12/14の聖教新聞例の罵倒座談会は、学会の系列学校の事だった。
並べ立てられる「優秀な人材が様々な分野で大活躍、部活はトップクラス」。
……素晴らしいことですよ。
ええ、生徒さん努力なさったんですね。
でも。
いくらなんでも、その手の賛美は過剰すぎないだろうか。
宗教の権威以前に、学校教育の現場である。
学会の権威のために、名門校になることが目的なのか?
いじめが起こらないよう取り組んでますとか、部活を卒業まで一生懸命やりますとか、勉学に取り組んでますとか、ボランティア活動に取り組んでます、とか。
目立つ成績にだけスポットライトを浴びせて学会の権威を誇示よりも、学校教育ならもっと別の視点が必要なんではないだろうかと思うのだが。
大人がそんなふうに過度に煽るのって、どうなんだろうなあ。
多感な時期に、大人から「君たち特別」感覚や、「優秀な人材になってね」という期待を必要以上に背負わされるのは良いこととは思えないんだけど。
もちろん生徒間の競争は必要だと思うし、能力を伸ばすための努力は素晴らしいとも思う。
でもその結果が新聞で学会の誇示に使われるのって、なんというか、生徒に対する褒めどころ?が違うというか、結果が出ていなくても地道にコツコツ頑張る生徒に対する視点が抜けているというか、優秀な結果だけを取り上げて経過をおざなりしているというか、生徒本人を置き去りにしているというか、とにかく学会のためにも君たちは優秀でなければならん!と言うニュアンスがひしひしと伝わってくるというか、生徒の努力に対する結果を組織のプロパガンダに使うのってなんか引っかかるというか、最終的には「こういう素晴らしい人材を育てた学会と名誉会長凄い!偉い!」と言いたいだけちゃうんかというか。
ま、別に生徒さん本人が「学会のために!先生のために!」とか思っているのならいいのだけれど(思わされてるともいいますが…)。

どんが未来部を担当していたとき、その学校を受ける予定の2世・3世の中学生が何人かいたそうで。
その面接の練習をしていたときのこと。
幹部が、今回の座談会の如く「この学校は国会議員が何人も送り出しているからね!」と意気揚々と語ったところ、その中学生の一人が冷静な顔でしれっと「つーかそもそも学会員が公明党議員になってんだから当然じゃないすか?」と答えたとのこと。
どんは吹き出しそうになり、幹部は「まあ、それはそうなんだけど…」と苦笑していたそうだ。
確かに、そういう目で持って見れば、多くが学会員の公明党議員の中における系列学校出身者が多いのは当然のこと。様々な党に属する議員を多く輩出した他の学校とは意味が違う。
かつてを思い出せばすぐ思い当たること。この年代は純粋無垢な存在ではない。
そして意外にクールで、世の中斜めに見てしまう時期だったりする。
十代以上に純粋になってしまっている(純粋を振る舞っている?)学会大人達の煽りを、その年代なりの鋭い目線で見る生徒さんもいるのかもしれない。

座談会を読んで思うのだが、毎度毎度えげつないというか、例え同じ学会員とはいえ様々な立場の人間に対する優しい目線がないというか、庶民とか言うくせになんだかんだで権威主義というか、学会権威誇示のためなら使えるもんはなんで使うというか。
そもそも教育に一番相応しくないのがこの座談会企画だったりするんでないかいなと。
新聞の座談会は、学会員にたいするゲキとかアピールでしかなので、今回も学会中枢部の権威目的な身勝手な期待と煽りでしかないと思いたい。
学校現場でそんな空気が持ち込まれているとは、思いたくないなあ。
何度も言うようだが、「学校教育」、なんで。
教育は優秀な人材を作り出すため だけ にあるのではない。