妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2005年01月

悪をおちょくる

友達に「これ面白いよ」と、教えてもらったのはネットにアップされた音声ファイル。
「vs架空請求業者」
今、深刻な社会問題に発展した「架空請求業者」に、猛者たちが電話をし、おちょくろうという身を挺した音声ファイルである。(※マネはいけません)
悪質な請求業者の電話オペ相手に、応戦するのはネタ満載の一般人。
「狂言師風語り」:罵りあいから一変、突然、狂言師のような口調で対応し続ける。
「ウルルン滞在記」:ウルルンのナレーションの物まねで終始会話する。
「偽英語」:発音だけは達者な中学程度の英文と、カタコトの日本語を織り交ぜながら噛み合わない会話を展開。ちゃんと聞けば、まったく意味のない英語に騙された架空請求業者は「外人は払わなくて良いよ」。
「業者vs業者」:二台の電話を用意。それぞれ違う架空請求業者に電話をかけ、受話器を逆さに重ねて業者vs業者の噛み合わない罵りあいを実現。
などなど。
中には冗談に冗談で返すシャレの分かる業者もいたりする。
ただ、これは、「アダルトサイトに登録したでしょ?ここに電話して頂戴」タイプの架空請求詐欺相手で、「お宅の息子さんが事故で?」パターンのオレオレ詐欺発展系では通用しない。
それにしても、人を舐めたシステムの詐欺なだけに、それを逆手にとっておちょくり、それがネットにアップされて公開され、架空業者が笑われているのはちょっとスっとする。
実際に被害に遭われた方もいらっしゃるので、その音声ファイルは面白かった、という感想は不謹慎だが、被害にあっても犯人はなかなか逮捕されずお金を取られたまま泣き寝入りになってしまうなかで、合法的におちょくりネットで公開して見せしめにすることで、被害者の暗い気分も多少は晴れてくれるかなと思ってみたり。
で。
そこで、創価学会の皆さまに提案です。
ウルルンや偽英語や狂言師で応戦するのではなく、折伏や聖教新聞の購読勧誘で応戦してみませんか?
「おっしゃ!金巻き上げてやるぜ!」と電話を取り登録してもいないアダルトサイトに登録したと言い張って、言葉巧みに人を騙して金を巻き上げる架空請求業者に日蓮仏法や創価学会や名誉会長のお言葉の素晴らしさを説き、新聞を読み、悔い改めるように諭すのです。
こういう犯罪に手を染めるのは心の貧しい、腐った蜜柑です。可哀想な人々なのです。そういう方々を救うのです。
もちろん、成功すれば犯罪者を改心させるだけでなく、入会となれば同志が増え、互いに福運がつき、新聞購読者も増えます。入会した同志は架空請求で培われた話術で仲間をバンバン折伏するはずです。

どうでしょう?
もちろん、自己責任でお願いします。


……。
………………すいません。
もちろん、皮肉で提案しました。

ちなみに、まずはどんに提案したところ、試しに頭の中で会話シミュレートしたらしく、ずっと爆笑していた。

(くどいようですが、創価ネタも含めてマネはなさらないように)

豪華(怒り)二本立て

私が高校3年間をマーチングに費やしたということを、いつぞやのブログで書いた。
以来、楽器を置いてお揃いのコスチュームを脱いでも、マーチングファンだ。
我が高校はヘナチョコであったが、レベルが高いことで有名な学校や団体はいくつかあり、その中のひとつが創価学会である。
今年の全日本マーチング・バトントワリング連盟主催の全国大会で、創価ルネサンスバンガードがグランプリを取り、8年連続グランプリの記録をうち立てた。おめでとうございます。
学会アンチだが、そういうの抜きで、一マーチングファンといて素晴らしいと思う。
同時に残念なお話も聞こえてきた。
聖教新聞にはおそらく書いていないであろう観客のマナーである。
もちろん、他の観客の方にも言えることだし、マナーの低下は毎年指摘されていることだが。

応援された学会員の方。
創価学会の強さだけを喜ぶのではなく、全ての出場団体の演技を楽しむことはできませんか?
どの団体も、練習し、難関を勝ち抜き、全てをかけて本番一度きりの渾身の演技をするのです。
その演技の最中に、おしゃべり・飲食・他の宗教団体のバンド登場に野次。
創価学会の演技の時だけ盛り上がり、3色旗を振り回し、グランプリ発表では「8V」の横断幕を持って通路を走り回ったって本当ですか?
音楽が好きですか?それとも創価学会の「勝利」の瞬間に立ち会いたい・誇示したいだけですか?
その行為が、8年連続グランプリという偉業に水を差していることに気づきませんか?

…という話をどんにしたら。
「民音主催のバンドのコンサートに行ったら、観客に3色旗を振り回している人がいたよ。観客は学会員だけじゃないのに。あまりの空気の読めなさにボーカルが呆れたらしくって『今日は皆さんありがとうございます。中には予想通りな方もいらっしゃいますが』って嫌味言ってたなあ。ああいう人たちはね、誇示したいっていうより『同じ学会だから来てやってる。応援してやってる』って無意識に思ってるんだと思う。講師呼んで会館でやる講演会とかもそう。いるよ、マナー悪い人」
「注意とかしないの?」
「注意したら…、たとえば聖教新聞で今回のマーチングの件を注意したとしたら、逆にクレームが来るかもね。『せっかく応援しに行ったのに!』って。だいたいどの部のどの年齢層か予想はつくけど。嫌だねえ」
主役が誰か、間違えてるよね

…………マナーが守れない・音を楽しめないなら、学会関係だからって何でも行かないほうがいいですよ。
観る方も演る方も、迷惑です。

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つらつらとネットサーフィンをしていた。
そうしたら、折伏命!名誉会長全面万歳な方の日記に行き当たった。
その方が会合で幹部から聞いた話として、スマトラ沖地震の津波から運良く逃れた学会員家族の体験談を紹介していた。
海岸に近いホテルが取れず海から離れたホテルに宿泊したことで難を逃れ、脱出のために家族が乗った船以降の後発の船は沈んだという。
その間の心痛や不安はお察しする。生きて日本に帰ってこられて、良かったと思う。
しかし、問題はその家族ではなく。
万歳な方は「守られた」と記し、「感動した」と。
「守られた」と言ったのは、万歳な方ではなく、会合でその話を紹介した幹部の方であろうが。
では、守られたって、何に?感動したって、何に?
私は泣きそうになった。怒りに震えた。
万歳な方の日記の日々の内容も、あまりに「それはやりすぎでは?」というような事をさも素晴らしい事をしたかのように書いており、どんの言うところの「周囲が見えていない、学会の評判を落とす学会員」タイプの方だろう。
相手にするようなことではないのかもしれない。
だがどうしても、そこだけは見過ごせない。
多くの国の人が亡くなった。
多くの国の遺族が悲しんでいる。
たとえ生き伸びても、多くの方が精神的に経済的に苦しんでいる。
亡くなった方は「守られていなかった」とでも言うのだろうか。
創価学会様の信仰が守ったと?信心していたから助かったと?
後発の船が沈んだのは、信心していないからとでも?
多くの人が亡くなったのは学会員じゃないからだと言っていることに等しいと気づかないのだろうか。
そんなつもりで言ったわけでも書いたわけでもないのかもしれない。でも結果的にそういう意味に聞こえるし、あまりに言葉が足りない。
どっちにしても、無神経にもほどがある。一体、どこが感動できる話なのだろうか。
学会員さえよければ、それでいいのか?学会員が助かったから、それでいいのか?
亡くなった方の冥福を祈ることさえできないのか?

人間を遙かに凌駕する自然という存在が引き起こす災害。
それは万人に等しく降りかかる。容赦はない。そこに意志はない。
人間が作りだした信仰が、自然に敵うはずもない。信仰など、関係ない。
キリストもイスラムも仏教もヒンズーも創価学会も。
自然の前に人間は無力だ。
生き延びることも、亡くなることも、紙一重の偶然。
咄嗟の判断が明暗を分けたということもあるだろう。
それを運命というのか、運というのか、どう呼ぶのかは私は知らない。
「偶然」が重なりその家族は無事だった。
それは喜ぶべきことだ。素晴らしいことだ。
だがそれを外野が強引に、都合良く信仰に結びつける、その行為。
選ばれた人間かのように、喜ぶ、その行為。

こういう人がいる。
だから私は、創価学会が嫌いだ。
一人を見て全てを決めつけるというのは乱暴なことも自覚している。
だが、これは個人の問題ではない。
創価学会にはそういう考え方を持つ人間を育てる土壌がある。
だから私は、創価学会が嫌いだ。

信心して守られた、というのなら。
どうやら、災害に見舞われた時、生き残るのは創価学会員様だけらしい。
信心すれば、生き延びるらしい。
ならば、私は死を選ぶ。
いやむしろ、信心などしなくても、生き延びてやる。

ああ、でも。
「夫が創価学会員だから、夫の信心がアンチ妻の命を救った」とか言われるかな。

ここにたどり着くまでに

まーた、デザイン変えてみましたよ。
あえて、あえて仏像です。
前のデザイン、気に入ってたんですけど、重いんです読み込みが……。嗚呼…。

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このブログはTBやリンクやURLを貼られているところは少なく、大抵の方は検索でここにたどり着かれている。
その検索ワードを見ていると、創価学会に関わる関心事やそれ以外の関心事が見えてくる。
検索で来られた方に、このブログが役立っているかはわからないが、…どうでしょうか?

●「結婚 創価」
実はこのキーワード(もしくは「妻 創価」や「夫 創価」など関連キーワード)検索がダントツ多い。
彼氏彼女が、実は創価学会員だった、というのはもはや珍しくない話なのだろうか。
□このキーワードで来られる方へ。
学会員の方とお付き合いしていらっしゃるのでしょうか?ご結婚を考えているとか?
学会員と学会員でない夫婦がどういう日々を送っているかは、当ブログを参考にしていただければと思います。(参考にならないかも)
私個人の考えやツッコミが多いですが、創価学会員の夫との日常も書いております。あくまで私と夫のケースなのですが。
ただ私の場合は、学会員は両方の一族で夫のみ(夫の兄が名前だけ学会員ですが)、夫も信仰は個人のものとして私に勧めることはありません。だから壁はまだ低いほうです。
私の口からは、人様の人生に関わることは言えませんが…何か言うとするならば。
相手が学会員なら、その方と学会との距離や、信仰をどう考えているか、他の家族や一族が学会員か、などが今後のポイントになるとは思います。
納得行くまでお二人でよく話し合ってください。
仕事や生活と活動のバランス、互いの家の宗教に関わる行事の折り合い、式や披露宴、葬式やお墓、財務、活動の時間帯、子どもが産まれたら、不安なことは全て。
入会されたくないのであれば、その意志を伝えることを忘れずに。
信仰と結婚は天秤にかけるものではありません。また一家が同じ宗教を信仰しなければならないということもありません。
創価学会は結婚を条件にした折伏は推奨していないはずです。(「無理強いせず信心する姿を見せて理解してもらう」というスタンスだそうですが、理解と入会は別問題だと思います。信仰は個人のものです)
ですが「広宣流布」という性質上、熱心な学会員一家では結婚条件に入会を提示するケースがいくつもあります。それは人権侵害だと思います。
逆に、結婚条件に退会を提示することも、難しいでしょう。
入会も退会も、個人の意志でないかぎり、仲をこじれさせるだけです。追いつめるようにして本人に「イエス」と言わせるのも同様です。
ましてや、当人同士ではなく家族がそういう条件を出すのも言語道断だと思います。
結婚するのはご家族でも学会でもなく、当人です。
信仰の自由は憲法で保障されています。しかし同時に信仰しない自由も同様に憲法で保障されています。
自分が素晴らしいと思っているものを、相手が素晴らしいと思うとは限りません。
その逆もまたしかりです。
お互いが自分の信仰や考えを押しつけ合っても、事態は進展しないと思います。
私を含めて、上手くいく保証はありませんし、何かと問題が生じることも確かです。
ですが現実に、学会員・非学会員(アンチ学会含む)の夫婦で上手くいっている夫婦も数多く存在していることも確かです。
最終的にはお二人が決めることです。
どういう結果になっても、どうか、お互いの生き方・価値観・考えを尊重し思いやる心を忘れないで欲しいと思います。
(自戒の念を込めて。…だめじゃん、私w。気を付けよう)

ま、ダメでも人生やり直しはいくらでもききますから。(え?!)

●「芸能人(個人名) 創価」
これも多い。気にしてる人が多いんだなあ。正直、気にはなるが、どうでもいいような。
私自身も知らなくて、どんに「芸能人の○○の講演が会館であるから、着任があるよ」
という話を聞いて初めて知ったということもあった。
ちなみに関連キーワードとして、「創価 青木さやか・長井秀和・波田陽区」「学会タレント」も多い。
長井秀和は実家が聖教新聞配達に家族が公明党議員、本人創価大卒と、自他ともに認める輝かしいまでの学会員、まさに学会オブ学会だが。
他の2名はよくわからない。青木さやかはわからないけど、波田陽区は違うんじゃないかと勝手に予測。
□このキーワードで来られる方へ。
すいません、何も提供できる情報はありません…………(滝汗)


ただですね、他のタレントさんにも言えることですが、
世間での学会の評判があれなものですから、気になさるのは分かります。
でも、本人が何を信じているかなんて、個人のことですから、ファンは知らなくてもいいことなわけです。
そういうことよりも、本業の歌なりお芝居なり芸なりを評価して応援したらいいと思います。
まあ、本業をおろそかにされて宗教にのめり込まれたら、嫌ですけれども。

中学1年生からずっと、TM NETWORKファンをずっと続けている、創価学会アンチの私めの意見でございます。
(ご存じの方は、私の心中がいかに複雑か、察していただけるかと……泣)



他にも、予想もつかない面白いキーワードで検索してくる人は多い。
十人十色、いろんな発想があるなあ。人間って面白い。
ただ結果として、私のブログはあまり検索で来てくださった方のお役にはたっていないような気がする。
でも、役に立たなくても気に入っていただいて、ブックマーク登録にしてくだされば嬉しいことはない。

気に入られましたら、今後ともご贔屓に。

聖地

信濃町には創価学会本部及び学会関係施設がある。
ということで。
「信濃町に行ってみたいとか思うの?」
と、どんに聞いてみた。
「別に」
「なんで?学会員には重要な場所じゃないの?」
「聖地っぽく言われてるけど、俺、どこかに『聖地』を定義して神聖視するの、嫌なんだよね。だから興味ない」
「へえ」
「池田先生が居るからってさ、神聖視して崇めるのも先生に迷惑だと思うよ。先生の名前で暴走したりするんだよね、そういう奴に限って」
どんにもいろいろ思うところがあるようでございます。
名誉会長自身が暴走してるのでは?とちょっと思ったけど、私も十分暴走してるし、そういうことを口に出すとどんも暴走するので、辞めておいた。

どんは、学会幹部や上層部を批判しても、絶対に名誉会長は悪く言わない。関与しているかも、という疑いも抱いていないらしい。
私には胡散臭い爺さんだが、どんにとっては尊敬する先生。
尊敬する人にクリーンであって欲しいという気持ちはわかるが。
信じすぎるのも危険だとも思ってみたり。
はたして、名誉会長はどんを裏切っているのか、裏切っていないのか、それは名誉会長のみぞ知る。(「のみ」ってことはないと思うけど)
……仮に裏切られたことが露呈して(一応、『仮に』をつけておく)、「先生は取り巻き幹部に陥れられたんだ!」とか言うかなあ。
そう言い出す人いっぱいいるだろうなあ。
愛されてるなあ、名誉会長って。幸せ者だなあ、名誉会長って。

私は大嫌いですけど。…そりゃお互い様か(笑)


あれだけ多くの人に愛されているんだから、その愛を裏切れないよね。ねえ?

きょうの寸鉄

朝、聖教新聞をチラリと見て、驚愕した。
かの「寸鉄」である。
ありえん、と思った。
いや、いつもありえん!と思うのだが、今日はいつも以上にありえん!と思った。
「世界から『170』の名誉博士号  人類希望の大英知  迫害日本は精神後進国」
               1/25付 聖教新聞「寸鉄」より

「精神後進国」というのは差別用語の部類に入ると思う。
かつて「先進国」に対して「後進国」という呼び方があった。しかし、あまりに後ろ向きな呼び方で見下しているようにも捕らえられるということで「発展途上国」という呼び方になった。いや、それも微妙ではあるが、少なくとも「後進国」よりは前向きだし、「今、上り調子です!」という感じも受けるし、……と、まあご存知の通り、「後進国」という言葉自体は使わないわけだが。
「迫害日本は精神後進国」ですか。へぇぇぇ?
そうですか、そうですか。非学会員は学会員に比べて精神が遅れているんですか。へぇぇぇぇ。
日本に住んでおきながら、そういうことをおっしゃると?
だったら、褒めてくれる外国に出ていけば?
でもその例えって、精神疾患のある方への差別とも受け取られるのではないだろうか?
平和の宗教だか人権の宗教だかが、聞いて呆れる。あまりに自分本位な書き方だ。
しかもこれ、「一部の学会員」が言った言葉ではなく、創価学会の機関紙の発表記事である。
ありえん。いや、むしろ。
さすがは聖教新聞様、創価学会様である。

「迫害」とは、ずいぶん大層な言葉だ。
国家によって弾圧を受けた訳じゃあるまいし、いや、その公明党という形で国家の一端を担うのは創価学会員である。
「迫害」というのは、キリシタンを取り締まり処刑したかつての江戸幕府の行為を言うのである。後からやってきたくせに北アメリカ南アメリカの先住民を排除し、財を奪い、絶滅させ、あるいは居住区に押し込めた、かつてのヨーロッパの国々の行為を言うのである。アフリカから黒人を奴隷として拉致し売りさばき未だに黒人を差別しつづけるアメリカの行為を言うのである。チベットを蹂躙し文化大革命を推進し文化や芸術や表現の自由を奪ったかつての中国の行為を言うのである。強制収容所に送られ毒ガスで殺されたユダヤ人に対するかつてのドイツの行為を言うのである。病気への無理解からハンセン病患者を隔離し断種まで敢行した日本政府の行為を言うのである。他にも…と挙げればきりがない。
機関紙で好き放題言い放ち、政界まで進出し与党になり、憲法で信仰の自由まで保障されている宗教団体が「迫害」とは思い上がりも甚だしい。
戦時中は初代・二代会長が投獄されたという。しかし、それは過去の話。
今現在、自由な日本で自由を謳歌しているのに迫害などと、気安く使わないでいただきたい。
実際に迫害を受けた人に対して、失礼極まりない。

「迫害日本は精神後進国」という表現も第三者的である。当事者性が感じられない。
信仰は違えど、同じ日本人ではないのか?
私たちは信濃町の高見から見下ろされているのだろうか。

勲章や博士号にまつわる黒い話は、他のアンチサイトに任せるが、とりあえず「名誉博士号170」とは驚きだ。しかし、学会員以外、誰も知らない。むしろ興味のないことである。
聖教新聞を読まなかったら、名誉会長が勲章コレクションが趣味なことも名誉博士号マニアなことも、誰も知らないことだ。
日本人があれだけの数を勲章や名誉博士号を手にしていれば、他のメディアでも報道するだろう。
現実として、新聞にもニュースにも出ていない。
そういうことで、人を見下すのか?
海外からは勲章や博士号をもらっても、創価大を除く国内からはどうだろうか?褒章をもらったか?学会員以外から評価されたか?
「うちの名誉会長、こんだけ外国から名誉博士号もらったんだぜ!なのに、日本は遅れてるよな?、名誉会長に褒章も与えないで、迫害なんてして、妬んでんの?」
そう言っているようにも思える。

プッ。

ちょっとおかしくなってきた。
いや、寸鉄如きにこんなに怒ることもないだろう、私。

とりあえず迫害とは、何を差して迫害なのか。
世間に広がる創価学会バッシングのことだろうか。
それに対しての、よく創価学会は「正しい信仰に対する嫉妬」という意味の言葉を使う。(どんは『出る杭は打たれる』と表現している。……まあ、『出る杭』という表現そのものが「自分たちの正当性・優位性」を誇示していると思うのだが、打たれるのは迷惑行為に対してであると突っ込むと、「それもあるけどさあ」とブツブツ)バッシングの直接の原因たる強引な折伏や度を越した選挙活動、信仰にのめり込んだ故の非常識な振る舞いなどは、「一部の人がやっていること」で片づけて、さも自分たちは「正しい」と高見にたった物言いで「迫害日本は精神後進国」とは。
面白すぎです。さすがです。
無論、噂に尾びれ背びれがついたものもあるだろうし、ネットの普及もそれに拍車をかけていることは否めない。
火のないところには煙はたたずと申しますが。
…水掛け論になるのでそれには触れないでおくとして。

というか、「創価学会の正しい信仰に嫉妬して」る人なんて、いないと思うぞ。

「迫害されている」というカタルシスに浸っているのだろうか。
学会の迷惑行為に対するバッシングを「名誉会長のもと、迫害に立ち向かう私達」というヒロイズムにすり替えているのだろうか。

八百万の神というくらい、基本的には宗教に寛容な日本である(オウムショックが新興宗教懐疑論に繋がっていることは否定できないが)。
やり方さえ間違えなければ、大きなトラブルはなく多宗教が共存できるはずである。
それが出来ないのは、やり方がマズイとしかいいようがない。
やり方のマズさを棚に上げ、マズさが原因のバッシングを「日本に迫害される」と問題をすり替えるとは、見事。
寸鉄などはやり方のマズさの代表例ではないか。
自ら、首締めてる。絶対、締まってる。

寸鉄だけで、こんなに書けてしまった。
いやあ、毎日ネタ満載!さすがは寸鉄!

ちなみに、どんに寸鉄を見せてみた。
「あははははははははははは!何コレ、相変わらずすごいねえ、この被害者意識」
どんは寸鉄にバカウケしてました。
「まあね、寸鉄はそっとしておいてあげてよ」
どんは寸鉄を何故か哀れんでました。

学会員にも笑われる寸鉄!さすがは寸鉄!何故か哀れに思われる寸鉄!これでいいのか寸鉄!

……学会員から笑われて、聞けば学会員自身からも評判が悪いという寸鉄。すでに需要はないと思うのは私だけだろうか?

岩波国語辞典第五版
すんてつ 【寸鉄】
[1]小さい刃物。「身に―もおびず」(全然武器を持たない)
[2]短くて人の心に食い入る言葉。警句。「―人をさす」

確かに、違う意味で食い入りますね。もう釘付けです。釣られまくりです。

最近、どんが仕事が多忙で、あまり学会活動には顔を出していないので、なかなかフレッシュな現場の話題がない。
そんなときでも、寸鉄は、今一番ホットでロックな話題だと思う。(押尾学大先生風※)


とはいえ、「寸鉄」というのは特殊すぎてあまりにツッコミやすく、そこばかりをつくのはアンチ妻としてフェアではないが、でも、普段は「何言ってんだ」で流している寸鉄だが、恵まれた環境で「迫害」という言葉を安易に使うのは、許し難い、というのは正直な怒りだ。
 
※[押尾語録]参照
http://www.geocities.co.jp/MusicStar/5178/oshio.html
http://gffg56hge1.hp.infoseek.co.jp/sonota/osiogoroku.html

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