妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2005年01月

リニューアル

ブログの装いを変えてみました。
アンチって感じでしょう(笑)。
雛形がいっぱいあって、いろいろ選べて、楽しいですね。
仏像がかっこよくデザインされているのがあったんですけど、それにするとあまりにベタすぎるので、やめておきました。
リニューアル開店?。
本日のブログは↓です。今後とも宜しくお願い致します。

メメント・モリ

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私は年に一度、遺書を書く。
別に、死のうとしているわけではない。
とりあえず、突然死んだときのための身辺の整理の指示とか、友達への連絡とか、よろしく伝えてほしい人とか、なけなしの財産の行方とか、結婚してからは学会式に葬式したら化けてでるなど、後始末的なことを書く。
数年前、友人を病気で亡くし、以後私の死生観はガラリと変わった。
死ぬということが身近になった。若いとはいえ、明日何が起こるかわからない。
そんなわけで、私は遺書を書き、年に一度、更新する。

その遺書をどこに仕舞っておいたから、という話の続きで、どんと葬式の話になった。
「俺はね、友人葬でやってほしい」
「学会式の?」
「いや、まあ別にそうじゃなくてもいいや、宗教色が無くてもいいよ。どっちでもいい。あるでしょ、葬祭会館とかでそういうプランが」
「うむ」
「とにかく、坊さんとか聖職者を介さなければそれでいいや」
「それ、あんたが企画しといたら?自分で葬式プロデュース」
「あ、それいいね」
「私はね、じいさんの葬式が心に残っているのね」
「うん」
「原風景というかね、浄土真宗の葬式と、地元の古いしきたりとか伝統文化がミックスした感じで。荘厳な儀式の中に非日常なお祭りの空気もあって。印象に残ってるのよ。じいちゃんが大往生だったっていうこともあるんだけど」
「あー、わかるわかる」
「だからね、そのね、原風景の中に還りたいというのがあるのさ」
「うんうん。ノスタルジィだね」(※何故かどんは「ノスタルジィ」という言葉が好き)
「だからじいさんみたいな葬式がいいな。実家であんなふうにやってほしい」
「わかったよ……で、華ちゃん、あのね」
「何?」
「浄土真宗でも、お金を出せば法華経で葬式してくれるみたいよ」
「……お前と言う奴は!!」

私の葬式なのに何気に自分の希望を言ってんじゃないよ、まったく。
うかうか死ぬこともできやしない。

ちなみに葬式に関しても、創価学会はこれまた、強烈なインパクトを与えるエピソードが絶えない。
香典は喪主に渡らず幹部が財務で持っていくとか、会葬お礼に「学会に寄付しました」と書いてあるから名目上は寄付なんだとか、友人に見送られるのが一番…とか言いつつ本当はお寺を破門されて坊さんを呼べなくなったから友人葬を始めたとか、おばちゃん学会員たちが嵐のようにやってきて死に顔や骨の焼け具合を見て故人の信心度の勝手に評価していくとか、学会員は死後硬直しない(※宗教とは無関係に、人間は死後6?8時間で死後硬直状態になり、死後30時間から筋肉が軟化していく硬直解除という現象が起きる。ちょうど葬式の時間帯に重なるため、この状態を「死後硬直しない」と勘違いしているのではと思われる)とか、正しい信仰をしたら遺体は白くなるとか(…遺体ってそもそも白いんじゃ?信心深い人が亡くなって病気の影響で肌の色が黒ずんでいたら一体?)、親しくもないのに仕切りたがる人々が現れ葬式を仕切ってしまい遙か彼方に遺族が置いてけぼりになるとか、葬式が学会の宣伝になるとか、弔辞で故人の学会活動の紹介をしすぎて非学会の弔問客には何のことだかわからないとか、弔辞で日蓮正宗の批判をするとか。

もちろん真偽のほどは私にはわからない。
間違って伝わったこともあるだろうし、事実かもしれない。とりあえず創価学会公式発表ではなく、学会員同士でまことしやかに囁かれる通説らしい。
香典だとか弔辞だとか運営にまつわることはさておくとして、学会員は死後硬直しないとか、正しい信仰をしたら色が白くなるとか。人間、皆同じ種の動物なんだから、特定の宗教に限って遺体の現象が異なるなんて、あるはずがない。差異が起こるなら病気や死因、気温湿度等の環境だろうて。
ともあれ、創価学会員の夫を持つ身としては頼むからただの噂であってくれと心底お願いしたくなるような話ばかりである。

ちなみに原則、創価学会の葬式では香典はないらしいのだが、現代の習慣にそぐわないということで、香典が慣例化しているそうで。
それを寄付や財務として学会に納めなければいけないかはさだかではない。
そういう体験談を持っている人もいれば、そんなことはなかったという人もいる。もしやこれは、葬式に関わった地区の学会員の考えによりけりなのだろうかと思ってみたりする。それは香典のエピソードのみに限ったことではないだろう。
関わる学会員さんの当たりはずれがあるとは、まるでクジのようだ。
しかし、相変わらず強烈なのは「創価学会の戦力」パワフルおばちゃん婦人部学会員のエピソードである。
集団で来られたらきっと叶わない。
葬式に限らず、この集団は戦慄を覚えるような強烈な噂が絶えない。
噂だけでなく、私が垣間見たことも含めて。
創価学会員の夫を持つ身としては頼むからただの噂であってくれと心底お願いしたくなるような話ばかりである。
でも、垣間見ちゃったし。
(ただ、宗教に限らず、この年代の女性の行動は強烈かもしれない、と痛感する場面に日常のあちこちで、ついでに実家でも遭遇する。いつか私も…?いやいやいやいや)

とりあえず、どんが過去関わった葬儀では、そういった場面は見ていないということなので、やはり、関わった地区の学会員個人の考えや行為によるところもあるだろう。
これを創価用語「非常識なのは一部の人」という。(そこをなんとかしてくれ…)
もちろんどんが気づかないとか、麻痺しててそういうもんだと思っているという可能性もあるが。
何にしても、死に顔や骨の焼け具合など不確かで裏付けのないものを見て故人の信心度の勝手に評価していくのは、故人も遺族も、たまったもんではないだろう。葬儀を仕切られるのも、宣伝も日蓮正宗トークも、勘弁である。
創価学会員の夫を持つ身としては頼むからただの噂であってくれと心底お願いしたくなる。

「まあ、生き様が顔に出ることはあると思うけど…。信仰心はね、関係ない人がジャッジすることじゃないよね。されたくないもんね」
とはどんの弁。
しかし創価学会員らしくどんは続ける。
「そういうおばちゃんたちもさ、悪気はないんだよ。普段はね、地域のためにがんばるような…案外いい人だったりするから」
創価スイッチが入りかけたので、私はどんの創価燃料補給プラグを抜く。
「普段いい人だからって、亡くなった方を骨だ死に顔だ実証のない根拠で判断できる権利はないでしょ。悪気がなかったら何言っても許されるのか?あ?」
「……そうだね」
「いい人っていうのはね、葬式の場でそういう事は言わない人だよね」
「……そうだね」
創価スイッチはオフ。庇いきれずにあっさりオフになったということは、どんも何かしらおばちゃん学会員の強烈エピソードに遭遇した経験でもあるのだろうか。

なんだかまとまらなくなってきた(笑)。
とりあえず、こんな強烈なエピソードが飛び交う宗教と、相対していかなければならないのだ。どんを見送る時まで。または、私が見送られる時まで。
どんのお世話になっている方々ならともかく、噂で聞くような関係の薄い学会員に好きにさせるわけには行かないし、学会員の妻だからという理由で学会式にされたりしたらおちおち死んでもいられない。(どんはそんなことしないと思うが、落ち込んでいる時のどんは周囲に押し切られやすい)
そんな意味も込めて恒例の遺書書きをし、どんとそれぞれの希望の葬式方法の話をし。
なんにしても、創価学会員の夫を持つ身としては事実であってくれるなと、頼むからただの噂であってくれと心底お願いするばかりである。

早死にするのは別として、私とどんが年を取ったとき、創価学会が存在するかは、さだかではないが。


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この頃、いや、もうずっと。
朝、テレビをつければ大抵、女か子どもが殺されたとキャスターは告げる。
時に金品を奪われ、時に犯され、時に川に捨てられ、時にスーツケースの中に押し込められ、
時に山に公園に道ばたに放置され、捨てられる。
死に近いのは、女で、子どもで、その死はあまりにも不条理だ。
重いはずの生も死も、もうずっと、軽い。
あまりに軽々しい死と隣り合わせで、私たちは生きている。

起承転結

社内で、他の部署の人間に内線電話をかけたとき「お疲れさまです、○○です」と、有名人の名前を名乗るというくだらないネタが一部(私含む)で流行っている。
○○です、と名乗る名前が予想外で唐突で突拍子であればあるほど良い、という暗黙のルールなので、一部社員が(私含む)電話の前で考えている姿が見受けられるこの頃(働いてます、ちゃんと働いてますって)。ちなみに言う方は笑ってはいけない。
「お疲れさまです、マリリン・マンソンです」「お疲れさまです、歌舞伎ロックスです」「お疲れさまです、ビル・ゲイツです」「お疲れさまです、押尾学です」「お疲れさまです、新加勢大周です」、回りから見れば面白くもなんともないが、ツボってしまったごく内輪だけで繰り返されているこのゲーム。
私は「お疲れさまです、池田大作です」と「お疲れさまです、大川隆法です」のどっちが相手にインパクトを与えられるかどうか迷いながらも、ドン引きされそうで未だにどちらも使えずにいる。

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聖教新聞の漫画。
オチがないとかシュールすぎとか意味が分からないとか、散々言ってきた漫画である。
その漫画の話をします。しますよ。
ほのぼのとした画風で描かれる、夫と妻と娘(他に家族がいたかは失念)の創価学会
員一家の起承転結のないシュールな物語である。
子どもの頃、漫画家になりたかった私は、漫画雑誌に書いてあった漫画家先生の「画力だけでなく起承転結が大事なんですよ」という指導を固く信じていたのに、それを簡単に覆した漫画である。
アンチに限らず、学会員からも評判の悪い漫画である。

でも、今回はそういうことではなくて。

例えば1/21掲載の漫画
マンションのベランダで布団を干しながら突然、ダンデの引用を始める創価妻。
それを聞いていた隣の部屋に住む妻(多分非会員)が感心する。
聖教新聞に書いてあったと創価妻がネタバレし、知恵の泉ね!と唐突な言葉で隣人妻はさらに感心、勇気の泉でもあるの、とさらに唐突な言葉で創価妻が返し、読んでみようかしらと隣人妻が言う。
唐突な「知恵の泉」「勇気の泉」という物語に全く関連性のない言葉はさておき、要は「良いことが書いてあるのよ聖教新聞は、だから読んでちょ」ということなのだと思うのだが。
起承転結・わかりやすいという新聞4コマ漫画のセオリーが綺麗に無視しているから、パッと見、意味が分からない。意味が分かっても「それで、何?」と思ってしまう。
それは、私がアンチだからということではなく、起承転結の結であるオチがわかりにくいため、「それでどうしたの?」という印象を抱くのだと思う。
毎日毎日、この調子。「それで?」と誰に言うわけでなく呟く。

ところが。
そんなシュールなほのぼの創価一家を描いた漫画だが、目線を変えると、印象が違う。
実はあの漫画には、サイドストーリーがある。今日の漫画を例にあげると布団を干しながら隣人の妻と会話する創価妻の足下にいる幼い娘が、スリッパをベランダから落としてしまう、という本編とは全く関係ない、幼子の日常が4コマの隅で展開されているのである。
いつの掲載だか忘れたが「苛ついて貧乏揺すりをする創価夫の膝を面白がってまとわりつく娘、題目を上げ
れば?と創価妻に勧められ、仏壇の前に座ろうとするものの、娘が貧乏揺すりをもっとしてくれとせがむ」
など、時にシュールな展開の創価家族物語の本編に絡みながら、またある時は無関係に展開されながら、もう一つの物語が綴られている。

で、調べてみた。
作者の芝しってるさんという方は、幼児向けのミッキーマウスの教材のイラストや(おそらく正式なライセンスを受けて)、ほのぼのとした家族漫画を描いている方のよう。
日本漫画家協会のサイトにサンプルとして出ていたほのぼの家庭のイラストを見ると、聖教新聞の4コマ漫画のサイドストーリーのほうを彷彿とさせる。
サイドストーリーをメインに持ってくればほのぼのした面白い漫画になるのに、と思うのだが、そっちをメインにしてしまうと信仰啓蒙の漫画でなくなるので聖教新聞に連載する意味がなくなる
ちなみに漫画に起承転結がないように、このサイドストーリーも本編に関係なく強引に挿入されていることがある。
もしかして強引に入れてでも本当に描きたいのはこっちなのではないか?と勘ぐりを入れてしまうくらいである。

ほんとのところは、どうなんでしょ。
あ、サイドストーリーも、ほのぼのはするが、やっぱり起承転結はない。

やっぱりシュールだ。
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ツッコミネタ探しのために、どんよりも聖教新聞を目にし、創価学会や名誉会長の動向やを気にしてしまう私は、もしやストーカー?
お気に入りブログのひとつ、ブッシュ大統領の失言妄言天然発言を追った「ブッシズム」の作者の方は、「自他共に認めるジョージのストーカー」と公言していらっしゃるので、私もいっそ名誉会長のストーカーを名乗ろうかと
そうしたら、聖教新聞4面の罵詈雑言座談会や寸鉄で「愚劣なアンチ妻の仏罰ブログ」とか「功徳の夫哀れ!(もちろん斜めの!)邪悪のアンチ妻の呆れた言動」とか言われちゃったりするのかしら♪と身悶えていたら、どんに「影響力のない小物は相手にされないよ」と言われた。

……………どんに嫌味を言われちゃったよ。

秋祭りの日

新婚生活というものがはじまったのは昨年の秋のことだった。
私達は式も披露宴もしていない。市内ロケという面白いプランでプロカメラマンに写真を撮ってもらい結婚アルバムを作ったことだけが、結婚のイベントだった。
地味ではあるが、それでも一緒に暮らし始め、結婚写真を撮った秋が、「はじまりの季節」になるのだろう。
引っ越した先は、古くからの住宅地だった。
一緒に暮らしだして一ヶ月ほど、秋も深まったある日。
家並みを繋げるように白いお飾りが続いていた。我が家も例外ではない。
どうやら近所の神社の祭りらしい。
その週の日曜日の午前、子どものかけ声で目が覚めた。
どんを起こして窓から道を覗くと。
お揃いの法被を着た子どもたちが、小さな御輿を抱えている。
わっしょい、というかけ声をあげながら、御輿を揺すり、通りを練り歩く。
都会に来て、こういう風景を見たことはなかった。
懐かしさを覚えて眺めていると、やはり田舎出身のどんも懐かしげに見ている。
台風の地震に翻弄された秋だったが、それでもその日の陽射しは穏やかで、通りを優しく照らしていた。
「あ、あの人」
どんが子どもたちの後ろからついていく、やはりお揃いの法被の世話人らしきおじさんを指さした。
「何?」
「学会の人、いつもお世話になっている人だよ」
「ふーん」
おじさんは他の世話人さん達と子どもたちのかけ声に併せながら、かけ声をあげている。
「他の人達は違うの?」
「ああ…違うね、学会員はあの人だけだね」
「ふーん」
「すごく良い人なんだよ」
「そういうことは言わなくてもいいよ」
「また、そんなこと言って」
「じゃなくて、そんなことわざわざ言わなくても、学会員だけど地域の神社の昔からの祭りの手伝いをしているような人なんだから、言わなくても良い人だってわかるでしょ」
「それはそうだね…………って、華ちゃん、どれだけ学会のイメージ悪いの?」
「…………」
「ねえ、ねえって?あのね、いろんな人がいるんだから」
いろんな人がいるって、何回聞いた事やら。皆同じ事を言う。
「…………さあねぇ」

秋をあと十回くらい過ごしたら、どんもあんなおじさんになるのだろう。
御輿は遠ざかっていく。
やがて角を曲がり見えなくなった。
わっしょい、という幼いかけ声だけは微かに響いていた。



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私の事情を何も知らない同僚の「創価学会って●●●するんだってね、なんでだろ?私らには分からないね」
という世間話的な疑問に「あ、それは○○○○が目的らしいよ」とスラスラ答えられるようになってしまった、私。
はたと気づいて慌てながらもさりげなく「私、学会員じゃないからね、むしろ大嫌いだから」と言い訳のように言う、私。
……………何者(笑)

詳しくはなっても、ミイラ取りがミイラにはならない自信はある。
だって、何一つ良いとは思えないもの、ごめんあそばせ。ホホホホホホホ。

百戦錬磨の創価学会様ともあろう方々が。

昨年のことだった。
まだ独身で、引っ越す前で、単身者や核家族サイズのマンションが多い新興住宅街に住んでいた。
休日の午後、コンビニへ入ろうとした私の目の前に、ぬ、と突然突き出されたもの。
拳銃でもナイフでもビラでもティッシュでもなく。
署名のお願い。
地域の安全がどーのこーのと書いてあり、末尾に公明党議員の名前。
なるほど。
目を上げると、中年女性が数人。
「署名、お願いします?♪」
♪、じゃないですよ、♪じゃ。
自分たちがなんなのか、どういう団体でどういう主旨で署名をしているのか名乗りも説明もしないで、いきなり用紙突きつけて住所氏名書いてくれと?書いた個人情報も他の目的で使わないという約束の説明もしないと?すっごい非常識な署名活動ですよ。笑顔が無邪気すぎて逆に怖いですよ。
勢いに飲まれて思わず署名してしまいそうだったもん。
が、踏みとどまる。
名乗らない奴に協力する義務はない。
主旨はこの署名用紙を読めというのか?いきなり突きつけて読めというのか?
すごく横暴だぞ。そんな奴に協力する義務はないぞ。
無視じゃ、無視
一瞥してコンビニに入る。
非常識には非常識で返す!
おそらく噂に聞く学会の戦力、最強婦人部の皆さまだろう。
人の良さそうな笑顔と非常識な行動が全く反していて面白いくらいだ。
こういう活動家的な人々は他にも署名活動や選挙活動に携わり場数をこなしているはずである。
そのわりには「どういう団体でどういう主旨の署名なのか説明する」ことを最低限のルールさえも守れていない。
どんな方法で署名活動を選挙活動をしているのか、想像はついた。

しかし彼女らは諦めてはいなかった。
コンビニからでると、また、「署名お願いします♪」と笑顔で署名用紙を突きつけてきやがった。
私は我が身を振り返って自分はどうなんだろうと考えると、おこがましくて自信がなくて、人様に注意ができないタイプだが、今回ばかりは、振り返っても今までの私の人生でこんな非常識なことをしたことはない!と自信持って言える。
私は注意をするために口を開いた。
「あの」
「はい?」
「皆さんは何者で、どういう主旨でやってるんですか?」
「え」
あり得ないことに予想外の質問だったらしい。相手が固まる。
「名乗りもしないで、どういう署名か説明しないで、いきなり突きつけて署名してくれって言って住所とか氏名とか個人情報を書けっておっしゃるんですか?このご時世にあまりにも非常識じゃないですか?」
怒りを抑えて静かにそう言うと、相手の表情はみるみる変わった。
「………すみません」
見ると、他の署名活動の皆さまもばつの悪そうな顔をして、苦笑いをしている。
笑いごとじゃねえよ。
一応、こちらの言うことを聞き入れてくださったようで、謝ってきたものの、
謝るんなら今まで署名してもらった人に謝れよ、
と意地悪を言いたいのを我慢する。
「ええっと私達は公明党支持者で」
創価学会婦人部ですって言えば?とツッコミたいのも我慢する。
創価学会と名乗るより、公明党支持者と名乗った方が印象が良いことを自覚していらっしゃるのだろう。
あんまり意味のないことだと思うが。
「この署名は、地域の安全のために…」
説明してもらいながら思った。
……この人達、良いことをしていると思っているんだろうな。
そりゃ良いことだよ。でもね、「私達は良いことをしてる」って傲ってるだろ。
良いことをしているから、協力して当たり前っていうのが、いきなり突きつけるような態度を取らせてるんだろうな。
自分が良いと思っているから折伏する、公明党が良いと信じるから投票依頼する。そのやり方が強引でも気づかないわけだ。人の迷惑なんておかまいなしだろうよ。「良いことをしている」つもりなんだろうから。
説明が終わる。
非常識なお宅らに協力などしない、と言い捨てても去っても良かった。
しかし説明もしてもらったし、書くのと引き換えにもうひとつトドメを差しておくか。
相手の目を真っ直ぐ見て言う。
「これから書く住所は、他の目的では使いませんね?初対面のあなたを信じて良いですね?約束してくださいますね?それもあなたの口から説明してほしかったんですけれども」
署名用紙には書いてあった。だが、個人情報の扱いというのは一番大事なものである。
明記だけでなく口頭で説明し約束してしかるべきことだ。
「……はい」
皆さまはますますばつの悪そうな顔で苦笑いをした。
あのね、創価学会だか公明党員だか知らないけど、ヘタレアンチ創価の私に注意されてんじゃないよ。
天下の創価学会様に比べたらさ、私はさ政治色もないし権力もないし人は少ないし金はないし右翼も左翼も怖いしそんな息の細?い弱小草の根サークルにいるけどさ(※Profile参照)、署名運動するうえでの常識くらいわきまえてるよ。そんな弱小サークルがちゃんと知ってることも、あなたがたは出来ないのか?

帰途につきながら携帯からどんに電話をする。
かくかくしかじかとあったことを報告する。
「活動家も結構ですけど、出来て当たり前のことが出来てないよ。お宅の議員さんもさ、そういう手伝いを婦人部に頼むんだったら、署名のお願いの仕方もちゃんと教えれば?印象、ますます悪いよ。あんなやり方じゃ署名を隠れ蓑に住所収集して選挙や折伏に利用されるんじゃないかとか疑う人出てくるよ。ただでさえお宅らイメージ悪いんだから」
『まあまあ、そんな言わなくても。婦人部の人もさ、一生懸命だったんだよ』
「一生懸命だったら何もかも許されるの?」
『そんなことないけど…』
一生懸命で良いことを、正しいことをしているのなら、何もかも許されるわけがない。
許されるわけがないのに、そう思ってしまったり、そのことで人に迷惑がかかるのに気づかなかったり。己の信じるものが正しいと思う余り周囲が目に入らない。
それは創価学会員の特色ではないかと思う。
自分たちは正しい、正しいと教え他を受け入れない学会の業だとも思う。
傲る余り、他者の迷惑にも痛みにも気づかない。
全てがそういう人だとは言わない。
だが、少なくとも私の目の前にいた署名活動の方々からはそういう印象を受けた。

学会を考えるとき、自分はどうなんだろうかと考える。私にもなかっただろうか。傲るあまり自分を主張するあまり、誰かを傷つけたことは。
学会は反面教師になる。自分を省みる良い機会だ。
「良いこと」を盾に非常識なことをするようなあんなおばちゃんにはならんどこ。

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リンクフリーということなので、貼ってしまいます
http://www4.plala.or.jp/hiro_k/
という「ただいま実験中」という管理人さんと読者の方の体を張った実験体験レポートのサイトを見つけた。
私はこの手のサイトが大好きなので、そんなサイトばっかりぐぐってはブックマークに登録しているのであるが、必見すべきはそこの「読者投稿レポート」の242番と012番の「創価学会入会退会レポ」と「創価学会会合潜入レポ」である。両者の方はともに、アンチでもなんでもなく創価学会を詳しく知らないまま行きがかり上、創価学会に関わることになってしまった人のレポートだ。
アレを見てしまえばそらドン引きするわなあ…と納得の「アレ」の詳細が書かれている。
アンチでもなく、創価学会に詳しくもない人の体験レポートなので、バイアスなく読める。
いやしかし、行きがかり上とはいえ、猛者ですよ。このお二人。
このブログもねぇ、体を張って潜入して体験レポートとか書いたらエンターテイメントとして面白さが増すかなあ?とか考えたりしちうけれど、私には今以上の形で創価学会様に関わる時間も体力も、欠片も持ち合わせてはいないのでそんなことはしないわけだが。
でもどんを観察したりどんを通して学会ネタを仕入れるよりも、潜入して見聞きして書いたほうがより真実味が増すのだろうが、私はヘタレアンチなのでそんなことはしないのである。開き直り。フフ。身の安全は確保しないと。
たまに、どんに「会合にビデオカメラ持って人を映してきて?」とか「ボイスレコーダーでもいいよ?」という我ながら最低のお願いをしてしまうが、当然どんに断られる。(じゃあ見に来る?とかこつけて誘わないどんは常識的な人間だと思うが、学会側にしてみれば、どんは折伏しない困った学会員になるんだろうな)
体験レポートを読んでしまうと、怖いもの見たさという気持ちが頭を掲げてくるが、体験した方にしてみれば知らなくても良い世界だろう。

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