妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2005年04月

「やきもち」と言えば可愛いけれど。

子どもの頃の喧嘩の光景、少女漫画の意地悪な子(主人公のライバル)の捨てぜりふ。
「あなた、私に嫉妬してるんでしょ?私が羨ましいのよ、そうでしょう?」
大人になって、そんなセリフを見聞きすることもないだろうと、郷愁に浸りかけた私を引き戻してくれた団体がある。
言い換えれば、大人になってまで、そんな次元の低い逆ギレを目にするとは、思わなかった。

創価学会は相変わらず、「嫉妬」がブームのようである。
新聞も、学会系雑誌も。嫉妬、嫉妬、嫉妬、嫉妬。
単に僻まれているわけではなく、それ相応の理由があって嫌われていることに対して「嫉妬している」で片づける。
「嫉妬している」は学会批判に対抗する、「前提として私は正しい論」の最上級に近い思考停止語ではないだろうか。
「嫉妬してるのね」そう思ってしまえば、周囲の声全てを耳に入れずに済む、どうして自分達が批判されるのか、考えずにすむ。
自分を高い位置に置いたまま、相手を見下すことが出来る。
周囲の声を一言で黙らせることのできる効力を持ちながら、周囲の声など聞き入れないわよという最終宣告の意味も持つ、「嫉妬してるのね」。

しかし最上級というからには、最終宣告というからには、後がない。
少女漫画の意地悪な子の捨てぜりふも「捨て」というだけあって、去りゆく間際の一言である。
後がないことに加えて、その言葉が効力を発するのは「本当に相手が嫉妬している時だけ」である。
相手が嫉妬していなければ、何の効力もない、ただの逆ギレの思考停止語である。

私は嫉妬をしていない。
創価学会を羨ましいと思うこともない。
どんを羨ましいとは思わないし、どんも羨ましがってほしいとも思っていないだろう。
「羨ましいでしょ?嫉妬してるんでしょ?」
と言われても、「別に」としか答えようがない。
というか、創価学会を嫉妬してる人なんて、いるのか?

では逆に、創価学会は、どこを嫉妬されていると思うのだろうか?

「学会員、皆、輝いているでしょう?」
学会員であるがゆえに、苦しんでいる人もいるようですが。学会流の輝きが、人を苦しめていることもあることに気づいてますか?
「現在の権力・影響力を築きあげた金銭力や組織力を羨ましいでしょう?」
羨ましいと思う団体(政党・新興宗教団体とか?)はいるでしょうけど、そういう力と引き換えに失う社会的信用という犠牲を思えばリスキーかも。一般人には用なしだし。
「名誉会長という尊敬できる人がいるわ」
誰を尊敬するのも自由。その相手の有無に優劣を付けるなど愚。尊敬する対象を「与えられ」尊敬するように「教え込まれて」いるに過ぎないと思いますが。(というか、秋谷会長は……?)
「日本が外交で中国韓国と上手くいってなくても、創価学会(名誉会長)は両国から尊敬されてる」
外交責任がないから好きなことを言えるんですけどね…創価学会が法輪功のような扱いを受けても困るから気を遣ってるんですか?でも、利用してるつもりが逆にプロパガンダに利用されていませんか?というよりかの国々もプロパガンダに利用する相手を間違ってると思います。創価学会なら、ますます逆効果。イメージダウンですから。
「芸能人もたくさん学会員なのよ」
価値を決める基準が芸能人の数って、如何なもんでしょうか。

と、まあチマチマと返し始めるときりがないが、一体全体、何を根拠にどこを嫉妬されていると思うのか、更にそういう結論に持っていく思考が理解できない。
「嫉妬」は学会内部における「学会員対策」ではないだろうか。
学会批判を展開するマスコミが、おきまりの新潮・文春以外にも増えてきている。果てはアメリカの経済誌フォーブスまでが特集をした。
ネットの普及で、誰でも意見を発することが出来るようになった。蓋をされてきた個々の学会員レベルによる人権侵害が不特定多数の人に語られるようになった。ネットの匿名性に守られアンチだけでなく、学会員自らが学会組織に疑問の声を上げるケースも出てきた。
それらを見聞きし、学会から離反する人々もいるだろう。
加えて、祖父母・親世代への強引な折伏の結果次世代へ受け継がれた学会への負の感情、個を尊重されて育った「組織のために個を犠牲にすることを美徳としない」世代の学会への食いつきの悪さとジェネレーションギャップ、仏法に興味を持っても組織を拒否する人々、仕事や家庭を重視し学会に全てを注ぎ込まなくなる人々、生まれる人材不足。
学会価値観が揺らいでいる。
勝利勝利と煽り、過激な檄を飛ばして仮想敵を作り、強引に拡大して組織をまとめてきた時代のやり方では、やっていけない。
むしろ、そういうやり方でやってきたからこそ、社会と修復しがたいズレが生じ、こういう結果が生まれたのでは当然のことかもしれない。
組織に追随してきた妄信型の学会員さん達はこの状況に戸惑うだろう。
学会組織を忠実に支えてきた屋台骨は彼ら彼女らである。そういう人々を戸惑わせないために、大きくなっていく社会の流れから守るための、気づかせないための、対策。
それが、「ほら、あいつらウチらに嫉妬してるんだから、気にしなくていいよ」。
……………舐めてる。すっごい舐めてる。
人を説得させるには、「嫉妬」とはあまりにも稚拙な言葉である。
学会が舐めているのは、学会を支えてきた学会員自身。
この程度の言葉で、学会員が納得すると、不安に思ってもこの言葉で明日からまた「戦い」に身を投じてくれると思っているのだ。
そもそも嫉妬心で批判しているわけではない相手に対して何の効力もないどころか、学会を信じる学会員に対しても具体的ではない、まるでなだめるような、付け焼き刃のような言葉である。
「嫉妬」を誰が言い出したのか皆目検討もつかないが、名誉会長ともあろう御方がこんな子どもの喧嘩みたいな言葉を言い出すとも思えないが(勿論嫌味)、何にしても出尽くした感が漂う。

思考停止語の最上級、最終宣告、捨てぜりふの「嫉妬してる」。その次は、どういう言葉が出てくるだろうか?

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私は性犯罪者は極刑で良いと思っている。それに加えて人の信仰心・弱みにつけ込むような輩は本当に許せない。
一連の聖神中央教会報道の中での証言でどこぞのよく似た言葉を聞く。
「(信じなければ)地獄に堕ちる」[え?仏罰があたる?]
「(アトピーが治らなければ)信心が足りないから」[嫌なことは信心が足りないから?]
証言以外にも、容疑者の礼拝での発言、アメとムチの使い分け、家族ごと巻き込むやり方……、人を掌握するというやり方は、結局のところ同じなのだろうか。
「現在の権力・影響力を築きあげた金銭力や組織力を羨ましいでしょう?」
学会のこういう側面を羨ましいと嫉妬しているのは、この容疑者かもしれない。
人を痛めつける掌握術がまかり通らないことがまたひとつ、証明されて良かった。
とはいえ、被害少女達の癒え難い傷を、思うだけで悲しい。

桜咲く日常

土曜日、午後11時。
昼間は仕事、夜は活動家の学会員、会館より帰還。
とろとろと睡眠と覚醒の間を彷徨っていた私の目は、七三スーツの男を捕らえる。
七三はいただけない。
そもそも何の理由で七三なのだ、清潔感の象徴が七三なのか?その理由はなんだ?皆、七三なのか?七三が並んでいるのか?駐車場に並ぶ七三、会館前に並ぶ七三、激励品のパンを受け取る七三、七三七三七三、シュールだ、それはシュールな絵だ。
関係ない疑問を断ち切るように、どんが七三のままニヒルに言った。
「夜桜、見に行こうぜ!」
七三でもビバヒル口調(※1)である。
気分はクールでホットでセレブなヒルズのハイ!ガイズ!(でも七三)。
どことなく機嫌が良さげである。
時間も時間で、眠いのだが、今年の桜の咲き具合から見ても来週には散ってしまいそうな気配。
どんに今年の桜を愛でるチャンスが多く残されているとは思えない。
付き合ってやるか、と腰をあげた。

どういうわけか、どんには近場で済ますという発想はないらしい。
近くにも桜のスポットはいくらでもあるのに、どうしてもどんは毎年訪れていた他市の観光地の桜が見たいという。
桜といえば、そこ。
どんルールという頑ななこだわりは、悲劇を生む。
時間にして1時間後の出来事である。

車中。
「で、今日、仕事だったの?」
当然のように、どんが聞いてきた。
「は?仕事?いや、休みだったけど」
「え、休みだったの?!」
ものすごくびっくりしているどん。
横を見るな。前を見て運転しろ。
「……なんで?」
「朝からいなかったから、仕事なのかと…」
「…朝から病院に行くって言ってたじゃん、前から。で午前は病院で、どうせどんは仕事やら学会やらあるから、私一人で午後は買い物したりするって」
「そうだっけ?」
「………」
何も言うまい。いずれ私の脳もそうなる。
「だったらもったいないことしたなあ。俺、昼間、入るはずの仕事が延びて、時間空いてたんだよね」
惜しいことをしたなあ?、花見に行けたなあ?、どんは悔しがる。
ため息をつきながら、私は言った。
「いないって思ったら携帯に電話するなりメールするなりで確認すれば良かったのに」
「あ!そうだ!!」
どんは初めて気づいたかのように、大きく反応した。
「そうだ?そうすれば良かったんだ?」
更に本気で悔しがる。
………一番ベストな対応は、私が「どんはきっと私の土曜の予定を忘れているわね。今日仕事ないけど、そちらの仕事はどう?」と聞かねばならなかったような、だんだんそういう気がしてきた。
とはいえこちらとて、どんに仕事があり、続けざまに学会活動があると思っていたから、あえて連絡しなかったわけで、私が気を利かすのも何か違うような気も、同時にしてはいるが。
「俺さあ、友達にも言われるんだよね。メールとか電話で簡単に確認できるのに、それさえも怠るから、予定が合うのを知らずに会えなかったりするって。創価班の時はちゃんとやってるのに、スイッチ切れるのかなあ」
というか、ただたんに君はメールや携帯電話が嫌いなんだろう?
本当は持ちたくないし、いつまでもいつまでも古い機種を持ち続けるくらい。
それから夫よ…認めた方がいい。
抜けている。君はどこか抜けている。たまにあり得ないことを素でしでかすのを、私はその都度、衝撃を受けながら見てきた。
冷蔵庫を開けたら、勢いでワインのコルク栓が「大きな二枚羽根のワインオープナーを突き立てたまま」勢いよく飛び出してくるなんて、誰が予想すると思う?
今はそれが魅力であり可愛いところであるが、いずれ来るかもしれない倦怠期には、私の血圧をきっと上げる。

目的地が近づく。
私の脳裏は去年の記憶をよみがえらせていた。
去年も、夜、同じ場所に夜桜を見に行った。
結婚のケの字も、そのケの字の最初の一はらいでさえもなかった頃である。
ライトアップされる夜桜。薄紅色の花弁が風に舞う。
桜の木々の下には死体など埋まっておらず(多分)、並ぶはおでん…うどん…ビール…屋台…。
粋と俗が強引に混在する日本の情緒を、これまた粋に俗に楽しんだ去年の春。
同様、休日昼間はどんの学会活動で見に行けず、平日、仕事終わりに見に行った桜だ。
夜も11時を過ぎた頃、ライトアップの灯りも落ち、うどんとおでんに満たされたお腹を抱えて帰路に………。

11時?

言うべきか、言わざるべきか。
しかし距離はあと数キロ。これまでの小一時間の道のりが、ガソリン代が、無駄に終わることを言うべきか、言わざるべきか。
「どんよ……」
「何?」
時間は12時をまわっていた。
「桜は…見えないよ…」
一緒に知らないふりをして、悲しむべきだったのか、いや、でも、本当のことをうち明けるべきか。
私(鬼嫁)は後者を選んだ。
「去年、ライトアップが11時には消えた記憶が今、蘇った」
「え!」
横を見るな。前を見て運転しろ。
「マジで??」
悲しそう、とても悲しそうだ。
どっちが良かっただろうか、事前に知るのと、着いて知るのと。
車のフロントガラスに目的地が見えた。
月明かりさえない、闇に沈んだ桜並木(暗くて見えない)。
人気のない駐車場。
テキ屋の兄ちゃん達さえ、すでにいないのである。
がっかり。
という言葉を背中に背負い、どんはハンドルを切った。
あんまりがっかりしているので、「学会さえなければねえ」「メールで確認さえとればねえ」という意地悪な言葉は引っ込めておくことにした。

日曜日。
私は同僚と花見。
どんは学会活動。

移りゆく四季を、ほんのひとときでも
愛でることができないなんて、粋を楽しむことができないなんて、惜しいことを。
この年の、この桜の、この時間は一度きり。

果たして今年、どんは桜を見ることが出来るのだろうか。
桜は容赦なく散っていく。

(……今年も仕事が早く終わった日に時間を作るか…)


注釈
※1 「ビバヒル口調」…どんのマイブーム。アメリカのドラマ、ビバリーヒルズ青春白書の日本語吹き替えで主にディランのセリフに「?だぜ」という語尾が使われていることが発端。他に「あぶない刑事」の柴田恭平の「?ぜ」も物まね付きで多用。

桜、散ル。

蕁麻疹が出来た。
おとといの夜からである。
胃カメラ飲んだり検査したり(ピロリ菌発見!除菌終了経過様子見中)体重が急撃に落ちたり、立て込んだ仕事のツケは、衰えていく若さではカバー出来なかったらしい。
立て込んだ仕事というのは、雑誌の別冊で、それは既に書店に並び、売り上げも好調らしいのだが。
こっちは絶不調。あげく原因不明の蕁麻疹。
特に何を食べたということもないので、ストレスというものが原因らしい。
いやはや。
……一応、言っておきましょうか。
他意はないです。特定の個人をさしているわけではありません。
でも、まあ、ここのお約束ですから。言っときましょうか。
今。今、仏罰だなんて思った人、ピロリ菌捲きに行きますから。荒れるよ、胃。

そんなわけで、心身ともに絶不調。
そんな最中に、仕事中の私にどんからメール。
『From:どん Title:今日 用件:今日は夜12時過ぎ頃帰宅します。』
………。
『From:華 Title:re:今日 用件:仕事か?大作ちゃんか?』
『From:どん Title:re:re:今日 用件:創価班の打合せです』
…………………………。
『From:華 Title:re:re:re:今日 用件:蕁麻疹…辛いんですけど。食欲も落ちたし心身ともに絶不調なの、あなた知ってるよね。こんな状態がずっと続いているのに、全然深刻に考えてないみたいね。今更言っても仕方ないんだけど』
………………(自己嫌悪)。
『From:華 Title:re:re:re:今日 用件:ごめん、八つ当たった。忘れて』
……。
『From:どん Title:re:re:re:re:今日 用件:いいよ?。PS、近所の野良猫がいつも寝てた資材置き場あるでしょ?そこに大量のうんこがあったよ。多分、別の猫の恣意行為だと思う。いつもの猫、縄張り争いに負けたみたい』

……………………………………………………ブチッ。

数分後、会社のトイレ。
トゥルルルルル、トゥルルルルル『はい、もしもし、華ちゃんどうしたの??』
「猫など知らんわ!この大馬鹿野郎!自己嫌悪した時間を返せ!謝ったメールのパケ代返せ!」

なんだ?この天然ぶりは。デリカシーのなさは。
これでどんも、「妻の地雷を踏んでも気づかない夫」族の仲間入りである。
すでに華妹の夫も、友人の夫も族の仲間なので、寂しくはなかろう。
まあ、友人の夫とはいえ、正確には「元夫」なのだが。

帰宅をすると、どんがのっそり現れた。
「華ちゃんごめん…」
「何が?」
「デリカシーなかったよね」
「…………(もう、遅い。お前さんは「妻の地雷を踏んでも気づかない夫」族決定じゃ)」

蕁麻疹の痒みに耐える私を置いて(マジで痒い!!)、どんは申し訳なさそうに会館へ出かけていった。
高熱だったらどうしただろうか、と思いつつ。
桜が満開のこの休日。
どんは昼は仕事、深夜まで学会の用事に追われることになる。
時間が取れる頃には、桜は散っているだろう。
夜桜さえもどうやら難しそうだ。
年の近い同僚と花見の計画をしていて良かった。蕁麻疹次第では、アルコール禁止だが、気分転換にはなるだろう。
病院にも行かなければいけないし、美容院にも行かなければならないし。
「妻の地雷を踏んでも気づかない夫」なんて、知らんがな(怒)。

緊急放送

あーあー、お昼の放送です。バタバタして昼休みがずれ込んでいる華からの臨時放送です。
パン食べてます。パン。
コメントについて、諸注意があります。
先生、どうぞ。

あ、どうも。生活指導です(誰!)。
コメントについて、一言。
最近、挨拶をしないでいきなり罵倒したり、挨拶付きで言葉こそ丁寧なのですが、居丈高で高圧的な態度でコメントを書き込まれた学会員さんがいらっしゃいました。初対面です。
えー、怒りが頂点に達していらっしゃるのは分かりますが、感情のまま「自分たちが正しいのよ!」と書き連ねるのは辞めましょう。決まり文句のように「可哀想」とおっしゃいますが、とても失礼です。
華も今度から遠慮無く使ってもいいの?(!!)と聞いています。
世の中にはいろんな意見があります。いきなり1つの意見を「あんたわかってない!」って押しつけられても、困るわけですね。
ここにあるのは、華個人の意見でしかないですし。アンチの総意の意見でもないですから。
多くの方が見ていますし、見られた方も不愉快な気持ちになります。
冷静になって読み直して、相手に自分の言いたいことを分かってもらえる文なのかどうかということを、吟味してですね、柔らかな感じで書き込まれた方が良いと思います。文章は伝わらないと意味がありません。
学会の都合の悪げなことには一切触れないで、いきなり人格攻撃ですから、分かってもらおうという気はなく、とにかくダメージを与えたいとか、そういうことなんでしょうけど。
怒りの発散目的ならチラシの裏に書き殴ればいいだけです。
でも、見ている人には一目瞭然というやつで。
華もですね、ああ見えて、コメントにしろブログ本文にしろ、読み返しや推敲したりしてますんでね。
今日はどん君を侮辱されて怒ったみたいですけどね。…大事にしてるんですよ、ああ見えて。
華は学会や非常識学会員は嫌いですけど、学会員の知り合いや友人がいたりしますから、ちゃんと折り合いつけることが出来るわけです。なんせ最愛のどん君が学会員ですから。いろいろツッコんでますけど。
なのにですね、最近は学会員にいきなり罵倒されたり高圧的に書き込まれたりで、正直、学会嫌いに拍車がかかっています。
このブログが嫌いなら嫌いで、結構なわけです。傍観どころか、見なきゃいいわけです。
「死に顔」だとか「今後のあなたがどうなるか」だとか人様の不幸を願うような言葉をちらつかせるのも、脅迫めいていて考え方そのものが恐怖です。ほっとけって話です。言論弾圧されてるみたいです。
そういうコメントを見た人は「学会員っていうのは、こういう事を平気でする人もいるんだな」と思うわけですね。学会員の評判を学会員自身で確実に落としてますんでね、気を付けて。
入会を勧めるのも、やめてください。信仰の自由は学会員だけに適応されることではありません。
華の信仰しない自由は法によって守られています。
こういうことが起こるのは、いわゆる「想定の範囲内」という奴ですけど。
よろしくお願いします、ほんと。

生活指導の先生、ありがとうございました(誰!)。
広い心で読んでくださる方々には感謝しています。コメントを寄せてくださる方々もありがとうございます。
おかげさまで間もなく25,000ヒットになります。
今後ともよろしくお願いします。
以上です。

プライバシー

見ないようにしたいところだが、会社の机の上に山のような書類の束と、感想文用の紙が複数、置いてある。
書類の束を読んで、感想文を書かねばならぬのである。
プライバシーマーク。
会社員の方々は聞いたことがあったり、あるいは取得されたり取得のための研修を受けられたりしていることと思う。
ものすごく簡単に言えばプライバシーマークとは「ウチの会社は、お客さんの情報も社員の情報も漏らさない信用おける会社でっせ」という規格である。
ISOなどのように、顧客を守るために対策を行うことで社会における会社の評価を高くなる。
我が社も例に漏れず。
サーバーの扱いだとか社員やクライアントの情報保護だけでなく、制作の過程で広告掲載解禁日以前に、情報を扱うためにそれを外部に漏らさないだとか、そういう情報を扱う職場であるために、プライバシーマークの導入をするべく、定年カウントダウンに入った上司が泣きそうな顔で缶詰講習会に参加したり、ただでさえ忙しい社員が目を通さねばならない分厚い書類の束を前に眠気に襲われたり、いつもながらに盛り上がりにかける全体朝礼で社長がプライバシーマークに絡めたつもりが全く関係ない仕事に関する精神論理想論を並べた説教(社長は激励のつもり)独演会を決行していつも以上に志気を下げたり(社長気づかず)しながら、……とまあ、いろいろな悲哀に満ち満ちた環境で、必死に書類を読み講習会に出席し、取得に向けて努力をしているのである。

ウィルスや社員による情報漏洩が問題化している中、大企業・中小企業関わらず個人情報保護という観点のもと、より信用してもらえるために、規格取得に励んでいるわけだが。

どんの実家の電話はかけた相手の電話番号が表示されるナンバーディスプレイである。
その電話に、最近、我が家の番号で着信があったらしい。
その時間帯は舅姑共に留守で、留守電も残っていなかったそうなのだが…。
どんも私も、実家には電話していないのである。

警察の実在する電話番号を表示させて電話をかけてくるオレオレ詐欺が起こっている。
もちろん、実際に警察からかけているわけではなく、技術の進歩だとかで、相手の電話に発信者とは異なるダミーかつ実在する電話番号を表示させる技術だとかがあるらしい。(よくわからない)
それが最近、警察だけでなく、親族や身内の番号をかたったケースが出てきたというのだ。

「それではないかと」
どんは「たまたま不在だったから、助かった」そういう結論にして注意するように実家に電話をしていたが。
「どっから漏れたの」
「え」
「親の電話番号だけでなくて、家を出て20年近く経っている子どもの電話番号が一緒にわかるなんて」
「あー住民票関係やら、パスポート関係とかの公式書類!」
「と、もう1つ」
「何」
「創価?学会?♪」
「えええええー」
どんが嫌そうな顔をした。
「だってさ、あれ書いてるじゃん。カードみたいなやつ?あれに実家の住所が記載してあったような…」
「あーーなるほど。住所が分かれば電話番号も」
「最近、明らかに相手が学会員だってわかって電話してるオレオレ詐欺もあるし」
そうなのだ。
聖教新聞(の読者投稿欄)にも掲載されていたし、昨年末の会合でも注意があったらしい(昨年のブログにも書いた)。
「財務の振込先が変わりました」だの、「おばあちゃん!私!どうしよう!人を轢いちゃった!一緒に題目あげて!→警官役に電話交代→お相手は妊婦で?示談金が?(以下典型)」だの、創価大の名簿が漏れ「名誉会長と会食予定人員に欠員が出まして(以下略)」だのと、聞いた話ではこの3パターン。
このケース、学会内部からの個人情報流出の可能性が高く、かつ内部情報や学会員の思考パターンに詳しい人間の犯行に感じるのだが。
そういう事件を踏まえれば、怪しい。十二分に怪しい。
別になんでもかんでも学会を疑っているわけでもないが。(疑ってるけど)
さらに。
会館内に相談室という場所があり、何かあったら秘密は守るから相談しろというシステムらしいのだが、そこで相談した情報が翌日にはどういうわけだか部に広がって、会う人会う人に「がんばって!」と激励されたという恐ろしい話を聞いてしまっているので、どうやったって創価学会のプライバシーに対する考え方を信用することができないのである。
誰かが名簿を人に見せたとか、うっかり騙されて見せたとか、悪意ある内部がオレオレ詐欺に手をつけたとか、いろいろなケースは考えられるが、たとえいかなる事情であっても名簿を持ち出すなど言語同断であると同時に、そもそも内部情報を外に持ち出す理由など、存在しない。
「書くな!そのカードに私の名前もお義父さんの名前もお義母さんの名前も住所も書くな!つーかカードなど出すな!」
「その学会の内部名簿流出っていうのは、可能性として捨てきれないけどさ」
「じゃあ、他に何があるわけよ」
「俺、旧姓で仕事してたり、DMとかも旧姓が来るじゃない」
「はい」
「旧姓の一部の漢字ね、旧漢字なわけ、本当は。でも、それは住民票とか戸籍とかパスポートとかの公式書類にしか書いていなくて、他は全部、新漢字で書いているのよ」
「ほうほう」
「でも、うちに来る怪しげなDMだとかには、名前表記に旧漢字が使用されている」
「ということは、公的機関が内部情報流出?今回も?」
「えー!!」
「あ、もしくは、住民基本台帳…
「それかも!!」
二人でひとしきり怖がって、ふと気づく。
学会も怪しいし、公的機関(住民基本台帳)も怪しいし。
情報流出に関して、私達もあまりに無防備かもしれない。
せめて出来ることは、個人情報が含まれるゴミはシュレッダーにかけるくらい(ウチではやっている)。
公的機関にあるものや、所属団体にあるものに関しては、防御のしようがない。
だからこそ、国は国民の、学会は学会員の個人情報を守る義務があるのではないかと思うのだが。
「取れ。学会もプライバシーマークを取得しやがれ。公的機関も取得しやがれ。あれだけの凄まじい書類を読んで講習受けて感想文を書きやがれ!」
「……そこかい。でもさ、プライバシーマーク、学会にも必要かも」
「お、しおらしいことを」
「現場では、独自の名簿があったりするから、学会本部も把握してない、現場用の個人管理の名簿」
……………恐ろしい。激しく恐ろしい。
会合をやってる暇があったら、プライバシーマークの講習会受けたほうがいいんじゃないのか?

社会保険庁職員が有名人の年金記録を閲覧していたというし、住民基本台帳は申請すれば無防備に見られるというし、秘密の相談事も筒抜けの学会組織だというし、仕事や役職・地区・家族構成などをある程度明かしていて「誰々が学会員で」「誰々を折伏しようと思ってて」と日記を書き連ねてイニシャルトークでも同じ地区の人なら絶対わかるぞソレ!という学会員ブログ(これは学会員に限らないけど)もあるし、どこぞの創価大学出身のNTTDoCoMo社員が、敵対ジャーナリストの乙骨氏や脱会したタレントの会話記録を盗んだなんていう事件もあったし(ちょっとこの件とはずれるけど)、卒業アルバムやアンケートから得た個人情報の売買はさることながら、公的機関でも学会でも、あり得ない話ではないだろうと思う。
情報流出先が、どっちにしろ絶対に漏れてはいけないところから、情報が漏れているのには変わりない。
民間企業は必死こいてプライバシーに関わる勉強をしているのだ。
言うまでもなく、それは自分たちの利益にも繋がるが、顧客だけでなく社員自身の個人情報も守られるものでもある。
このブログだって、私を初め出てくる人が、どこの誰だか分からないようにいろいろ工夫している。
個人情報保護法が4月1日から施行されている。
民間が守ろうとしているのに、流出しやすいシステムがあったり(住民基本台帳は見直し検討中だそうで)、公務員が守らなかったり、多くの学会員だけでなく(公称では支持団体とはいえ)政党を抱えている宗教団体と会員が守らなかったりすれば、信用を無くす社会になっていくのである。
まあ、今更、あの団体に信用って言ったって……ねえ?

さて、もう1つ、私が考えたけど、どんには言わなかったことがある。
………ビビリのくせにどんが大好きな、心霊ネタで。
(予想つくと思いますが)
私は「いない」と思っている人なので、別に良いのだが。
住んでいる所は確かに古いけれど、最初に下見した時に「受け入れられている」感じがしたので、悪意があるわけではなく悪戯程度だと思うが。(でも「いない」って思ってる人なんだってば!)
まー、世の中いろんなことがありますってことで。
ある種、霊より人間が恐ろしいってな。
気を付けましょう。お互いに。
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