熱帯魚の水槽の中でスネールが共食いだか交尾だかなんだかをはじめている。
気味悪くも目が反らせず、ぼんやりとそれを見ていた。
「あのさあ」
背後から、どんが呼ぶ。
どんは、まるで世間話をするかのように続けた。
「今、人事の季節なんだけど」
何の、と聞くまでもなく、あの組織のことである。
「上の人に言っておいたから。今の役職が終わるけど、新たな役職は受けられませんって。仕事にも深刻な影響を与えているし、もうこれ以上生活や仕事を犠牲にすることはできませんって」
振り返ると、どんの背中が視界に入る。リビングの床に聖教ではない普通の新聞を広げて読んでいる。
そのまま、世間話の口調でどんは続ける。
「返事はまだ保留にされてるけど、上手く行けば来年から、1ヶ月に数回とか、普通に着任するだけの立場になる。それでそのまま壮年部になると思う」
役職を離れると今までしてきたような、会合の仕切や、任務の手配や代行や、責任のあることから雑用まで、とにかく時間を奪われてきたようなことはしなくてもいいんだよ。
そう言いながらもどんは、私に背中を向けたままで、表情は見えなかった。
「返事は保留中でしょう?もしもさ、それを許してもらえなかったら?」
その背中に問いかける。
「…自分の感情に忠実に生きて良いって、結婚してから思うようになったよ」
答えとも取れない言葉が返ってくる。
「俺さ、自負があるんだよね。俺は組織に貢献したっていう自負がさ。引き留められても『もう俺は十分やったでしょ?』って胸を張って言えるし、ましてや後ろ指さされる覚えはないし」
曖昧な言葉で明言を避けているように見えるが、その言葉の中にちらりと見える決意。
はっきりと上の幹部に意志を告げたということは、それが揺らぐことはないのだろう。

「このままなら、俺は学会に食い尽くされる」
着任から帰って、どんはそう言うようになった。どんの仕事場の机の上には手がつけられていないままの仕事がお決まりのように置いてある。
その頃のことだ。どんは同業の人々が集まっての仕事の成果の展示会も兼ねたパーティーに出かけた。
そして落ち込んで帰ってきた。
自分が短納期の仕事を数こなし、時間を作って創価班の活動にかけずり回っている頃、同年代の同業者はじっくり腰をすえて仕事に取り組み成果を出している姿を目の当たりにしたというのだ。
業界では有名になりつつある人、他県へと仕事の幅を広げている人、会社を興している人。
もちろん、皆さんが順風満帆だったわけではなく、それなりのご苦労をされていた様子だったそうだが、その苦難を乗り越えて今の成功を掴んでいたと。
「なんだったんだろうね。…いや、今までが無駄だったなんて思わないけど、でも」
そう呟いたどんは、それ以後、仕事のスタンスを変えはじめた。
活動のために融通の利きやすい短納期の仕事を減らし、その分じっくり取り組み質を要求される仕事を受ける。
この先、この仕事でどういう結果を出したいのか、職業人としての「欲」を表に出してきたのだろうか。
「欲」を発揮できるチャンスを、学会活動でダメにしてしまったのを何度か見てきた。
両立させようとしても、譲らないのは学会。
その時、活動を選んだどんの自業自得なのだが、活動を選ばざるを得ない状況があったことも事実だ。
生きていくためのお金が手に入るのなら、職業人としての「欲」を割り切って抑えているようにも見えた。
ふと、どんが友人の事を語ったことがある。
「学会の友だちで、大企業に勤めてた優秀な奴がいてね。で、学会職員に引き抜かれてさ。結局、その能力が生かせないで、今もこんな地方の会館で職員のままだよ。それに他の創価大上がりで学会以外の社会を知らない他の職員と合わなくてね。そりゃ選んだのは本人なんだけどさ、優秀だからって闇雲に職員に引き抜くって、違うと思うんだよ。才能が生かせる分野ってあるのに…学会の中が一番だって思い込んでるよね、上の幹部って」
その時私は、同じことがあんたに言えるよと、言ったように記憶している。
学会の中が一番だと上が思っているから、仕事よりも学会を優先させようとするんだよ。
でも創価班ではなく、仕事でこそあなたの能力は生かせるのに、と。
どんは困ったように笑ったが。

軟体のスネールが組んずほぐれつに絡まっている。食っているのか、交わっているのか。
何かを象徴しているようにも思えたが、考えるのを辞めた。
どんの決断を、薄々感じ取ってはいたが、いざ「行動を起こした」旨の言葉を聞くと、驚くほど実感がわかなかった。
「普通の創価班になったり壮年になったりしたら、時間に余裕が出来て、座談会に出なきゃいけなくなるんじゃない?あんたが地区の座談会で灰汁の濃い婦人部と上手くやれるとは思えないけれど」
地区幹部でありながら妻を折伏しない男子部どんを、地区の婦人部達はよく思っていない。
創価班に手を取られ、座談会に出られない事に関しても一言もの申したいらしい(座談会まで出たらどんは仕事出来ないっつー話よ)。
どんから後で聞かされたのだが、地区の婦人部の間で私に関して無責任に噂が立ったことがあり、それを耳にして心配をしたパンプキンお届け婦人部Eさんが真偽を確かめに来られたこともあったらしい(パンプキンお届け事件に関しては困惑したが、婦人部が私に関する無責任な噂を立てていた事に大変お怒りになられたそうで…ありがとうございます)。
「そうだろうねえ、まあね、そんときはそんときでね」
そうは言われても、役職降りても次々と問題が起こるのも困るのだが。
学会と関わり続ける以上、一生、嫌、一生を終えても心配は尽きないんですけど。
決心に水を差すのも良くないだろうと、私は黙っておくことにした。
問題が起きて、学会がどんを失望させるなら、それはそれで良いのだ。
『よく決心してくれたわね!』と言うべきなのだろうが、私のためだけの決心ではないだろう。
どんの身やこれから先の将来を見据えての決断でもあるはずだ。
一年間、切々と訴えかけたことだけが理由ではない。やはりどん自身が身をもって痛感したのだ。
「このままなら、学会に食い尽くされる」と。
どちらにせよ、喜ぶべき発言なのだろうが、あの組織だし、完全に辞めるわけでもないし、と思うとやはり不安は尽きない。
どんは学会性善説で、私は学会性悪説だから、私くらいは警戒しておいて良いだろう。

スネールを観察するのをやめて、窓を見る。
雪がしんしんと降り積もる。暖房の音と、どんが新聞を捲る音。
着任も役職の用事もない休日。
これが日常になる日が、近くまで来ているのかもしれない。

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きっこさんの「きっこの日記」をここにリンクしておきます。
http://www3.diary.ne.jp/user/338790/
今までもきっこさんは一連のマンション・ホテル偽造建築事件について、いろいろ書かれていますが、12/18分、12/19分の日記は是非に読んでいただきたいです。

何かご都合が悪くていらっしゃるらしい自民党・公明党によって、事件関係者の証人喚問・参考人招致が終わらされようとしていますが、まだ何も解明されていません。
そしてそれは地震大国日本で誰かが建てた建物に住んでいる以上はうやむやにして良いことではありません。
私たちは非力な国民ですが、インターネットで情報を得ることが出来ます。
その情報を広めることが出来ます。
今まで、大きな権力の下にいろんなことをうやむやにされてきました。
自分たちの寿命を続けることになっているにも関わらず、それに抗うことが出来なかったように思います。
私たちは非力な国民ですが、非力ながらもノーと言えることは出来るはずです。
例え非力で名も無き「ノー」が、たくさん集まれば、何かが変わるのではないかと思うのです。