常々思うのだが、どんを送り出すことで、私は結果的に学会の片棒を担いでいるのだ。と、着任に出かけていくどんを見ながらむなしい気分になる。
憲法はどんの信仰の自由を認めている。
その信仰を仕切る団体は、素敵に灰色。
そんな灰色の団体は、役職を与え責任を課すことで、どんの仕事をかきまわし、私との生活をかきまわし、どんの時間と体力を奪っていく。
例え、どんが気をつけても、杓子定規には事は進むわけじゃないし、容赦なく用事を言いつけてくる。
何が巧いって、あくまで「強要なんてしてないよ?、どんくんの責任感が強いからだよ?」というスタンスでいるところである。強要してる空気はプンプンなんだけど。
心配だったらありゃしない。ありゃしないんだが、伴侶が心配だからと言って「行くな」と監禁までするわけにはいかないわけで。「行く」と言われれば送り出さないといけないわけで。
でもそれがどんを追いつめることになる。じゃあ自発的に考えてもらうしかない。
なので「人材グループで心を壊した人がいるよ。もう少し考えられないかな。組織にいなくても、信仰があればいいでしょ?」いただいたコメントや他のブログで読んだことを話してみる。
そんなこんなで、なんとかアプローチしてみるのだが、『役職の責任』を刷り込まれたらしいどんの耳には届かず。
というよりも、届いてはいる。気づいてもいる。そりゃこの1年で自分の地区や隣の地区に心を病んで活動を休む人が何人か出てきているのである。ついに耐えられなくなり、引っ越し先も告げずに、去った人もいるのである。
それなのに自分の健康な将来の為でもあるにも関わらず『責任を放棄する』ということがどうしても出来ないらしい。それをマインドコントロールと言う。多分。ま、確かに、責任って放棄しづらいものだが。
組織から与えられる役職・役割。それらは危険を伴う任務にもかかわらず、無償。責任とかやりがいとか感謝とか信仰とかパンとジュースとか、そんな言葉(とパンとジュース)で組織につなぎ止められるもんかいと思うのだが、夫が見事につなぎ止められている(別にパンとジュースでつなぎ止められているわけではない)。使えなくなったら、学会は「休みなさい」と優しい言葉をかけてポイッと休ませれば良いが、その後の面倒を看るのはアタクシ。
妻であるこの ア タ ク シ 。
この細腕少し(少しよ、少し)脂肪が揺れる腕で働いて、どんの面倒を看るのである。
それを告げたとき、どんは「そうだよね…」と項垂れた。でも報いることは出来ないらしい。それをマインドコントロールと言う。
「そうなったら俺を捨ててもいいよ…」
喧嘩の時にポロリともらしたどんの言葉に激昂する私。酔ってるだろ?お前さん、自分に酔ってるだろ?そんなこと出来るわけないだろうが!!私はアンタの妻じゃボケ!!と、私に恫喝されて、さらに項垂れた。
どんの体を思ってのアプローチさえも、どんを追いつめる。
じゃあ、私が我慢をし続ければいいのかというと、それは私の心と体に悪い。相当悪い。我慢も続かない。
で、定期的に爆発する。が、その爆発さえもどんを追いつめる。
なので我慢する。でもどんが心配なのは変わらず。ついつい、口に出してしまう。どうすることも出来ないどん。また我慢する私。どんも我慢する。学会遠慮なし。また爆発する私。以下ループ。ラビリンス。スパイラル。エンドレス。デンジャラス。ヘルプアス。

一体どうしろと?

結婚してこのブログを始めた当初は「夫が学会にいたいという気持ちを尊重して」とか思っていたけれど、甘かったね。こんな酷いとは思わなかったね。
舐めてました。学会様、スミマセン。ベロンベロンに舐めきってました。
来月、ブログ一周年。この一年で、「夫が学会に居続けたら、夫が壊れる。しかも学会はその責任を取らない。夫は学会の無償で使える駒でしかない」んだなあということが、実生活を通して分かった。よーーーーく分かった。我が家の場合ね。
役職もなくて創価班でもなくて、一般学会員だったら、「学会、ここおかしいんじゃないの」とツッコミつつも、「尊重し続けること」が可能だったかもしれないが。
お互いの気持ちを尊重しあおうとしてもね、そういう気持ちさえも巧妙に踏みにじっていく団体があるんです。あ、創価学会って言うんですけれど。知ってる?
そもそも。私が持っていた「尊重したい」という気持ちを踏んで汚していったのは、学会のほうだから。

学会指導で、「自分の信仰の姿を見せて、納得してもらえ」というのがあるらしいのだが。
一年365日隣で密着取材させていただいた結果。
「どんが学会に消耗されていく姿を見て、アンチ学会度が倍増した」
どんはお気楽な部分が残っているので、「アンタの信仰の姿を見て、ますます学会が嫌になった」と言うと、「えええぇ!!!」と吃驚した顔をした。
そんな驚いた顔をわざわざしたって、わかってるだろうが、お前さん…。
でも、実際のところ、どんも疲労を自覚している。役職と仕事と激動の数年。
どんのために、うんうんと話を聞き、ご飯を作り、でもどんは活動に行ってしまうのである。
むなしい。これはむなしい。それでもって、また上に戻る。

一世でこれですから。
どんの上を行くバリのご家庭・また二世三世さんのご家庭、姑舅がバリのご家庭、本当に凄まじいと思う。でもって、今の私の痛みの何十倍辛い思いをされているのかと思うと、余計に落ち込む。
で、余計に学会に対して怒りが沸く。

どんの場合、「俺は学会の批判もするし、妄信じゃないもんね」という自覚があるだけに、少々タチが悪い。
確かに、世間で言う妄信ではない。違う形では巻き込まれているが、私に信仰を一緒にしてくれとは言わない(そもそも家の中の全てが創価色に染まるのが嫌で外部との付き合い・結婚を望んだのはどんの方)。他宗と接する時も、常識的だ。学会のここが悪い・公明のここがおかしい、自分から言うこともある。
でもね、でもね、口で常識的なことを言っても、学会に関わることで自分の身に降りかかる不利益を払いのけられないのは、どうかと思う。

ラビリンス。スパイラル。エンドレス。デンジャラス。
でも、自分達の身は自分達でなんとかせねばなるまい。特に私は学会員を伴侶にした。
自己責任。つまりは自分のケツは自分で拭くしかない。
光は見えない。ここは暗闇だ。
暗闇の中でどんを支え続けるのは、学会の思うツボ。
疲れて帰ってきた学会員を休ませ、また活動に送り出す。
どんの腕をつかむ、この手を離せば、私だけは光のある場所に出るのだろう。
私には冷淡な部分もある。ふとそうしたい気持ちになることもある。
どんを痛めつけるのは学会なのに、それでも学会ではなく「ふがいない俺が悪いんだ」と学会の罪さえ背負うその行為もきっとマインドコントロールお人好しのこの男を、好きにしろと突き放してしまいたくなる。
どんに養われていない分、実はそれはたやすい。愛情だけで私たちは繋がっている。
でもそれをしてしまったら?この男はいつまでも責任に捕らわれて暗闇の中で自分を痛めつけるだけだ。それもまた、学会の思うツボ。
じゃあどうするか。
「二人でこの暗闇から這い出ること。」
私は無力だ。学会様から見れば、虫けら以下だろう。
学会のことで疲れているのは事実だし、権力はない。しかし粘着質でしぶとく逞しい。
これもまた虫けらのごとく。
せめて、学会の意のままにはならないように。そこから逃れられるように。いつか一筋の光を探し出せるように。どんの腕を掴んで歩き続けるしかない。
意味のないことではないと思う。
暗闇が続くかもしれない。それでも、流した涙の一滴さえ、無駄にはなっていない。
日々の葛藤を、目の前の出来事を笑いに変えてでも、こうして書き連ねることは、絶対に意味のないことではないという、自信が私にはある。
いろんな方に励まされ、支えられ。この一年を通して培った、大切なものだ。
それを糧に、私は光を探して歩き続ける。喧嘩しながらでも、聡明でお人好しで優しい、腹立たしくも愛しい男のその腕を強く掴んで。



駒がひとつ、戦線を離れることくらい、たいした痛手でもないでしょう?
大事な駒でしたら、こんなに乱雑に扱うわけがございませんもの。
いえいえ、所詮、俗物の虫けらの戯れ言ですから、お気になさらずに。ねえ。