妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2005年04月

拝啓、会館前より

JR福知山線脱線事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
亡くなられた方の「日常」が新聞やネットの記事で描かれているのを読むと、またテレビで遺体安置所の体育館で打ちひしがれる遺族の方や告別式の様子を見ると、その「日常」がある日突然終わる(たまたま乗り合わせた電車の事故によって終わらされる)不条理さ胸が詰まります。


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ブログのカウンタが30,000ヒット越えていた。(ご来訪の皆さまありがとうございました)
と、いうことで、きりのいい数字になったらやってみようと思っていたことを実行した。
突撃!隣の学会会館!隣じゃないし、晩ごはんもないし。
といっても、別に中に入るわけではない。着任しているどん(七三&スーツver)を見に行ってどんなことをしているのか様子を伺おうという、すごくくだらない企画である。

決行日はどんの着任の日。
会社の帰り、会館のある方角に向け私は自転車を漕いでいた。
一度も行ったことはなく、ネットで住所と地図を確認しての出発。頭の中の地図と照らし合わせながら、どこだどこだと探していると、あっさり見つけた上にどんにも見つかった。
ので、そのまま通り過ぎた。

企画倒れ。
…。

込み入った昔ながらの住宅地にある地区の会館の前の道路は凄まじい交通量だった。しかも道幅も狭い上に緩くカーブしており見通しも悪い。
その交通量の中で、会館前に車で乗り付けたり、タクシーが客待ちしたり、危険極まりないのである。
その中でどんは、七三&スーツに赤い誘導灯を持ち駐車場入口に立っていた。

以前、無報酬の創価班にせめて保険だけでも用意してくれという主旨のブログを書いた。
実際に行ってみて、やはり保険を導入して欲しいと思った。
どういう種類の保険になるのかわからないが、あれだけ大きい団体なのだから、着任中に起こりうるトラブルや事故に対しての手頃な保険のプランくらい、保険会社に作ってもらえないのだろうか。掛け金払うから。
大学校で訓練受けたとはいえ、あの任務は危険だ。危険手当もない無償労働の度を超えている。
実際、着任中のトラブルや事故で怪我をしたとして、必要なのは入院費・治療費、リハビリの間の生活費、後遺症が残って働けなくなったら…。どんの完治のために、どんの人生のために、お金は必要だ。私の稼ぎだけでは苦しい。
題目で怪我は治らない。題目で解決できるものではない。綺麗事ではないのだ。
怪我で済めばまだいい。
怪我で済まなかったら?
学会的には、創価班を一人増やせばいい。
しかし、学会幹部の皆さまはご存知ないだろうが、私にとっても、どんの両親にとっても、どんの代わりはいないのだ。
尊い任務だとか人材グループに感謝だとか、聖教新聞に書かれるそういう薄っぺらい言葉はいいから、その原稿を書く手間を、しかるべき保障のための手間に割いて欲しい。あの危険地帯から会館にくる学会員を守るために、どうせ誰かがやらなければならないのだから。
末端学会員など、駒でしかないのだろう。「功徳」だとかいう言葉に加え、学会員個人の「責任感を」利用して、無償で働かせること自体、そのことを表している。
以前「保険はないのか」という話をどんにした時、「考えなかった?」とびっくりしたような顔で言われた。学会員個人に自覚がないのだから、団体としての危機管理や保障に対する考え方のレベルは伺いしれる。
その時「ちょっと上に言ってみてよ」と言ってみたのだが、どうやらどんは(また)忘れているらしい。
といっても、どうせ上の誰かに言ったところで聞き入られるはずはないだろうが。
これは、男子部長に言ってみればいいのか?直接、創価学会様にメールすればいいのか?
といっても、どうせこれも誰かに言ったところで聞き入られるはずはないだろうが。

正直なところ、創価班を辞めて欲しい。
どんは「あと1年もたてば運営の役職を辞めてラクになるから(本当か?)」、「創価班は俺の誇りだ」とか好きなことを言っているが、万一のことがあったら「誇り」など訳に立たない。仲間の学会員に「どんさんは誇りを持って任務にあたられ」なんて言われたら、間違いなく私はブチキレて大暴れするだろう。
誇りは確かに大事だ。しかし会館前の状態を見て、その誇りを尊重したいとはどうしても思えない。
理解のない妻だと思われても、私にとって大事なのは、夫の誇りより夫の命である。

会館前で、改めて思った。

本音はどうですか?

「山崎拓氏衆院戦当選の裏には女の戦いが!」ってな感じで朝のワイドショーが特集していた。
民主党の平田候補者には田中真紀子氏(with菅原文太氏)、自民党の山崎候補者には公明党の浜四津敏子氏がそれぞれ応援演説に登場したということで。
創価学会の組織票が今回もガッツリ動いたと。
……だってさ、もうさ、真紀ちゃんも言ってるけどさ、山崎さん首相補佐官なんやし、ええやん、ここはさ、37歳の新人さんに譲ってさ……。まー元々は民主の古賀議員の経歴詐称が発端だし、候補者の知名度低いしで民主に分が悪いのはあるけどさ…じゃあせめて自民の若手とかさ……山崎さんじゃなくてもさ、後継者育てたほうが、良くね?
というよりも、エグイ女性スキャンダルで落選した山崎氏を応援できる浜四津氏と、支持できる創価学会女性学会員というのが、正直信じられない。

以前、雑誌に出ていた元愛人の告白を、うっかり読んでしまった私。
倫理も常識もぶっちぎり!官能小説家もびっくり!宇野元総理の女性スキャンダルも足下にも及ばない宇宙級の内容のエグさに我が人生史上最大の嫌悪感を持つと同時に、その一種のテロ並のアグレッシブな欲求をもっと別なことに生かせば日本が変わるのではないかと、ふとそんなことを考えてみたり。(山崎氏をボロクソに言ってますね私)
そんなわけで、握手するのも投票するのも、生理的に嫌だ!と私は思うのだが(…私は福岡の人ではないので関係ないが)。
公明党を「生活与党」というなら、エグ系スキャンダル付きの68歳大物政治家(しかも首相補佐官というポスト付き)よりも、弁護士で車椅子生活者の視点から政治に関わろうとする37歳新人の応援をする方が「生活」与党的ではあるが、生活「与党」でもあるので野党の応援をするわけもなく(そりゃそうです)。

山崎氏に自発的に入れたい人は別として、創価学会組織票の中には「本当は山崎さんに入れたくなかったなあ」という「後悔票」があったりはしないだろうか?
創価学会員だけど、こっそり、別の候補者に投票しちゃったりとか、ないだろうか?

今回、公明が推薦したのは「この人、ちょっとなあ」というタイプの候補者である。
既にポストと知名度(良くも悪くも)・権力を持ち、スキャンダルのおかげでクリーン度は限りなく低い。ポストもあるし中央の政権に関われるし、わざわざ選挙なんて出なくてもいいじゃんよ、議席のためなら自民若手に譲れよという感想さえ抱かせてしまったりする。長年の議員生活で実績はあるのだろうが、とてもオススメしにくいこの人のために、いつもの選挙運動のノリで組織票を集めなくてはならないのだ。(またしても山崎氏をボロクソに言ってますね私)
上記では「正直信じられない」と書いたが、トップダウンからの支持で応援しなければならない事がちょっと気の毒だったり、でもやっぱりこういう人の応援が出来ることが信じられなかったり。
「公明党が推薦しても、創価学会(特に)婦人部・女子部は嫌です」ってな反旗が翻ればスゴイのだが。
そういうことは出来ない構造なのも分かるし、波風立つからしようとも思わないのかもしれない。でも個人個人の感情は取りあえず置いといて、山崎氏を勝たすために手弁当で奔走することも福運に繋がると割り切れるのなら、やっぱり正直信じられない。
福運じゃなくて、国政に繋がるのである。いいのか?それで。
でも割り切れずに仕方なく選挙運動・投票した人、実は多いのではなかろうか。
だとしたら、何かおかしい。学会には嫌なものは嫌だと言える自由はないのか?
だって。だってさ。だってというより、そもそも。
支持母体はどちらかな?

いろいろニュースのログなどを調べていて、ここに至るまでにやっぱりゴタゴタがあったらしい。創価学会、特に女性学会員からも反発はあったようだ。婦人部に影響力のある浜四津氏の登場も応援演説兼女性学会員のなだめ対策だったという。
かつては批判の立場だった 山崎氏も学会に頭を下げたというし(必死ですね)。
結局、山崎氏は選挙に勝って議員に返り咲いた。
でも、これでいいのか?
国民個人の意志を反映させるはずの一票を、自民と公明の駆け引きやらなんやらの事情に捧げていいのか?
公明党議員を勝たせるために、なら道理は分かる(道理はね)。
でも、「あの」山崎氏ですよ?
郵政民営化の問題で、特定郵便局長会が平田氏についたものの、そもそも福岡は山崎氏の基盤。後援会もある。
それでも創価学会の組織票に頼らなければならないほど基盤が崩れているのかどうかはわからないけれど、かつて批判していた立場の人間が頭を下げてまで創価学会を頼っている。
しかし山崎氏は「選挙に勝つために」頭を下げているのであって、「創価学会が正しい」と思って頭を下げているわけではないことは、言わずとも分かっていることだと思うが。
かつて批判者だったことも含め、エグ系女性スキャンダルに反発するなら、最後まで押し通せば良かったのに。
婦人部のカリスマ浜四津氏の登場でも、なだめられちゃいけなかったんじゃないのか?
「浜四津さんがそこまで言うなら」と投票したのかもしれないけど、その一票は浜四津氏のための票ではなく、有権者個人の票なのだ。
そういうのも結局のところ思考停止の一種ではないだろうか。
それで「ああいう人」を勝たせてしまったわけだ。

「生理的に嫌だ」というのも私の主観だが、福岡の創価学会の皆さまも「生理的に好かん」と投票箱には違う名前を書いた紙を、なんてことなかっただろうか。
支持政党の公明ではなく、自民候補が危ないからと集票マシーンとしてあてにされること、本当は屈辱じゃないのだろうか。
……………本音は、どうですか。



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現在与党野党それぞれに問題を抱えており、正直「選びにくい」候補者ラインナップの選挙が続いている。
でも逆に、全ての人の考え方にピッタリ合う政党もありえないわけだが(一人一党状態になってしまう)。
難しいですね。選挙って。

夜中の電話と、POISONと、私。

どんのGWの予定は空白であることが判明した。
祝。

さておき。
最近の、ある日の夜中、0時40分。
ここまで書くと、何が起こったかはおわかりになるであろう。
毎度毎度の創価「睡眠妨害」学会である。

眠りは浅かった。どんの携帯が鳴っていることに気づいて、私は目を開けた。
電子音は静寂を、着信ランプは闇を、発信者は私の安眠を、それぞれ破る。
のっそり、体を起こした。
携帯を探す。出てやる。絶対出てやる。
今日こそ物申してやる。例え創価班地区幹部のどんが「何時になっても良いから電話くれ」と指示を出していたとしても、どんごと物申してやる。幹部に従うな。常識に従え。何人たりとも私の眠りを妨げる奴は許さない。
ようやっと、携帯を見つけた。なんだって、こんなところに埋もれているのだ。どんの枕元の書籍の山の谷間に埋もれている。
画面を確認する。創価班の素敵なお仲間の名前が表示されている。
出てやる。絶対出て…。

切れた。

間に合わなかった。残念。
とはいえ、シャクに触るのは、私が起こされてどんが寝ていることである。
発信者はどんと話したくて電話してきたのに、私が起きる、この不条理さ。
私が起きる前に、どんが起きろ。
鬼嫁は容赦なくどんを揺さぶった。ついでにリズミカルに布団の上から叩く。
「なな何!何!」
「電話!電話!電話が鳴った。●●さんから電話!電話!夜中に電話!」
隣家への騒音被害で逮捕された女の真似をしながら、布団を叩く。
「なんだよ?」
顔をしかめて、どんが目を開けた。
「何?」
「●●さんから0時40分に電話がありました。起こされました。出ようと思ったら切れました。次から出ます。絶対出ます。出て、一言物申します。創価班のアナタ方が深夜の電話を控える気はないとおっしゃるなら、私は夜中の電話に出続けて物申し続けることにします。っていうか、なんで夜中に電話してくる?」
「多分、着任手配の件…」
「明日じゃいけませんか?いけないんですか?」
「いけなくはないけど…」
「かけてくることを止められないなら、電源切ってよ」
「緊急の電話があるかもしれないじゃん…。学会員の誰かが事故にあって血液が足りないとかあるかもしれないじゃん」
「そういう突発的な出来事を引き合いに出すな。日頃から献血行け」
「なんでさあ?、そんな目くじら立てるのさあ?、仕方がないときとかあるじゃん」
「じゃあ、自分で出てよ。というか、睡眠を妨害されたから、だけじゃないよ」
「何」
「私さ、どんよりも早く起きて、会社に行くんですけど。遅刻できないんですけど。皆勤手当とかあるんですけど。遅く起きて自宅で自分のペースで仕事するアンタとは違うんですけど」
「………すいませんでした。次からマナーモードに」
「そういう問題か?!」

たまに聖教新聞様に「深夜の電話は控えて、常識を持ってどーのこーの」と書いてあるが、「聖教新聞は名誉会長からの手紙」とか言うわりに、読んでいないんじゃないか?と思う。
学会に忠実に活動しているわりには、そういうところは忠実でないとは一体どういうことじゃゴルァ!どうせならそこまでキッチリ徹底しろよ!責任者だせ責任者!!
と、その責任者は創価班の地区幹部のどんである。
現場にしてみれば、そう学会上層部が言うように杓子定規には物事が動くわけない、とそういう言い分だろう。
会合運営を仕事の合間にこなそうと思えば、手間や時間がかかるのはわかる。
そもそも学会がアレ(会合してちょ)もコレ(常識も守ってちょ)もと要求することに無理があるのである。
ま、学会の現場と上層部の確執なぞ、外部の私の生活には何ら関係のないのだが。
とはいえ、人間には許容範囲というものが存在しており、それを越えることで新しいステージが福運溢れる薔薇色の人生が待っているわけでは決してなく、体が壊れ心が壊れ家族友人職場の人間関係が壊れる、ただそれだけのことである。
そんなことはない!幸せだ!という人は、恐らくは壊れたことに気づかない本当に幸せな人かもしれない。
どんにも許容範囲があり、私にも許容範囲がある。
私は文句を言いつつも、やっぱりどことなく許している部分があるが、それもいつまで持つだろうか。
どんに至っては、実際に活動している立場である。真夜中までかかる諸々の手配だけでなく、各部毎に別々に創価班に来る着任要請をとりまとめてスケジュールを立てたり、実際に着任したり、シャトルでついたり、運営準備したり…この人の許容範囲もそろそろ限界に近い様子。

私のことだけでなく、だからこそ、夜はどんを休ませてほしいのだが。
だったら、「電話!電話!」とたたき起こさなければいいわけだが、それはそれ。起こされた怒りの持って行き場がなかったので。

なんとかならんもんか。

とりあえず、次、深夜にかかってきたら出る。
電話の相手に物申しても、何の解決にもならないことくらい、わかっているけど。

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人権擁護法案。どうなるだろうか。一任って何。
押尾先生の兄貴分、反町隆史氏の「POISON」のフレーズがぐるぐる回る。
最初にこの曲を聴いた当時、違うツボを刺激されモノマネカラオケを極めそうになったが、今にして思えば、あのフレーズは深いのである。「言いたいことも?」と始まり「? POISON」で終わる。当時はふざけて何にでも語尾にPOISONとつけていたが、「? POISON」で終わるその言葉こそに今は濃い意味を感じるのである。笑ってごめんねPOISON。昔ジャニーズにちょっとだけいたことを「平家派」だったことを今でも覚えててごめんねPOISON。
(語録のグレートさで行くと、反町隆史氏より押尾先生なわけだがPOISON。)
さておき。
人権侵害は取り締まりによって無くす物ではなく、啓発や理解によって無くす物だと思うのだが。違うらしい。
「人権擁護」の絡みで反対派からフェミやらセクシュアルマイノリティがこの法案問題においても、(また)バッシングされていたりするが、そんな法案、こっち(フェミやらセクシュアルマイノリティ側)だって反対である。
余談だが「こういう立場の人は右で、こういう立場の人は左で」という思いこみカテゴライズが出来ているように感じる。しかし思想は人それぞれなので、十把一絡げに政治的に右か左かは分けることは出来ないように思う。
例えば、「中国の歴史教科書に共感できないフェミ」とか「フェミが嫌いなゲイ」とか「ゲイの愛国主義者」とか「愛国主義者だけど女性の人権も大事」とか「学会の中国韓国に対する態度が嫌いな創価学会員」等々、たくさんの考え方・立場の中でそれぞれが共感できるものをチョイスしていくと、(一般的に)右的(とされる)なものと左的(とされる)なもの両方を選ぶ人だっているわけで。主張が一貫して片翼に寄る人(特に一般人)もそうそういないように思う。ではどうして「こういう立場の人は右で、こういう立場の人は左で」という発想になるかというと、メディアに登場する識者個人の主張・立場が規準になるのではないか。識者の意見に共感したからといって、全面的に識者の立場に追随するわけではないのだが。
何か自分の意見を口にしただけで、過激だサヨクだウヨクだとレッテル貼られるのはたまったもんではない。
で、余談終了。それにしたって右だろうが左だろうが真ん中だろうが両方だろうが無関係だろうが極だろうが、こういう法はあまりに犠牲にするものが大きすぎる。
言葉を発する自由が奪われるなんて、まともな法治国家のすることか?
本当に差別されている人々はこういう法を必要としているのだろうか?恐怖政治的に法で護られたって、余計に苦しいだけだし、理解にはなっていない。少数派多数派入り乱れて新たな差別も生まれるだろう。
よく言われるところの「人権擁護法案」と言う名の「人権弾圧法」である。
やっぱり「差別される人」のための法ではなく、「人権を建前にして言論を規制したい人」の法だと思うのだが。
誰だろうね。「人権を建前にして言論を規制したい人」。
もしかして心当たりがありますか?
それって私が考えている人と同じかもPOISON。

予知

大学生の頃、進路について悩んでいた頃、年上の文通相手(当時はそういう付き合い方法がまだ残っていたのさ)に悩みを綴って送ったことがある。
頻繁にやりとりするほど親しい仲だったわけではないが、何かの折りに手紙を書き合っていた。
その方というのは、自分が目指そうかなと思っていたいくつかの仕事のひとつに関わる仕事を既にされている方で、具体的なアドバイスを求めてのことだった。
そして返ってきた返信は、ずいぶんと大きい封筒。
あけてみると。
太め(失礼)のご老人が微笑んでいる薄い雑誌が出てきた。
添えられている手紙の記憶は漠然としているが、1つ覚えているフレーズは「私はこれで道が開けたのであなたにも」。
ご老人や雑誌の放つ怪しさに躊躇しつつ、でもせっかく送ってくださったんだからと、読んでみた。
残念なことに、何も感じなかった。特に感銘も受けなかった。何も響いてこなかった。
まさに「私とは合わない」それだけのことだろう。
感じるとしたら居心地の悪さだろうか。具体的なアドバイスを求めての悩み相談したら、宗教団体の雑誌が返ってくるのである。
相手は「本当に親身になって」送ってくださったということが手紙からはヒシヒシと伝わってくる。
その気持ちも有難い。
でも、このモヤモヤとした青春(笑)の悩みが、この雑誌の言葉を糸口に解決するとは到底思えなかった。
逆に、私の悩みはこの雑誌一冊で解決するほど、簡単なのだろうかとムッとした。
例えば、子どもの頃からなんらかの宗教に関わってきた人にしてみれば、「解決の糸口に宗教」というのはアリなのだろう。
しかし、こちらはごく一般的な育ち方をした進路に悩む田舎の大学生なのである。
「悩んでいます」「ではこれを」で宗教団体の雑誌を渡された日には………………正直困るのである。
それでもって、相手に悪気があるようには思えず、むしろ好意だから………………正直困るのである。

そこが強引な勧誘や選挙活動で有名な団体だということは、田舎小娘な私も知っていた。
地元の集落でトラブルが起こったこともあったらしく、親が困っていたのも覚えている。
返事にも困り果て、無難に「ありがとうございます。参考にしてみます」というような言葉で返したような記憶がある。無論、参考にしていないのだが。
その件で私が学んだことは、「安易に人に相談するな」「自分の望む答えを相手に期待してはいけない」「人に頼らず自分で解決しろ」。
もちろん雑誌を読んで得たことではない。
そういった意味では良い経験になったと言えるかもしれない。
その後のやりとりで、特にその話題に触れられることもなかったし、その人との縁は途絶えることなく、賀状のやりとりが続いている。
しつこくされたら、それが続いていたかはわからない。
とはいえ、相手も私が困惑したことを感じ取られたのだと思う。
困りはしたが、私も相手のお気持ち「だけ」は受け取らせていただいた。

今にして思えば、あのご老人と雑誌から感じた怪しさは、本能が何かを察したのか、先見の明というやつか、予知か第六感か。

それから数年の後。

私は希望していたいくつかの職種のうちのひとつにつき、結婚もした。

モラトリアムの時代に「解決の糸口」にと文通相手が送ってくれた雑誌は、どういうわけだか毎月我が家にやってくる。
変わらず、かのご老人が微笑む「SGIグラフ」。
「私はこれで道が開けたのであなたにも」。
確かに道は開けた。関われば関わるほど、私はアンチの道を開いていく。
文通相手は悩める私に創価学会の存在を教えてくれたが、数年を経て、創価学会自体が私を悩ませている。
数年前、私を対応に困らせた創価学会は、未だに私を困らせている。

「私とは合わない」、そう感じた21歳の私の直感は正しかった。

オイオイオイオイ。

数日前。
夜桜を見に行く予定だった。
午後8時前、残業を終え帰り支度を始めた私の携帯電話が震え、メールの着信を告げた。
「title:ごめん 本文:緊急事態発生、帰宅10時頃」
訳すると、今日の夜桜見物、キャンセル。
どんからである。
折り返し電話をかけようとするも、すでに電源が切られた後。
明確な理由も告げず、追求から逃れるが如くの電源オフ。
その対応、その逃げ方、創価学会の用事だ。

十数分後、私は一人で商店街のインド料理店にいた。
帰って料理を作る気力もなかったし、最初から外食の予定だった。
場所も店も相手の不在も予定外ではあるが、外食だけは予定通り。
誰かを呼び出そうにも、どうせ仕事か団欒か遠方か。
一人で酒を飲みながら、インドカレーのセットを食すという、おおよそ治りかけ蕁麻疹にも胃にも悪影響極まりない行為をする。
それでもって、タイカレーにすれば良かったと、変な後悔もしてみたりする。

思えば、一時が万事、こんな調子だ。
付き合っている時は、まだ良かった。
結婚が決まると、付き合っている頃より重大度の高い行事が(金銭が関わったり相手のいる行事)発生する。そこに創価学会様はぶつかってくるのである。
私達は式や披露宴はせず、結婚アルバムをゴージャス(モデル撮影並の装備で市内ロケ敢行w)に制作するというイベントだけをしたが、ドレスを選ぶのにもどんの「学会の用事が後に控えているから」という言葉に焦りながら選び、納得いくドレス選びも他店を見て回ることも出来なかった。
おそらく、普通に披露宴を敢行しようとしたなら、打ち合わせも準備も学会様の用事と重なり、凄まじいことになっていただろう。
写真スタジオのスタッフさんの「式を挙げられないのであれば、せっかくですのでロケ地に教会を組み込みましょうか?」という定番ロマンチックシチュエーション満載(笑)の提案に食いつきたいのを我慢して(爆)、私はどんの信心を優先して教会を避けていただくようお断りするなどこっちはいろいろ考慮したのに、こちらのドレス選びが学会の犠牲になるとは、いやはや。
「結婚のイベントってこうあるべきハート小さい頃からの夢なのハート」という結婚ドリームを持っているような女の子であれば、耐えられなかったと思う。理想の結婚イベント像がそこまで強くない私が今でも根に持っているくらいだから(笑)
両実家への帰省も、学会の用事で早く帰らなければならなかったり、予定が流れたり、出先で容赦なく電話がかかってきたり。
その都度その都度、気を遣うどん、ニコニコと「気にしないで」と嘘をつく私。
正直、疲れてきた。嘘もつけず、苛立ちを顔に出してしまうようになった。
最近では、学会の用事よりこちらの用事を優先してくると、「どんの代わりに誰かが着任に…ということはその人の家族や友達や恋人が犠牲に…?」とか「私は妻だからという理由だけで、どんの自由を制限しているのでは?」とか「無理して時間とらせちゃったかな?」などと思ってしまい、逆にこちらが気を遣ったりしてしまう。
オイオイオイオイ。毒されて来ちゃったよ。

カレーセットは食べきれなかった。胃が小さくなっているのか、一人の食事は食が進まないからなのか。
店員さんの親切で、お持ち帰りとなった。
半分以上残っている。学会活動から帰ってくるどんの胃袋に消えるだろう……そこがいけないのか?甘いのか私は。
もっと鬼嫁ぶりを発揮しないと、この先の人生に大きく関わるのではないのか?
現在、全く予定はないが、子どもが出来たらどうする?
妊娠中、出産、育児、夫のどんがいなければならない肝心な時に学会様のご用事でどんがいないという事態も起こりうる。
子どもが育っていくうえでの行事に父親が学会様のご用事でいないという事態も起こりうる。
すくすくと育てばいいが、病気したら?急に具合が悪くなったら?私にも何かあったら?
どんは時間を作る、家族を優先させる、と言ってはいるものの、学会がそうはさせてくれず容赦なく創価班の用事を与えてくれることは実証済みである。スケジュール通り、スケジュール外関わらず。
子どもや人間の体調が、スケジュール通りに動くはずはなく、確実に私が一人で乗り切る局面が増えてくるはずだ。両親舅姑共に他県在住、頼りにはできない。予定がどうなるか分からない創価な父親をあてにせず、いないものとして考えた方が良いってことか?
オイオイオイオイ。結婚してるのにシングル(+ワーキング)マザーか?

………飛躍しすぎた。

どんはドレスのことも教会ロケのことも知らない。私の感情の揺れも知らない。
ま、言ってないし。
負担になるだろうと、気を遣うだろうと、黙っていたのだ(というか、いちいち虐めても仕自分が惨めだし)。
しかし、そういう仏心(笑)が仇になっている気もしている。そういう私の態度と、頼まれれば断れないどんの責任感に、学会がつけ込んでいるような気がしてならない。

そろそろ「後がないぞテメエ」と鬼嫁度を加速してもいいんじゃないのか?
いやいや、ルームメイトだとスッパリ割り切り、自分一人だけの予定をたて、一人の時間を楽しみ続けるという手もある。
それぞれ収入もあるし、生活費折半だし、養われていないし、割り切るのは簡単だ。
簡単どころか、自由に出ていける。え、離婚?
オイオイオイオイ。新婚半年の発想じゃないぞ、コレ。

家に帰ってブログを見ると、祥子さんより「家族で花見をという学会指導が出ているらしい」とタレコミが。Freeさんのブログによれば学会CMも家族がテーマらしいし。
オイオイオイオイ。喧嘩売ってんのか。ゴルァ!
創価学会のせいで家族で花見もままならんわ。ゴルァ!
そんな指導かましてCM作るんだったらな、会合無くせ、小さい会合にいちいち創価班着任さすな、ゴルァ!

実は新婚旅行はまだだ。
ここまで来ると、どう予定をたてていいのか分からない。
どんの学会仲間は「新婚なんだから、遠慮しないで楽しんでおいでよ」と有難いお言葉をかけてくださるそうなのだが。
オイオイオイオイ。遠 慮 さ せ て る の は ど な た で す か ?
ついでにGWの予定も白紙だ。
風の噂によると、GWの前半だか後半だかに学会様が会合をするらしく、それの着任に会館に来やがれと言っているらしい。
それにどんが呼ばれるかは分からないが、GW中家族や友達恋人との行楽の予定を犠牲にする創価班がこの地区に確実にいるということである。
オイオイオイオイ。一 家 和 楽 っ て 家 庭 崩 壊 の こ と で す か ?
とりあえず、創価学会と公明党は、家族だとか少子化だとか語る資格ナシ。
GWは私一人用の計画たてよう。

家族や夫婦は一緒に、と考えないほうが気が楽かもしれない。
結局のところ、個人が個人の時間をどう楽しみどう生きるか、を考えた方が効率的なのでは、という気がしている。
惚れただなんだという感情がそうさせないわけだが、それはそれ。
学会に振り回されないために、最初から諦めて個人の生活の充実を重んじた方が、精神衛生上ラクのではないか。
特に創価学会員を伴侶に選んだのなら。

家に帰ると、どんも帰宅したところだった。
案の定、学会の用事だった。着任に来られなくなった人の代わりにシャトル(着任予定の人が来るまでの代行着任)で着いたとのこと。
「誰かに攻撃されるわけでもないのに、ずいぶん厳重な警備でいらっしゃいますこと」
と嫌味をかますと、シュンとしてしまったが、テイクアウトのカレーを渡すと、怒っていないと思ったのか嬉しそうに話しかけてきた。
オイオイオイオイ。甘いんだよ、お前。深刻さが足りないんだよ。
寝室の自分の布団をズルズルと自室に移動させる。
「えー?またかよ?」
「貴様に不満を言う資格はない!」
不満そうに声をあげるどんをビシッと制す。

仕事だ家のことだと追われて出来なかった作品制作。これを期に再開しよう。気分転換にもなるだろ。
それとやっぱり、これからの人生にも関わってくるし、学会のことは対策立てよう。
ついでに、無責任なCM流すな!って学会に苦情入れてみようかな。
なんだか、面倒くさいなあ。

でも、これ、学会員同士の結婚でも、同じような問題起こるだろうな?。

それでもって翌日、夕方。
再び携帯が震えた。
『title:ごめん 本文:ごめん。今日帰宅予定11時。ごめん』
オイオイオイオイ。い い 加 減 に し ろ よ 。
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