ワールドカップが終わってもまだまだ続きます。J1再開に、オールスターに、なでしこJAPAN(2006AFC女子アジアカップinオーストラリア兼2007FIFA女子ワールドカップアジア地区予選)。いやっほう(意味不明)

久しぶりに昔の友人から電話がかかってきた。
他愛のない話から話題が広がり、友人の妹の話になった。
最近離婚したその妹さんは、お姑さんに酷くいびられていて。
『そのお姑さんが、なんか変な宗教にはまっててねえ』
「なんの宗教?」
『うーんと、創価学会だっけ』
日本の、一地方の、田舎の、一個人の、働き、夫を持つ、「ノンポリ」だけど、将来がちょっと不安な、20代後半の、どこにでもいる女性の言う、「変な宗教といえば」創価学会
注意:私が言わせたわけではありません。この人は私の夫が学会員であることも知りません。苦情は受け付けません。
「へえ、創価学会」
『じゃなかったっけなあ。なんだっけ、名前忘れた、とにかく怪しい宗教』
その変な宗教は、創価学会ではなかったが、「創価学会」と「変な宗教」と「怪しい宗教」が同じカテゴリにあるという認識。
注意:私が言わせたわけではありません。彼女の認識です。苦情は受け付けません。
広宣流布、がんばればがんばるほど、広がる認識「変な宗教」。
注意:私が言わせたわけではありません。がんばる方法を間違えた結果です。苦情は受け付けません。

そんな小話から派生して、ひとつ。
私の夫が学会員であることは、私の方の友人はほとんど誰も知らない。
親兄弟を除けば、三人、内訳は二世で非活の友人一人と、学会員ではない人二人、そのうちブログをしていることまで知っている人は、学会員ではない二人のうちの一人。
ちなみに親兄弟も私がブログをしていることは知らない。知らせるつもりはない。ブログの、特にしんどかった時期の話を伝えるつもりはないし、彼ら彼女らに余計な心配を与えたくはないし、夫の評判を落としたくもないからだ。
そんなわけで、周りの人は、私を知っているようで、知らない。

とりあえずどんはまだ学会員とはいえ、穏やかな生活を取り戻しつつある今、今更友人に言って一から説明するのも少々しんどいし、言ったところであまり共感を得られるようなネタでもない。
「関わった人しか分からない」ことでもあったりする。
しかも、相手が学会員である可能性だってある。
度重なる「選挙時期における『公明党を応援してるんだけど』というカムアウト」のお陰でこっちは警戒臨戦態勢なのだ。
そもそもどんのことだし人にベラベラ言うことでもないので、黙っているのだが、どんの活動が激しかった時は辛かった。
新婚時期とも重なっていたこともあって、「幸せでしょう」と言われると、とても微妙な感情が心を渦巻く。
もちろん幸せなんですけどね、まあ、いろいろあるんですよ、と。
「ハイ!幸せでっす!」と笑顔で言えたことなどない。
ラブラブでしょって言われたって、ラブラブしたくとも、夫は会館で学会のためにラブラブ着任(笑)してるんだからどうしようもなかったし。
刺さって抜けない棘のごとく、学会はいつまでもつきまとう。
どんが活動から距離を置いても、生活の中に学会は存在する。
どんの言動から学会色を感じる時もあるし、どんが冗談で「学会風言い回し」をするのもとても腹立たしい。
(そういう時は一喝して黙らせる)
人目につく玄関からリビングまで、学会色を消して新聞も隠してしまっても、そこには学会がある。
普段は気にしないでいるけれど、何かの弾みで…例えばテレビをつけると出てる芸能人で思い出したり。
人と話す話の流れで「学会の話」が出てくると変に慌ててしまったり。
「ああ、そうなの」で流せばいいものを、「私は学会とは無関係なんです」を表したいがために逆に過剰反応してしまうのだ。
友達と国立競技場までサッカーの試合を見に行った時も、帰りの電車で「千駄ヶ谷と信濃町、どっちの駅使う?」と聞かれて、明らかに千駄ヶ谷がとてもとても混んでいても「千駄ヶ谷で!」と強調して何も事情を知らない友達との信濃町クエストは免れたにも関わらず、結局方面的には信濃町を通るので目の前を公明党本部の看板が通り過ぎたのを「へえ、公明党ってここなんだ」と何も知らない友達の言葉に過剰反応して、汗ばみながら民主党や自民党の話をしている自分が馬鹿馬鹿しくて馬鹿馬鹿しくて仕方がないったら。
私は嘘がつけない。
と、書くととても誠実な人間に見えてしまうので言い方を変えると、「私は嘘をつくのが下手だ」。
全部顔に出る、誤魔化せない、辻褄あわない、怪しい振る舞いをする等々。
しれっと「へえ、ここなんだ、知らなかった」で済む話だったのに。どれだけ不器用なんだ。
友達になんでも話す必要はないけれど、話していない秘密が、なんだか苦しいし、こんなふうに誤魔化してしまう自分も嫌だ。

私にはどんの信仰を世間に向けて肯定できる技量はない。
人にカムアウトして、いつまでも「旦那さんは学会員」と思われるのも嫌だ。
ぶっちゃけ、後ろ暗いのだ。
「うちの旦那は選挙や折伏や新聞啓蒙で国民の皆々様にご迷惑をおかけする創価学会員でございます!」…と、いう事実が。
その後、言い訳のように「でもね、でもね、うちの旦那さん、私には折伏してこないし、いっぱい財務払ったりしないし、組織がおかしいって言えるし、最近は創価班活動とかも抑えてるしね、ね、新聞だって取ってるけどもう読まないんだから!」と言ったところで、学会員であることには代わりはない。

多分、こういう気持ちは経験のある人しか分からないような気がする。
喉に引っかかった魚の骨、刺さったままの棘、結婚生活における学会は、学会員ではない人間から見たらそんなものだ。
活動を抑えても、気になる。
要所要所で自己主張するので、その時は、ずきり、と疼くように痛む。
バリ活動家だったら、大きな骨で大きな棘で常に強い痛み。

「幸せでしょう」と言われて、ヘラっと無邪気に笑ってみせる私に刺さる棘を、誰も知らない。
…まあ誰しも、大なり小なり棘を刺して生きているような、そうも思うけれど。