■ハインリヒ・ハラー著「セブン・イヤーズ・イン・チベット」[角川文庫ソフィア]
映画の鑑賞経験の有無に関わらず、書籍で読んだほうが良いと思った。
当然のことながら著者の見聞が細かく、かつ叙情的に描かれている。
読んで頂きたいので、詳しくは触れないが、書籍を読むことで中国政府の「チベットにおける農奴解放」は建て前でしかないことがよく分かる。
確かに当時のチベットは平和な理想郷であるとは言い難い。
だが、下々の民が苦しめられるような独裁国家とも言えない。
無論、著者は権力を持つ人々と親交があるが、だからといって彼らをかばう記述があるとは思えなかった。
この短い記事の中でそれをどう伝えるかは難しいが、一点取り上げるとすると「風刺劇の文化」があったことだ。
風刺の対象は寺院の制度まで茶化し、それを見た当の僧侶も大笑いをするほどだったようだ。
言うまでもなく、当時のチベットでの僧侶は権力者に当たる。
これを風刺できるという気風は、言論統制の敷かれた独裁国家ではありえないということは、分かって頂けると思う。
この劇は祭りの際にダライ・ラマ法王の前でも上演されている。

おそらくは、あのままチベットが国家として存続していれば、自分たちの力で緩やかに国を発展させ、問題を解消し、近代化へとシフトしていくだろうと思えた。
特殊な地理で取り残されていた故に歩みは遅かったのだろうが、過渡期を経ての国家としての成熟するというどこの国にもあるプロセスが、中国によって奪われてしまったというのが残念でならない。

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■ドキュメンタリー映画「ヒマラヤを越える子供たち」
http://www.tsg-kiku.com/
http://www.tsg-kiku.com/eoth/index.html

胸を締め付けられるような思い、「やるせない」とはこういうことだろう。
ヒマラヤを越える、あるキャラバンに密着したドキュメンタリー。
キャラバンの目的は子ども達をインドのダライ・ラマ法王の元に送り届けること。
自分の甥っ子達とそう変わらない年齢の子ども達が、チベットの言葉と文化を学ぶためにヒマラヤを越える。
チベットには学校がないわけではないが、学費が高いという。
DVDではこれは中国政府のチベット人の抵抗を防ぐための政策だと紹介されている。
文化や言語が絶たれることを危惧したダライ・ラマ法王とその妹(映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」で法王の母親役でも出演されている)は、亡命政府のあるインドのダラムサラに教育機関を設立した。
そこに行かせるために、子ども達と生き別れ覚悟で親達はヒマラヤを越えさせるのだ。
教育を受けさせなければ普通の生活が送れないと、ある母親の言葉が紹介されている。
「セブン・イヤーズ・イン・チベット」でもチベット人は貧富関係なく子ども達には別段の愛情をかけると記述があった。
愛する我が子の将来に光が射すことに一縷の望みを賭けて、身を切られる思いで親は子ども達を送り出す。
生きてダラムサラに辿り着けない子ども達もいる。
生きて辿り着いても、凍傷で手足を失う子ども達もいる。
本来、親元で守られすくすくと育つ時期なはずなのに。
最近、生きるために少年兵になったアフリカの青年の手記を読んだが、その読後にもやるせない思いに支配された。
時代がいつでも、場所がどこでも、犠牲になるのは子ども達だ。

登山に万全とは言えない装備。
スニーカー(!)でヒマラヤを越える少女。
中国製であろうジャンパーの胸元にはまがい物のドラえもんの刺繍は、何かを象徴しているようにさえ思える。
長い旅路の果て、子ども達の中で最年長の少年僧が言う。
「僕の国を侵略した中国人に怒りを感じます。でも怒りは春の雨のようにすぐ消えます。同じ人間だということを思い出すと同情を覚えるのです」

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今は「囚われのチベットの少女」という本を読んでいる。
読み終わったら追記しようと思っている。

どんは、このチベット問題に関心を寄せていて、心を痛め、そして怒りを持っている。
自分の所属している団体の意向や構成員としての建て前に捕らわれることなく、人間として抱いた当たり前の感情を素直に表す夫で良かったと、心から思う。
「やるせない」を辞書で引くと「悲しみなどの気持を晴らす手段がない。気持が晴れないでつらい。」とある。
非力な私には、他国の惨状を見聞きしたところで、その気持ちを平和のために使う術というものがない。
せいぜい寄付をして、継続して注視し、ブログで取り上げる以外は、自分たちの手の届かない上のほうで刻々と変化する世界情勢をじっと見ることしか出来ないのだ。
だからといって、外側の世界に関心を持たないほうがマシだと言うことではない。
これを一過性の偽善で自己満足だと言われてしまうかもしれないが、それはそれで構わない。
偽善と言われるよりも、この問題を無視をするほうが私には耐え難いことなのだ。
「やるせなさ」を伝えたいと思うのも、何かしたいと思うのも、人間の自然な行動ではないだろうか。
私が仏教の一派(一応)の信者の夫を持ったことも、ブログを始めたのも、ダライ・ラマ法王の説法会に「行ったほうが良いかな」と思って行ってしまったことも、何かの縁だとするならば、「やるせなさ」を伝える、苦しむ人のために何かをする発露としてブログを利用しても良いのではないかと思う。
誰かのためになっているか分からないが、誰かのためになっていることを信じている。

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5/20 追記
■「囚われのチベットの少女」
フィリップ・ブルサール/ダニエル・ラン 著 今枝由郎 訳
http://www.transview.co.jp/06/top.htm
http://www.tibethouse.jp/human_rights/nsandol.html

チベット人の尼僧ガワン・サンドルの抵抗の半生のドキュメンタリー。
出版当初はまだ監獄にいたため、彼女と関わりのあった人々のインタビューを元にまとめられている。
9歳でデモ参加、最初の逮捕。11歳で二度目の逮捕、一年間の監獄収容。13歳で再度逮捕、以後2002年に釈放されるまでの10年間を監獄で過ごし、その間も抵抗運動を続けている。
彼女は犯罪者ではない。
幼いながらも信念に基づきデモに参加し「自由チベット万歳」と叫んだだけでこの処遇である。
人権などどこにもない。子供にも容赦しない。酷いとしか言いようがない。
驚くべきことに、ガワン・サンドルは私とはそう年が変わらない。
故に、拷問にも決して屈しない彼女の精神力は余計に驚異的に映った。
その精神力の根源は信仰心である。
たくさんの方に読んで頂きたいとこの書籍を取り上げるのだが、信仰をお持ちの方、そして学会員の方にお勧めしたい。
私にとっては皮肉な話だが、読後、この書籍を学会員が読めばおそらくは私以上に共感を抱かれるだろうと思ったのだ。
このブログを読んでくださる方々の中には、内容を好まず単にアンチの動向を窺うために読んでいる学会員の方々もおられるだろうから、そういう方々に是非「自分の身を彼女に置き換えて」読んで欲しい。
チベットのことについて、アンチの私が言えば「またアンチが何か言っている」で流されてしまうだろうけれど、信仰者としての彼女の起こした行動を綴った物語ならば、チベットが置かれた状況は切実にあなたの心に届くだろう。

ネットで検索していると、近年の彼女の写真を見つけることができる。
私とそう年が変わらないはずなのに、私よりも遙かに年上に見えた。
それだけで彼女の身の上に起きた悲惨な出来事を想像することが出来る。
生きて監獄を出られなかった方々も多く居る。今現在も、監獄の中に囚われたままの政治犯も居る。
クックさんからコメント欄でご紹介いただいたページをここに転載する。
http://www.tibethouse.jp/human_rights/index.html
何が起こったか想像できる、だが、その想像を上回る悲惨な現実があるということだ。

中国四川省で大きな地震が起こった。
心が痛む出来事であり、弔意と共にミャンマーのサイクロン被害と併せて寄付をさせていただいた。
四川省といえば元々チベットの一部が含まれており、チベット民族も多く住む土地である。
初動対応の遅れからか、被害が深刻化していることも気がかりであるし、非常時で情報が混在しているせいか、チベット民族の動向が聞こえてこないのも気がかりである。