どんが聞いてきた。
「華ちゃんのブログに、活動してて鬱になったり心の病になったりする人、来たりする?」
「は?」
唐突。何かあったか。
「疲れて退会した人もいるし、活動家だったご家族がっていう人もいるよ」
コメントを寄せてくださった方々の中から、覚えている方のケースを挙げる。
どんは、ふう、とため息をついた。
「だよね。そりゃそうだよね」
「何かございましたか」
「ございました」
どんが言うには。
学会活動が原因で鬱病になる人が身近に増えてきている、とのこと。
近隣の地区からはそんな話は聞こえてきたのだが、どんの地区もいよいよ例外ではなく。
地区の活動家学会員さんが、そういう理由で活動をお休みする旨の連絡が入ったというのである。
そのことに、どんはショックを受けている様だった。
「仕事から帰って仕事するようなものなんだよね、男子部の役職付きや人材グループって」
ぽつりと呟く。
いつもはふざけるのに、なんだかしおらしい。
「…まあ、あんたが追い込まれそうだったら強制的にでも脱会させるよ私は」
そう言うと、どんは力無く笑った。
「脱会させるのも、家族なら権限あるよね」
!!!!!!!!!!!
え?え?今、なんていった?何て言ったの?
いつもならふざけて「活動は俺の誇りなのさ!」とどこかのバリ学会員の真似をするのに!
びっくりする私の横で、どんはまた、ほう、とため息をついた。
生活や本職を無視するかのような活動量。
若年層の活動離れで減る後継者。
真面目で責任を背負う人材グループにかかる負荷は重くなる中、魔だとか、福運だとか、功徳だとか、だましだましのゲキも、そろそろ限界に来ているのだろうか。
コップから水が溢れるように、ストレスが許容量を越える人が増えているのだろう。
逆に学会的ゲキも励ましも、当事者を追い込む要因でしかなくなる。
昔の世代は、なんて言う幹部もいるかもしれない。
だが昔は昔、今は今。現代人は心も体も何かと脆い。
活動意欲に波があるのは差し引いて考えたとしても、現代人の許容量は実は狭いのではないか。
団塊の世代の平均寿命は長いが、その後の世代の平均寿命は少しずつ短くなってくるとも言われているのにも関係しているのかもしれない。
時代に合わないのは独特の文体や言い回しだけではない。
活動内容自体が、そしてそこに目をつぶれば、いずれ存在自体が、時代に合わなくなるのではないだろうか(私はそれで一向に構いませんが)。
変化を拒んでいるのか、疎いだけなのか、内部では変化があるものの浸透しないのか、変化の波をどこかがせき止めているのか、世代間に大きなギャップがあるのか、名誉会長がネックなのか、上層部と現場の差があまりに大きいのか。
そんなことよりも、私がショックなのは。
バリのどんが、弱音をはいた。
そのこと。
一時的な物なのか、影響受けやすいどんのことだから、人に痛みに感化されてるだけなのか、それとも……。
男子部の人材不足で壮年部への移動が却下されている、役職を兼任されそうになった、着任に遅れたり休んだりした人の代わりに着任に入る、仕事が忙しくなると土日の休みも関係なくなる、仕事で会合を休めたとしても責任の発生する会合や打ち合わせは休むわけにもいかない、それ以外にもどんが私に言わない、いろんなこと。
「信仰を捨てろなんて言わない、だけど活動はもう、そろそろいいんじゃないの?」
そう言った私に、どんはいつもの顔に戻って言った。
「責任があるし」
近い将来、私が家族として成すべきことが、あるかもしれない。
今、私が出来ることは、可能な限りどんの心を体を、気をつけて見ること。
何か有れば、すぐに動けるように。
どんが、弱音を吐いた。
でも私は、励まさない。
私はアンチだから、この家はどんが安らぐ場所だから。
私はどんが大事だから。
だから、励まさない。