チェックアウト。もう、要潤似の笑顔の彼はいない。寂しいことである。
今日は新撰組関係の史跡を見て、嵐山へ移動する。
まずは京都駅。何をするかというと、京都の土産を買い倒し、デリバリーサービス窓口で、日にち指定で我が家へ配達手配。それから荷物も嵐山の宿泊旅館までデリバリー手配。便利だ。ああ便利だ。「黒おたべ(黒ゴマのおたべ)」も「八つ橋クランチ(八つ橋を砕いて抹茶チョコでまとめたもの)」も地ビールも漬け物も帰ってからのお楽しみ。

そういうわけで身軽な体で西本願寺。さりげなく世界遺産、そして修復中。
どの仏教とてスタートは新興宗教。百年千年たてばスタンダードな大衆宗教になり、その歴史ある寺院は当時の建築様式の貴重さ、美しさを持ってその国の文化財となり人類の財産となる。
外国の人も他宗派の人も、その美を見学に来る。そういうものを今回の旅行で見てきたのだが、何が言いたいかといいますと、学会の会館は文化財にはならないだろう、と言うことです。
宗教を起源に芸術や建築などの文化が成長してきた事実があるが、……ねえ。うん。
うーん。どこぞの宗教は、ねえ。とはいえ、現段階、芸術の成長期は既に終わり、今は細かな枝葉に別れての発展期。現在のどの宗教も、信仰者個人の表現に影響を与えても、ルネサンスなる大きな波は起こりにくい時代ではあると思う。うん、でもルネサンスって言葉が大好きなどこぞの宗教を美しいとは思えない。
で、西本願寺。今まで巡ったどの寺よりも信徒さん率の高い中、そろっとお参りして(くどいようだが私だけ)そろっと唐門を見て、新撰組屯所跡太鼓楼を見る。聞けばこの当たりにもポツポツと縁の史跡があるらしいのだが、これは例によって旅行記を書いている最中に知った情報。ふふふふふ。はははは。
西本願寺は長州藩懇意の寺だったということで、その牽制の意味も込めての屯所だったとのこと。その狙い通りかどうかはわからないが、大暴れだったそうで。
新撰組は壬生からこちらに移動だが、私たちはここから島原経由で壬生へ。徒歩で島原を目指す。
今は古い味のある商店街のそこは日本最初の花街。とはいえ春を売るところではない。
置屋から太夫や芸妓を呼び、料亭にあたる揚屋で宴を催す。芸を楽しんだり、歌を詠んだり、サロン的な場所でもあったという。
大門をくぐると、まず置屋の「輪違屋」の外観を見学。中には入れない。現在営業中!
現役の太夫さんがいらっしゃるそうだ。趣ある建物である。おそらく昼より夜の方が映えるはずだ。
その足でとことこと「角屋もてなしの文化美術館」へ。かつての揚屋だった角屋は今は史跡見学兼美術館。揚屋建築の唯一の遺構とのこと。
私たちが訪れたときは美術館スペースでは所蔵の螺鈿の調度の公開をしていた。
2階建ての建物で、2階の見学は予約制。例によって事前の下調べが足りない私は1階のみの見学。てやんでい。
どかーんと広い台所、どかーんと広い広間、どかーんと(当時の民間の料亭にしては)広い庭に、どかーんと茶室がいくつか。これを揚屋建築というそうで、どかーんと大雑把に説明。
なかなか興味深いので(説明しきれないので)詳しくは「角屋保存会」で検索&公式サイトへゴー!
定期的にガイドさんの説明がある。平日昼間、客は私とどんだけで、広間で庭を見ながらガイドさん二人占めで説明を聞く。日当たりが良く心地よい風が吹き抜けるこの場所のこの広間、実は新撰組の芹沢鴨が最後に宴会をした場所。彼はその後、屯所の八木邸にて寝込みを襲われ暗殺される。
さてさて、私たちは角屋を後にして、その八木邸のある壬生を目指す。途中の和食レストランで昼食。うどんとまぐろのネギトロ丼を食す。炭水化物の組み合わせ。
腹を満たしたところで、バスで壬生寺付近まで行く予定がまたしても(私が)路線を間違え、途中下車の後、タクシーで壬生寺へ。もちろんどんには文句は言わせない。

どーーんっと壬生寺。老人ホームが近くにあるらしく、ご老人達が、のほほんとひなたぼっこ中。
お参りを済ませ(私だけ)境内の中の壬生塚へ。池では亀が折り重なって、のほほんとひなたぼっこ中。ただし、日が当たるのは一番上の亀だけ。
壬生塚には近藤勇の胸像や遺髪塔、芹沢鴨や平山五郎の他、隊士達の合祀墓と三橋美智也の『あヽ新選組』の歌碑もある。
にしても。芹沢鴨的にはこんな近くに近藤勇像と遺髪塔は、穏やかではないような気がしなくもない。
さらに徒歩で八木邸へ。
和菓子と抹茶の接待とセットでの内部見学。現在でも子孫の方がお住まいのお宅なので公開は一部のみ。ガイドの方が説明してくださる。
さて、芹沢鴨が襲われたこの場所には、芹沢鴨がつまづいた文机や刀がひっかかった傷などが現存している。ガイドさんが流暢な語り口で新撰組のことや、その暗殺事件のことを語られるのを、どんも真剣に聞いている。
それから、とことこと徒歩で旧前川邸。こちらも現在お住まいの方がいらっしゃるため非公開で外観のみ。門の所で50円の見取り図を購入(購入というよりは、何かの募金扱いのお礼の見取り図だったような)。隊士の落書きのある場所や拷問した部屋、山南敬介の切腹した部屋などが示されている。
にしても、歴史ある場所を維持したり、品々を継承したりするのは、大変なんだろうな。
そういう方々のご配慮やご尽力で、歴史的価値のあるものが現代に残され、私たちが見ることが出来る。この旅行の全行程がそういう場所ばかり。もちろん維持のための入館料や拝観料を払うのは見学する側ではあるが、料金以上の維持の為の尽力があると思う。

さて、ここで京都中心部とはお別れになる。さよなら京都。楽しかったし美味しかったし足が痛かったし、とにかく良かったよ京都。心と目と舌が肥えたような気がするよ。体は肥えてないよ。
新撰組隊士の墓のある光縁寺前小路を通り、徒歩で京福嵐山本線の四条大宮駅を目指す。
そう、徒歩で。今日もまた歩き通しの私たち。ずっと歩いている。
駅の近くに来たとき、そんな私の目に飛び込んだ看板。
「マッサージ」
これよ!!なんだか看板のデザインもアロマな感じで、小綺麗な感じで、いい感じ!
「どんよ」
「何?」
「これに行くぞ」
「え?」
何故かちょっと渋る(初めての店は苦手なのか?)をどんを引っ張り店内へ。
膝から下と足裏の30分ほどのコースを選ぶ。
極楽でしたね。本当に疲れている時にマッサージ。キます。
惚けながらサービスのそば茶を頂き、すっきりした足で外へ。
「むくみがとれた!」と、どんは嬉しそうである。

京福嵐山本線、四条大宮駅から一路嵐山へ。既に時刻は夕刻。車窓に流れるのは日常の暮らしの風景。ここだけ切り取ると、歴史の街京都も、私達の住む街とは変わりない。どこに行っても沿線の家々の並びは普遍的で、もしかしたらこれも、現代の日本の原風景かもしれないと思ったりする。
そんなこんなで、私達は嵐山に到着。建築家デザインだったはずのこの駅の利用は二度目で、トイレの洗面台が私は好きだ。さておき、ここでもまた足を労る。
この駅には足湯が!手ぬぐい付き足湯入浴券を買って、ほやーんと足を浸す。酷使した足を突然労り出すご主人に足も大喜び。
足湯から出ると、通りをブラブラ。今日はもう特に観光はしない。買い物をしたり商品を眺めたりしながら旅館へ。
チェックインをすませ、部屋へ通される。角部屋フォーーーーー!眺めがいい。しかしひとつ残念なことが。
近くのオルゴール館から大音量で流れるJポップのオルゴールCD。
眺めがいいわけだし、川のせせらぎや風の音とか聞いていたいんだけどなあ。
残念な気持ちだが仕切なおして、早速お風呂。嵐山温泉である。ぬめりのあるお湯。
平日ということで人も少ない。
途中からは貸し切り状態。
しっかり体を伸ばして解して、露天風呂へ。壁を隔てた男湯からは、例のJポップのオルゴールCDの流れる合間にどんとおぼしき間の抜けたため息。
声をかけようかと、銭湯チックなことを考えてみたが、やめておく。
1時間近く堪能して、浴衣に着替えて風呂を出ると、どんが休憩室のマッサージチェアに揉まれていた。
「あんた、露天風呂で間抜けな声を出してたでしょ」
「俺じゃないよ」
「あれ、そうなの」
「俺の他におじさんがいたけど、その人」
「……」
声をかけなくてよかった。

部屋食でござる部屋食でござる。ということで仲居さんが一品づつ運んでくれる料理に身悶え。
お父さんお母さんごめんなさい。華は贅沢をしています。宝くじが当たったらご招待します。
この数日、良い物ばかり食べている。胃は恐縮しつつも、精神的には大満足である。
ただ、こんなステキな食事が明日で終わると思うと、悔しくて悲しくて仕方がない。
そう、旅は明日で終わるのだ。明日の夜には、嫌でも創価が絡んでくる日常が始まるのだ。嗚呼嫌だ嫌だ、名誉会長って誰?
悲しがったり悶えたりしながら、食事は進む。
どんはしんみりしながら食べている。
「華ちゃん、お金貯めてまた来ようね」
そうなのだ。この旅は、披露宴も挙式もせず写真だけ撮った(その割には豪華な写真集が…)私達の手元に残った親族ご一同様からの祝儀やら結婚資金やらが軍資金の旅なのだ。半分、お世話になっている皆様プレゼンツの旅でもあるのだ。
つまり、お金をガッツリ貯めなければ出来ない旅。
「じゃああんた、学会活動にかまけてないで働けよ」
「……はい」
私はそもそもがフルタイム勤務サラリーマンデザイナーなので、これ以上の仕事量は物理的に増やせはしないし給料は固定だし、節約系(もしくは条件の良いところに転職するか、とはいえこの業種で望み薄な話でもある)のお金の貯め方になるが、自営のどんは仕事の領分を浸食してくる学会活動を無くしてしまえば、ぐっと利益は上がっちゃうのである。
拝金主義と呼ばれようと、霞を食っては生きて行けぬ。綺麗事じゃないのよ人生は。
ちなみに、料理は卵の黄身を生のまま固まるまで醤油か何かにつけ込んだものと、ローストビーフが美味しかった。きゃほきゃほ?!

いつの間にかJポップオルゴールCDの音は止んでおり、布団を敷いてもらってゴロゴロする。
どんは持参した司馬遼太郎の文庫本を読んでいる。
場所が変われど、していることは変わりない。非日常の中にも存在する日常。
こうして私とどんは老いていくのだ。
隣を見るとのほほんと本を読むどん。小憎たらしいので、頬を抓ってやった。
言っておくが、これは断じてDVではない。スキンシップだ。


お断り:写真は後日アップします。