どんが勤行するために開いた仏壇に、新たな紙が貼ってあるのが見えた。
「人生の優先順位を考える、NOと言える勇気を持つ」
白い紙にどんの字で油性マジックでデカデカと。
申し訳ない・仕方ない、と言いながらも、どこか当たり前のような顔をして活動に出て行った以前には考えられなかった光景である。
ゲキョゲキョやりはじめたどんに背中を向けて部屋を出る。
なんだかんだとゲキョゲキョやっているが、それでも肩の荷が降りたような気がした。

昨年のクリスマスイブとクリスマス、両日ともどんは家にいなかった。
イブは着任、クリスマスは学会絡みでどんの手違いで。
隣の市の会館にいる仲間に、今日〆切の書類を届けに行くだけだから、すぐ戻るから(隣の市なのに?)、そう言い残して出かけたどんを私は待った。
時間は流れていく。鍋の中のカレーは冷えていく。
そもそもこのカレーはどんが好きだから作ったのに。どんも喜んでいたのに。
ブログを更新してみる。
手元にあった聖教新聞を裂く。ひたすら裂く。
こういう時は八つ当たりに限るのである。
山になった聖教新聞の残骸。それでもどんは帰らない。
ごそごそと残骸を弔いよろしくゴミ箱に突っ込む。
事故にでもあったかと心配になる。電話をかけてみる。連絡は付かない。
クリスマスだからどう、という問題ではなかった。
淋しいとかいうくだらない次元の問題でもない。
こんなことは日常茶飯事でもある。
だが、どんは「すぐ戻る」と約束をしたのだ。
約束を破られた。破るような事態があったという報告もない。
「遅くなる」という連絡ひとつ寄越せばそれで済むことなのに。
好き勝手に暮らせる独身ではないのだ。妻という人生の途中まで他人だった人間と暮らしているのだ。
そんなに学会を優先したければ、最初から女子部と結婚すれば良かったのに。
「生活圏内の周囲を学会家族で固めるのは息苦しい」などと勝手なことを言って学会員ではない人間を伴侶に選んだ癖に、せめて連絡するくらいのフォローは出来ないとでも言うのだろうか。
要は甘えているのだ、この男は。許されるとでも思っているのだろう。
信仰のためなら人に迷惑をかけることは構わない(気づかない)、どん自身が嫌がる学会員クオリティは、どんの中にも根付いてるようだ。
本人は何も気づかない様子だが。
いつまでこっちが尊重してやらねばならないのだ。
夫婦で楽しむ、絆を育む時間を何回学会に差し出してやったか。
一年間、押し込めていた感情が沸々と沸き上がる。

結局、どんが帰ってきたのは10時近くになっていた。
ひたすら謝るどん。
とりあえず、状況を説明させる。
「書類を届けるために会館に着いたら会合開始直前。目当ての人間は会合に参加する予定らしい。渡してすぐ出てくるつもりが、書類を忘れた事に気づき(←教学試験を忘れた片鱗が既にここで)そうこうしているうちに会合が始まってしまい、出られなくなり参加するはめに、いや、わざわざこんな日に会合やった幹部は当てつけだろうけれど、とにかく連絡も出来ない状態で、で、いろいろ手伝ったりで、終わってから隣の市から帰ってきたこんな時間に」
その説明を、「バカかあんたは」で一蹴する。

その後は大説教大会である。
今でも生々しく思い出せるが、説教というよりも、半ば最後通告のようだった。
「すぐ戻ると言いながら時間のかかる隣の市に行くのはどういうつもりだ」
「持っていくはずのものを忘れたってどういうことだ」
「忘れたのなら、会合には参加せずに無理矢理にでも会館を出れば良い」
「こっそりメールするくらい出来るだろうに、考えも及ばなかったのは最初から連絡を入れるということさえ思いもしなかったからではないか」
「この一年、学会が関わると全てが散々だった。
 こんな調子でいつまでも尊重されてると思うな。尊重できる許容範囲を越えている。甘え過ぎじゃないのか?」
「普段から信仰がなんだと偉そうなことを言っておきながら、この様は何」
「迷惑をかけないといいながら、大迷惑をかけている」
「私は学会員であるあんたの活動を支える義理は全くない。
 自由には責任が伴うんだから、信教の自由を言うなら自分で責任取れ。
 関係ない私にどれだけ迷惑かけたら気が済むのか」
「いろいろ気を付けているのはわかる。それでも余りある学会なのもわかる。
 でも気を付けてもマイナスの要素があまりに多い」
「責任だかなんだか知らないが学会の用事を優先させて仕事減らしたり、仕事を私に頼んだり、
 こんな風に約束破ったり、十分に洗脳されてると思うが。普通の感覚じゃこんなこと出来ない」
「仕事減らして収入落ちてるみたいだけど、学会が補填してくれるわけではない。
 私が働いてるからあんたの収入が落ちてもなんとかやっていける。
 それでも私の稼ぎにも限界はあるのだし、そもそも私は洗脳学会員なんか養うつもりは欠片もない。
 この先もこんなことが続くのであれば考える」
「私が手伝わなかったら仕事に穴開いていた。素晴らしき学会員の皆様が何か助けてくれたか?
 みんな大変かもしれないが『今が踏ん張り時です』なんて精神論ぶちまけるだけで、何もしていないじゃないか。
 それどころか用事を回してくる奴もいたし、着任の代行をあんたがかぶった時もあった。
 あんたを助けてるのは学会じゃなくて私。学会員でもなんでもない、ただの人の私。
 それでも助けてくれた人間に迷惑かけて、学会活動続けるのか」
「私とあんたを繋ぐのも、夫婦でいる理由も愛情と信頼だけ。
 それが無くなるようなことがあったら、私はあんたと一緒にいる理由なんかない」
「これ以上は一時のことだけでも許せない。この先も役職があって、壮年部になっても役職持って、
 死ぬまで続けるつもりなら、あんたとは人生設計が立てられない。あんたとはやっていけない。死ぬまで一人で学会に尽くしてろ」
「結局、学会のお偉い活動とやらは、周囲の犠牲でもって成立している。
 自分が犠牲になるのは勝手だが、身近な周囲を巻き込んで、世間様にも散々迷惑かけて、
 それで偉そうに『責任ある任務』とか『世界平和』とか、しかも『誰にも迷惑かけてない』みたいな顔してる奴もいる。
 はっきり言って学会も、学会員のしてることも茶番」
「自分だってもうヘロヘロになるまで活動して仕事も犠牲にしてるのに、それでも学会に囚われるのは洗脳されてる証」
「良識派ぶってるけど、今回するべきことを思いつかずに状況に流されたのも、洗脳されてる証」
「とにかくもう、うんざり」

着任ではなかったが、どんのズルさが良く見えた。
許してもらえると思っているから、こういう甘えた行動が取れるのだ。
今までだって、申し訳ないといいながら、私の我慢に甘えて活動していたわけだ。
疲れただなんだと学会への不満を言いながらも、結局学会活動に出かけていく姿を見るのがバカバカしかった。
もう、許すつもりはなかった。

食事の支度をしながら、それからダイニングテーブルについても、言葉を放ち続ける。
どんがどれだけ傷つこうがいたたまれなくなろうが、構わなかった。
私は可能な限り尊重してきたのだ。だが、仇のように返された。
仕方がないことではない、多少強引でも、その場から去ることはいくらでも出来たのに。
ずるずるとそれをしなかった。そして約束を破った。
これは決定的だったのだ。
どんに言っているのか、学会に言っているのか、この際どうでもよかった。
とにかく1年間貯めた物を、文章ではなく言葉で吐き出したかった。
淡々と話していたのに突然泣き始めたり、突然激昂する私に、どんは黙ったまま。
「俺には尊い任務が」とほざけるほど染まってはいないらしい。
そもそも言い訳をするだけ逆効果だということは分かっていることだろう。
何よりも、今まで見た事のない妻の姿だったかもしれない。
私自身、人に対してここまで怒りを剥き出しにしたことはなかった。
沸き上がる衝動を堪えるつもりもなかった。
そもそも最初から我慢する理由はなかったのだ。
どんは唖然として私を見ていた。

「学会辞めるか、離婚するか、どっちかを選べとは言わない。でも、もうこれ以上学会を許容するつもりはない。
 どうにか手を打って貰わないと困る」
私の言葉に、冷めたカレーを前にどんは頷いた。


下へ続く