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読んでくださる皆様、コメントをくださる皆様に支えられての4周年でございます。
こんなに長く続くとは……ちょっとは思ってましたw
一般に、マインドコントロールから解放されるには、かかっていた期間の倍の時間がかかると言われているようなので。
始めた当初は先が見えなかったですし、一筋縄ではいかないだろうとも思っていました。
それでもどんの場合はこの4年で劇的に変化したと思います。
これも、皆様から多くの言葉をかけていただいたお陰です。
本当にありがとうございます。
そして、皆様のその言葉がまた新たにブログを読まれる方々の力になることを確信しています。
引き続き、よろしくお願いいたします。


4年も経つと、聖教新聞にも変化があるようで。
名物だった罵倒座談会がすっかりトーンダウンしているとのこと。
一度は「やりすぎではないか」という内部の声に対して「これは正義なのだから」という開き直りな発言が座談会記事内であったような記憶もあるのだが、トーンダウンしてしまったのは結局のところ、内部からの反対の声だけでなく、罵倒している側に女性スキャンダルが出たこともあったからではないだろうかと思う。
とはいえ、名物コーナーの「寸鉄(の最後のオチ)」は相変わらずだし、罵倒座談会の正義(笑)の系譜を「破邪顕正(の最後の数行)」が受け継いでいるようで、なかなかスパイシーでスペーシーな言葉を読むことが出来る。

そこで、それら名物コーナーの関連グッズの商品化をご提案いたします。

「破邪顕正(の最後の数行)と寸鉄(の最後のオチ)から選りすぐった珠玉(罵倒)の言葉を綴った、日めくりカレンダー」

「破邪顕正(の最後の数行)と寸鉄(の最後のオチ)から選りすぐった珠玉(罵倒)の言葉を大きくプリントした、Tシャツ」

大幹部や新聞社社員の皆様方が、名物コーナーにおけるそれらの言葉が表現として適切で正義だと思っているのならば、ここは是非率先して「哀れ島国根性!」だの「人権後進国日本!恥を知れ!」だの「正義の行進を歯ぎしりして見ているがいい!」だのがプリントされた破邪顕正Tシャツを着て街を闊歩し、そんな言葉達が綴られた寸鉄日めくりカレンダーを街行く人々に勧めて回ってはいかがだろうか。
内部向けの機関紙で威勢良く「嫉妬日本!」と言ってても外には伝わらないですからね。
そこはやっぱり「人権後進国日本」の社会に直接アピールしていかないと。
正義だと思っているんだから、出来るはずですよね?ね?


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08/11/28 追記。「デスレターが届きました」

4周年に際し、いつものあの方から創価学会員らしいまさに平和と人権と文化の香り漂う祝福のメッセージをいただきましたので、ご紹介いたします。

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4年間の積み続けた悪因は必ず具体的な形となって現れる事は間違いないでしょう。
これまでもどれだけの人が同じ過ちを犯して来たことでしょう。
何も起こらないと思って軽率にも調子に乗っているとドッカ?ンと来ますからその時は素直に反省して下さいね。
さんざん学会批判した元国会議員のNくんは精神のバランスを崩して先日、自殺未遂したらしいです。
あなたが一日も早く無明から脱せられる事を願います。

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分からない人に説明すると、以前より当ブログに粘着しておられる方からのコメントである。
あまりにしつこいので、実は私のことが好きで、粘着はその気持ちの現れじゃないかと思い始めている。
モテ期到来ですハート
でも既婚者だし、学会嫌いだし、学会員は夫と友人だけで十分。
私を好いておられる(笑)とはいえ、昨年の経緯から、どうせロクなことを書いていないのは分かり切っているわけで、皆さんの目を汚すのも申し訳ないし、真っ当な学会員の皆様も恥ずかしいだろうし、相手をするのも面倒だし、まーそのようなわけで一度はブログの注意書き通りの対応をとった。
でもせっかくの4周年記念。特別企画の一環としてたまにはお付き合いしたほうが良いかと思い、読んでみた。
ラブレターっていうか、デスレターでした(笑)。
むしろ、思い通りにならない相手に対する脅迫とも受け取れる内容だった。
皆様にも公開します。

私の不幸を望むあたりは、まあ、パターンだ。
いわゆるツンデレというやつですねハート
素直じゃないんだからハート
------------ここまで冗談------------
人生には波があるから、この先の私の人生に幸運もあれば不幸もあるだろう。当然のことだ。
それと学会とは何の因果関係もないし、いちいち「●●のせいだ!」と騒ぎ立てるほど、せせこましい人間でもないので、どうでもいい。
が、N氏の自殺未遂をこのように引き合いに出すことは、人としていかがかと思う。
N氏が議員として失態を繰り返し、軽率だったということは、素人目にも明らかだ。
議員辞職、党除籍、学会から告訴されるなど、してきた事の社会的制裁は既に受けておられる最中だ。
療養中だったそうだし、自殺したいと思う苦しみの中にいらっしゃるのだから、何よりも自分を責めているのはご自身だろう。
にもかかわらず、自らの過ちとはいえ苦しんでいる人に鞭打つように「学会批判をしたから」と部外者が因果関係を勝手に作り上げ、他人を脅迫する材料に使うわけだ。
しかも、自殺未遂をしたことを「学会に盾突いたからだ」と喜んでいる節さえ感じ取れた。

信仰をしている人間がこういう発言をすれば、人間性だけでなく学会の教義にまで不信感は募る。
このコメントを書いた人、もともとはこういう人ではなかったはずだ。
盲信というものは、こんな風に人としての心と想像力を無くしていくのだろうか。
でも「信じて」いる側にとっては、人としての心と想像力が無いのは「仏敵」のほうだから、悪いのは自分ではないと完結していて、自分が言ってはならないことまで踏み込んだ自覚は無いのだろう。

単に意見が違うだけの相手を思い通りにしようとし、それが叶わなければ相手の不幸を願い、無関係の人の不幸を仏罰に結びつけながら、遠巻きに「主張を変えなければ死ぬかもしれないよ」と脅迫する。
全ての学会員がこういう人ではないことは当然だが、こういう学会員を作り出したのもまた、学会であるということも、一つの真理だ。
機関紙という公式の存在が率先して汚い言葉で煽ることで 「正義のためなら許されることだ」と勘違いさせた結果が上記のコメントではないか(個人的にはどうしてそんな勘違いが出来るのか理解に苦しむが)。
そういう人々がスピーカーとしてあちこち出現することで、学会の信頼と品位が落ちる。
それは学会全体にとっても迷惑なことだろう。
ところが、エリート幹部や専従職員の皆様はそういう人々を煽り動かすことで生活の糧を得て、同時に組織運営の資金や労力を得ている側面もあるわけで。
社会に対しての信頼と品位を取るか、生活や組織運営を取るか。
バランスを取ってそれらを両立するには難しく、そこに学会(上層部)のジレンマがあるんだろうなと思う。

------------ここから冗談------------
ところで仮に、創価学会を批判した人間が全員不幸になるとする。
それが現実に起こりうるなら、まさに反人権的、反平和的、反文化的なオカルト団体ですよね?
「盾突いたら不幸になる」「入らなければ不幸になる」という恐怖で、人を支配しようとする。
しかも「人権」を謳いながら学会を拒絶する側の人権は認めない。
もはや、呪いだ。
「呪いの祈り」で天を動かし人の運命を握るのだ。
創価学会を批判した人間を全員不幸にする力があるということは、つまり創価学会は宗教団体ではなく恐怖の呪術師団体であると言えるのではないだろうか。

今回は4周年記念の大盤振る舞い企画ということで、特別に取り上げてみました。
どうせまた書きに来られるでしょうけれど、来ても無視しておいてください。
コメント自体が創価学会に迷惑をかけるだけのように思いますから。