妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

2004年11月

深夜に鳴る電話

私の仕事が忙しくなってきた。
わたわたと準備をしていたところ、同僚から「華さんは仕事が忙しくなるとテンション上がるし生き生きしてるよね」と言われてしまった。
仕事は好きだ。
が。仕事が暇だと不安になり、定時に帰れる時は罪悪感を感じてしまうあたりは、もう、会社の都合に毒されているとしか。
忙しいと生き生きするけれど仕事量から残業は必須、でも給料体系上ほぼサービス残業。
やりがいあって生き生きできて、でも無償ってこれボランティア?ねえボランティア?
この業界、印刷業界と連動して社会の底辺のほうに位置している。(それでもお金が回るところは回る。大手とか有名プロダクションとかその関連とか)
だから今の会社よりも待遇が悪いところは腐るほどあって(というか腐ってて)少ないけど給料が毎月ちゃんと出て(滞る会社がある)健康診断があって(ない会社のほうが多い)世間様に比べたら少ないけれどボーナスがあって(小遣い程度・または出ない会社がある)有給休暇がとれる(とれない会社が多い)我が社は全然良心的だったりする。会社として最低ラインの制度が良心的になるという恐ろしい業界…。
独立して自営のどんは「独立したらいいのに」と言うが、独立するにはスキルも人脈も足りないような気がするし。まあ、いろいろ悩むところで。
やりがいもあるし充実してるし、出来上がった広告が世に出るのはやっぱり嬉しいし、でも給料安いしサービス残業多いし体調崩した人もいるし精神病んだ人もいるし過労死した人もいるし自殺した人もいるし。いやはや。フフフフフ。
とりあえず一言。印刷・広告業界は、多くのボランティアで回ってます。
………_|?|〇
就職活動中の皆さま。参考になりましたか?
で、残業で帰宅が深夜に及ぶ時期に突入しかけているわけだが、そんなときは自営のどんが頼り。
帰宅が遅くなる説明をせずとも判ってくれるし、家事もするし、我ながら良いパートナーじゃないか!創価学会だけど。ハハハハ……

そんなわけで本日の創価学会ネタ。(長い前フリ兼私の愚痴吐き)
月曜の深夜1時過ぎ、どんの携帯電話が鳴った。
それで目が覚めた。どんは起きない。
「誰じゃコラ」と目をこすりつつディスプレイを覗かせていただく。
…………創価班の方からのお電話。
時計を見れば午前1時。非常識!こんな深夜にどんを起こせるかい!と放置決定で寝直して十数分後。
こんどはメール着信。再び起こされる。でもどんは起きない。
ああああ、そうですか、どんが出ないもんだから、寝てるんだなってメールにしましたか。そうですかそうですか、賢明な判断ですよでもね、結局着信音鳴ってますけどねえ。
そして朝。
出勤前、眠りこけるどんを叩き起こし、「午前1時過ぎに創価班の某さんって方からお電話がございましたがなんで深夜に電話かけられるんでしょうか非常識じゃございませんこと?」と苦情を伝えたところ。
「…何で華にそこまで言われないといけないの」
あれ?逆ギレ?逆ギレですか?非常識なのは某さんですよ?
「俺が遅くなってもいいから報告の電話してって言ったの」
…………………………………………………
お前か!!!!
だったら寝てないで電話に出ろ!!!
すみませんでした某さん。
次にこのような事があった時はどんを叩き起こしますから。

そんなに睡眠が大事かお前さん。普段のあの責任感は一体なんだ。
つーか起きられないなら創価学会なんて、辞めちまえ。
3f2657fb.jpg

イカンザキさんがNEWS23に出ていた。
結党40周年ですか。へえ。
内容はどんの口から聞かされたことばかりなので特に目新しいこともなく。
公明党や創価学会に詳しくなっていく自分が嫌。

報告!着任であります!

先日、どんは会館の着任でありました!

土曜日に、何かの罪滅ぼしのように隣県にドライブに連れて行ってくれたが(笑)、着任のあった日曜日は独りで家にぽつん。ま、ゆっくりしてたけど。
9時過ぎにどんは帰宅。なにやら落ち込んでいる様子。
「任務に自信がなくなった。俺、向いてないかも」
自分の手際の悪さに自己嫌悪しているらしい。
取りあえず励ましてみる私。パートナーとしては合格、アンチとしては失格(笑)
あまりグズグズするので、ちょっとキレて、辞めちゃえよ!と言い放つ私。
アンチとしては合格、パートナーとしては失格(笑)。
まあ、まさに彼自身の問題であるから、題目とやらでもなんでもあげて自力で立ち直って頂戴よ。
…パートナーとして大失格(笑)。
彼の信心である。辞めるも、続けて精進するも、私の知ったことでは…私の口出しできる範疇ではない。
「辞めるなんて無責任なことは出来ないよ」
ほらほら、あっさり答えは出るわけだし。

とはいえ心配は、責任とどん自身の本心との間に、どんが板挟みになること。
学会は負担を努力で克服し任務を全うすることが信心だとか言うのかもしれないけれど、克服できないことがイコール信心が足りない、というふうに自分を追いつめてしまうことがあるのではないか。
生活や体と心の健康を犠牲にした信仰は、信仰とはいえないのではないか。
団体運営のための学会か、学会のための団体運営か。個はどこまで犠牲になるべきか。
学会のための個なのか、個のための学会なのか。
団体運営活動が強制ではなくても、前向きすぎる言葉でせざるを得ない雰囲気に持っていくのは強制ではないか。
いろいろ疑問は尽きない。

さておき。ウチのどんの話。
周囲が人望が厚い(らしい)どんを頼っているのか、周囲が別に良いよと言うのにどんが自主的に責任を全うしているのか。
端から見るとその半々だろうか。
例えば。
ただでさえ通常の学会活動と仕事で忙しいのに、さらに「●●部長になってくれ」というお願いをされたことがあった(過去に受けたことがあるらしいが、超多忙を極めて懲りたらしく今回はさすがに断っていた)。
またその逆のケースで、着任出来なくなった人がいて、着任の代行を人に振らずに(または断られて)自分から着任についたこともあった(そのために私との予定がキャンセルになった)。
など。実際に両方の出来事は起こっているわけだし。
そんな中で、100%体調を優先すると言う一方、「責任感」も強いどんはきちんと線引きできているのだろうか。
本音をいえば、パートナーであっても私にはそれは判らない。
「無理はするな」「体調優先だから大丈夫」という会話を繰り返してきた。
とはいえ、体調や私との予定よりも学会を優先させたことは何度かあるわけで(その逆もあるけれど)、そうなってくると、どんの体調に加えて先々の生活に対して不安が残る。
私が妊娠したとき、子どもを産むとき、子どもが産まれた後、子どもの行事と学会行事がバッティングしたとき。
それは私だけでなく、学会員のパートナーを持つ人が、常に不安に思っていることのひとつではないだろうか。
どんは「子ども優先」と言い切る。「さすがに考えているよ」と。
私はどんを信じている。でも、実際に直面した時、どんの「責任感」はどう対応するか、自信がもてない。
責任感があることは素晴らしいことだと思う。でもその「責任感」がどんの「創価学会仕様」になっている部分ではないかという気がしないわけでもない。

マジメに書いちゃった(エヘ)

早朝バズーカ不発!

朝、目覚めると、どんはまだ寝ていた。
……早朝バズーカ、もとい題目は?
「行くんじゃないの?」
揺すり起こして聞いてみる。
「……行かない……」
「なんで?約束してるんじゃないの?」
「……してない」
は?
「え、そうなの?」
「△△さんが●●さん家で題目あげるっていうから、一緒に行こうって俺が思っただけ……」
「思っただけ?」
「二人には言ってない…」
「眠気に負けたと?」
「……負けた……おやすみ……」
信心、足りないんじゃないですかねえ?

いや、別に行ってほしかったわけじゃないけど、
そんなにあっさり翻されると、いまいちアンチ心が盛り上がりに欠けちゃうと言うか(違)
「普段は起こそうとしても寝てるクセにこういう時は朝早く起きて題目あげに行くなんてヒドイわヒドイわ」って騒ぎたかったんだけど…。
ブログ的にはオチがついたので、まあいいか。
どんという男は、自分の体調と信仰、どっちを優先させる人間かと言うと、
100%自分の体調である。
自分の体に無理してでも活動しないので、その辺は安心している。
この場合は、体調管理というより「眠りたい」という自分の欲求に素直に従っただけか…。

結局、眠るどんをそのままに、ネタ探しで本日の聖教新聞チェック。
相変わらず一昔前の青春ドラマのセリフのような文言が並ぶ。
広告制作に携わる立場から言うと見出しや文章にセンスないな。あ、わざとなのかな?
注目は名物糾弾座談会(華命名)。「女房の尻に敷かれてるくせに(笑い)」。二度ほど出てきたこのセリフ。
今時、こういうセリフを人を揶揄する時に使うっていうのは……いかがなものかと思うんですけど。
熱烈熱血スローガン寸鉄(華命名)と並んで、糾弾座談会は学会員の中でさえ不評のページと聞く。
初めて見たときびっくりした。
機関誌とはいえ曲がりなりにも「新聞」を名乗る媒体がこんな事していいのかと。
団体をまとめ上げるには「敵」という存在が常に必要なのだろうか。
「敵対」団体を糾弾し続けることで、学会員の優位性・正当性と保障しているのだろうか。
まあ、それぞれの言い分やここに至るまでの確執はあるのだろうけれど。
気にくわんかったら無視しといたらいいのに。変なの。
私は新聞を畳むとマガジンラックに放り込んだ。

ちなみに、ウチはどんの自腹で聖教新聞、私の自腹で毎日新聞である。
実家ではずっと毎日新聞だったし、西原理恵子のエッセイもあるし、と思っていたのだが。
…………………………。
聖教新聞が毎日新聞や各地方新聞系列の印刷所で刷ってるって最近知った。…………○|?|_
学会系雑誌の広告費や印刷費の事とかは知っていたのだが、新聞の印刷所までとは……。
いや、でもねえうちの地方ではねえ、聖教新聞は地方紙の印刷所で刷ってるみたいだし。
あははは。…………○|?|_

最近、私は学会の疑問やら不審点をどんにぶつけなくなった。
時々、どんが何を話しているのか、わからなくなるからだ。
学会のことを話すどんの言葉は、日本語なのに日本語でないように感じる。
そういう時のどんを遠く感じるけれど、その日本語を理解することはできない。
でもそれはそれで、いいのかもしれない。
無理な歩み寄りは、互いの心の健康に良くない。

…………。
…………さて寝よう。難しいことは、眠って忘れてしまえ。

早朝バズーカ!!!

どんが珍しく夜の会合からすんなり帰ってきた。
ナントカ試験(教義の試験ですかね)が終わるまでは忙しいといいつつ、終わってからもずるずると忙しくしていたどんが、である。
ゆっくりすればいいやん、と思いきや。
「明日は朝早く起きて、●●さん家で早朝ナントカ(失念した)しないと」
「は?なんで」
「最近△△さんが、忙しくて活動できなくてさ、いろいろ悩んでてさ、それだったら●●さんが朝の出勤前に題目をあげようって提案してさ、俺も一緒に行こうと思って」
「………すいません、どうして早朝に人ん家で題目あげるんですかね?」
「いや、一緒にがんばろうっていう励ましの意味もこめて」
「………すいません、何でアンタまで行くんですかね?」
「いや、創価班の仲間だし」
「………すいません、私にわかる日本語で話してもらっていいですかね」
「あはははは、まーわかりにくいだろうねえ」
すいません、まったくわかりません。

えっと、△△さんが忙しくて、だから出勤前の朝に●●さんが「ボクの家で一緒に題目あげようぜ!」っていう話で、ウチのどんが「仲間として俺も一緒に題目あげるよ!だからがんばろうぜ!△△くん!」「うん、俺がんばるよ!」「そうだ、その調子だよ△△くん!」「ほら、見てごらん!朝日も俺達を応援してるよ!」
すいません、大映テレビの青春ドラマのワンシーンか何かですか?
…無論、私の想像上の会話ですけど、青春ドラマに置き換えないと、なかなかシチュエーションが思い浮かべにくかったものですから、つい。

「早朝から迷惑じゃないの?●●さん家の家族の方とかさあ」
「いや、大丈夫よ。一家全員幹部だから」
「…………………ああ、そう」


おもしろい人たちだなあ。あははははは。
しかし早朝からオジサン三人が集まって同じ姿勢で題目あげてるのってビジュアル的にどう…なんでしょ?

つーかついでなら毎朝、早く起きてくださいよ……。5edb722d.jpg

危機管理、足りないですか?

アンチ創価学会系のブログやサイトを時々チェックする。
こう…皆さん、はっきりと調査とか体験とかに基づいた自分の主張を持っていて「創価はコレコレこうだからよろしくない!」ということを筋道立てて説明されている。
すごいなあ……いいのかな、私、こんなにのほほんとしてて。
まだ、強烈に自己主張されたり入会を迫ったりという方には幸いにも遭遇していないからなのか。

周囲に、ウチのどん以外の創価学会員は何人かいるが、人様に思いっきり迷惑をかける人はとりあえずいらっしゃらない(過去、嫌な思いをさせられた方とは疎遠になったし)。
が。何もないわけではない。
どんと私の共通の知り合いに「時間をかけて折伏してやるイヒヒヒヒヒ」とおっしゃるAさんという人がいて、そのAさんを警戒しつつ「誰が折伏されるかイヒヒヒヒヒ」と返している。
一度、婦人部の方が家に来られた事があり、「華は出なくていいよ」とどんが応対してくれた。講演会のご案内だったらしく「取って食べはしないから奥さんによろしく」とチラシを置いて行かれた。
そのAさんにしても、婦人部の方にしても「学会外の人には学会のイメージがあまりよろしくない」というのを判っていらっしゃる故の「時間をかけて?」「取って食べはしない?」という発言だと思う。
でも、やっぱり折伏する気満々やし、取って食べなくても講演会に誘いに来たやんか!
のほほんとしていても、やっぱり危機は危機?

アンチ学会系のブログやサイトを見て思うのは、「ウチのどんもマインドコントロールされてんだろうなあ」。
すいません、必死さが足りなくて。
私に危害が及ばなければ、どんが自分で選び取ったことだし幸せならそれでいいんじゃないかなあ、などと不謹慎にも考えてしまったりして。
そりゃ、夫が創価学会で良いか嫌かと聞かれると、嫌に決まっている。ええもちろん。
でも対外的には面倒見のいい人間だと言われる私だが、人を突き放すようなところがあり、「好きなようにしたらよろし。その代わり自分のケツは自分で拭きや」と思ってしまうのだ。
私には夫婦や家族はセットでという意識があまりない。何をしてもまず「個人」ありきという考え方が先に立つ。付かず離れず程良くが丁度良いと思ってきた。
駄目ですか?突き放してたら駄目ですかね?(汗)
もちろん創価学会という団体の黒い部分の噂や狂信的学会員の常識を逸脱した行動を全く知らないわけではない。人様に多大なる迷惑をかけている以上、本人が幸せならそれで良いとは思わない。それにやっぱりブログやサイトを見ていると、私ももっと真剣に考えないとイカンと思う。
思うんだけど、今すぐに何が出来るわけでもないし…。
やっぱ駄目じゃん。駄目駄目、超ヘタレ。
……とりあえず、勉強しつつ、客観的にウチのどんや創価学会を観察しつつ、考えたことをブログで発信するようなアンチ活動をしていこう。
自分のペースで。
いいじゃないか、のほほんとしたアンチブログがあっても(開き直り)。
ただ。
この先、噂に聞く強烈学会員さんとの出会い・展開がもしもあったなら、必死の攻防戦を繰り広げる一大スペクタクルのアンチ対創価学会員戦記ブログになってしまう可能性がないわけではない。
いや出来れば、のほほんとやっていきたいですよイヒヒヒヒヒ。
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