旅行記がちょいっとばかり横道にそれて、アンチブログらしいことを。
さて、旅から帰って早数週間。
人間がスッキリした状態から、ストレスや疲労に浸食される過程を体感できた。
あはははは。

お約束の、妄信コメンテーター考。
さりげなく、200,000ページビュー越え記念。
皆様のおかげで、こんな数を出してしまいました。ありがたいことです。
今回のブログを書くにあたり、過去のコメント欄を遡り、ピックアップしてきたのはステキな妄信系学会員様荒しコメントの数々
そう数があるわけでもないが、それでもとりあえず共通する点がある
もちろん、同じ人間が書いているのではない。
違う人間が書いていてコメント内容に似たり寄ったりの共通項があるのだから、洗脳と言われてもいたしかたないのではないかと思う。
むしろ違う人間が書いているのに、同じようなことを書かせる学会には改めて拍手と賞賛を送りたいわけがない。
とりあえず、個別のコメントを取り上げることはちょっと意地悪かなと思うので(わずかな良心)それは控えることにして、分析してみることにする。

●人物像(当たっているかどうかは別として)
1. 若い
2. 2世や3世である可能性が高い。
【そう思う理由】
1-1. 年齢を重ねると(+一般社会に出ると)、自分にそぐわない意見でもある程度流せる。場の空気が読める。棲み分けが出来る。「いろんな考えの人がいる」ということを当然のこととして受け入れることが出来る。それが出来ないということは。
1-2. 礼儀がなっていないから。
1-3. 10代だから?アタシ若いのぉ?という自己申告コメントあり。「若さ」が最強の武器だと思いこんでいる故の発言。みんな年取るし。武器じゃないし。
1-4. オバサン・あばずれ等、妙齢の女性を辱める言葉を書けば、女性(華)が傷つくと思いこんでいる。浅いわねぇ。
1-5. 学会員にも、いろいろな人がいてそれぞれに活動や信仰のスタンスが違う、部によって活動の密度が違う等々が考慮できず、自分の尺度で学会内部を推し量ることさえある。年齢が高い人はその辺は察することができるはず。
2-1. 幼少時より「学会は正しい」という刷り込みがあるために、学会が批判されることは許せない。
2-2. 創価学会が批判される対象であることを知らない。「こんなことを書くなんて、学会員が傷つくとは思わないのか」という発言等、学会員が外部の人間を傷つけているという発想は持っていない。

幼少時、自我が確立されていく過程で偏った思想を与え続けるのは、問題だと思う。
もちろん、全てがそうだとは思わない。子ども個人の資質も関係すると思うが、そうは育てなかった親御さんもいるはずだ。
だが、その一方で妄信的な2世3世が育ち、ネットで暴れているのは事実である。
親の姿がなんとなく見てとれる。
上記のような要素を持った若者を増やしてしまうのではないか。もはやここまで来ると「若いから」という事は大目に見てもらえる材料でもなんでもない。
10代の子どもが自分の意にそぐわないからという理由で「死」を望む。純粋にそれを願っているのだ。それが正しいことだと思っているのだ。
しかし、純粋さを武器にすることは諸刃の刃。若者自身も刺しかねない。
いつか必ず、社会と自分の価値観との大きな差に気づく瞬間があると思う。
その時、恐ろしいまでの純粋さで、どう対応できるのだろうか。

学会関係なく、他人から叱られること・批判されることに慣れない若年層も多いと聞く。「ゆとり教育」の問題も関わってくるのではと思ってみたりもする。それに学会が加わることに、恐怖を感じる。

●文章のパターン(根拠もなく偉そうなのは必須)
A.
まずは哀れみ(学会のすばらしさを知らないなんて)
→真実について語り出す(真実は一つしかないと思いこんでいるらしい)
→このあたりで語気が更に荒くなる(書いているうちにさらに腹が立ってくるらしい)
→学会のすばらしさを語り出す(その素晴らしい学会内部にいるアタシって素晴らしい人間なのよと言いたいみたいです)
→偉大なる名誉会長大絶賛(隣の国のうちの北のほうの話?)
→だんだん自分に酔ってくるらしく、ちょっとポエムっぽくなる。
→「仏罰・地獄へ堕ちる・死に顔・生命が濁っている(人の不幸を期待する人間が濁っているんだよと小一時間)」など細木●子と同じ手口を使う、 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!! 学会お得意の脅し文句登場!
→捨てゼリフ「時間の無駄だったわ(最後まで偉そう)または「不幸になるから入信しなさい」 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!

B. 完全に中傷
C. 小難しい事を言っているけれど、的はずれ。
D. 高い位置から、思わせぶりな事を言う。「俺はあいつらとは違うぜ」と同じ学会員でさえも見下す。
E. 押しつけがましい。「●●するべきです。さもなくば□□になります」一種の脅迫。細●数子と同じ手口。

上記Aは私が書くと、完全に茶化しがはいっているが、いつもコメントをくださるあんころもちさんが、その妄信旋風吹き荒れる渦中の際に、分かりやすい分析を残してくださっている。
(あんころもちさん、流用させていただきます)
-----------以下流用-----------
1.かっこつけて登場
2.根拠無く決め付ける
3.それを前提に批判する
4.どうせわからないだろうと見下す
5.いかに学会否定が悪か、脈絡無い言葉をたたみかけていく
6.トランス状態
7.日本は嫉妬 だから駄目
8.我々は明るい未来、お前は悲惨な最期という脅し
9.高らかに勝利宣言
10.入会を勧めるor呪う
-----------以上流用終わり-----------
実は、これはこのブログに限ったことではなく、他のブログや掲示板(某大型掲示板含む)にもこのパターンに乗っ取ったコメントが書かれているのを見かける。
別に、学会員ネット工作員部隊(あるのか?)が示し合わせて相談して同じような内容を書いているわけではなく、同じ学会員とはいえ、見ず知らずの人間が、同じような思考パターンで書いているのである。
コピーのようなそのコピー元は創価学会。
とはいえ、「アンチ対処法マニュアル」が存在するわけではないはず。幹部指導や会合・聖教新聞の罵倒座談会などに触れることで、その思考の基盤となるものが、それぞれ同じように出来ていくのではないだろうか?(他に思いつきません)

結果、言葉遣いや多少のバリエーションは違っても同じ流れで文章が構成され、着地地点も同じである。
同じ流れではなくても、何かしら共通した部分はある。そういう書き込みが量産されていく。
もちろん全ての学会員さんがそうなるわけではない。そうならない人と、そうなる人、その差はそれぞれの環境や性格などが関わっているのではないのだろうか。

●行動パターン。
コメントの後は大抵二度と来ない。
過去に2名ほど、二度目のコメントを残された方がいる。
一人の方は謝罪の言葉。もう一人の方は遠巻きに「お前さんはアホか」と言い返された後に「若さ」という最後の砦にしがみついた遠吠え。

その場合を除けば、大抵二度目のコメントはなく、二度と読まないという可能性が高い。

【理由】
これは彼らにとっての正義の戦いなのだ。
1.
実際には誰にもダメージが与えられないのだが、ダメージを与えられると思っていることを書き殴っていくという行為が、正義の戦いで、彼らにしてみれば「正義の鉄槌を下した」と満足しているわけで、よもや反論が入るとは思わない。それだけ自分たちは正しいという自信に満ちている。(あらゆる意味で手遅れ)

2.
黙っていられず空気も読めないまま、書き殴ってしまうが、後の反応が怖くて見られない。


●最後に。
とりあえず、この内容は、また機会があればまとめてみたり練り直してみたりするつもりだが、とりあえず今日はこんな感じで。
結果として、妄信コメンテーターがアンチブログで暴れれば暴れるほど、創価学会を貶めているのである。
学会をかばうつもりが、人と話す姿勢も欠片も持たない、高慢で礼儀知らずで正義面して現れた結果、自ら自身の手で学会の首を絞めていることになる。

粘着質だなあ、と自分で自分を分析しつつ。
次に妄信コメンテーターさんが来たときに、また。
来なくて良いけど。