カージナルスの田口選手が、ここに来て絶好調で嬉しい限り。
メディアにも頻繁に取り上げられるようになり、田口日記ファンとしてもとっても誇らしいぞ。
田口選手の日記の最大の魅力は、彼の目を通して見たメジャーリーグとその裏側・地元の様子や個性豊かなチームメイト・人間味溢れる監督の様子が、そして田口選手自身のことやご家族のことが、田口選手ならではのユーモアと優れた文章力・表現力で持って生き生きと描かれているところだと思っている。
いいぞいいぞオススメだぞ。野球も日記も頑張れソウ・タグチ!

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解散前の話だが。
電車に乗っていると、ある駅で、若い女性2人組が乗ってきた。
私の隣に並んで腰を下ろした彼女たちは、疲れたような顔で話し始める。
その会話の端々に聞こえる、耳慣れた特殊な単語の数々。役職名。
お嬢さん達、まさか。
創価?学会?♪
ふと駅名を見れば、会館最寄りの駅。
ほら、見てご覧。
流れ始めた車窓、日暮れの街に佇むビルや民家の隙間からちらりと見えたあの建物は会館のやうだよ。
そしてこのお嬢さん方は、女子部なんだね。

オイオイ、私が引き寄せたのか?私はそういう運命の下なのか?と思いつつ、FM番組の某ウエイティングバーよろしく、聞き耳を立ててみましょうか…、をしなくても、至近距離なので耳に入る学会トーク。
いいのか?お嬢さん方。壁に耳あり障子に羽蟻(出典:究極超人あーる)電車の中にアンチあり。お嬢さん方、隣の女は学会員の夫を持つ学会嫌いの女だぞ?伏兵だぞ伏兵。敵だぞ敵。魔だぞ魔。
学会本音トークかますのは危険だぞ。
そんなことは露知らず、女子部のお嬢さん方はため息まじりに、ついさっきの会合だかイベントだかなんだかの感想を漏らしている。
感想というよりは、ぼやきに近いだろうか。
女の子の一人が、両手の指を折りながら、この夏の学会系のイベントや会合の予定を「あれもこれも」と数え始めた。
私が(おいおい、いくつあるんだよ、あたしゃ既に君が右手の親指を折りながら言った最初の予定、覚えてないよ)と心の中でツッコミを入れ始めたころ、大きなため息まじりに一言。
「ダメ、ついていけない」
もちろん私もついていけていない。右手人差し指の予定も覚えていない。
もう一人の女の子も同調するようにため息をつく。
「さっきはああ言われたけどさ、聖教のお願い、してる?」
「無理。ただでさえ友達少ないのに、無くすじゃん」
「だよね」
こんな出来すぎた話があるのかよ、とアンチな自分でも思った。
学会アンチ妻の横に座った女子部が、学会の不満を漏らしていくなんて。
そんな状況になっているとは露知らず、彼女たちは不満と本音を漏らしていく。
そのうち、話は逸れ、学会とは関係のない話に流れていった。

辞めればいいじゃん、と思ってしまったのは、私が外部で学会嫌いな人間だからだ。
どんにだったら彼女たちの気持ちは分かるのだろう。
自分の身に無理矢理置き換えて考えてみると、今の会社の不満を漏らすことがあっても簡単に辞めるわけにはいかないようなものだろうか。
ましてや彼女たちが二世だったら(その確率は高いだろうが)、学会活動が習慣化されていて、そこから逃れるのは家族との関係もあってすぐには難しいことだし労力もいる。
親が子どもには子どもの人生があることをすんなり認められるタイプであれば、さほど難儀はしないのだろうが。
「ついていけない」と一通りの不満を漏らした後、「でも頑張らなきゃ!」「実証が?」「この信心は?」と前向きなことを何一つ言わないまま、話は横へ逸れていったけれど、それでもきっと彼女たちはこの夏の予定を律儀にこなしていくのだろう。
その時、そんな気がした。
もしかしたら「疲れた」という目先の不満だけで、根本的な疑問があるわけではないのかもしれない。
あっても、口に出さないだけかもしれない。
それは私の憶測でしかないが、彼女たちが「疲れている」のは事実だ。
学会は、自発的に活動する人だけではなく、しがらみと習慣で活動する人にも支えられている。
学会が無くなれば、一気に解決する。が、精神的支柱(支柱であるならまだしも依存相手なら尚更)を失った人々の喪失感は計り知れないものであるだろうと推測すると、そんなに簡単には行きはしない。
続くも災難、無くなるも災難、なんとも業の深い組織だが、どうせ災難なら無くなってしまへゲフンゲフン。

衆議院解散になった時、私は彼女たちのことを思いだした。
この夏の予定は、解散に伴い若干変更が出たり中止になったりしただろうが、代わりに選挙運動が入ってきているはずだ。
外見はちっとも女子部らしくない、イマドキのオンナノコな女子部な彼女たちは、選挙運動をするのだろうか。
それとも、「マジでついていけない」と零しながら選挙運動に励むだろうか。
「マジでついていけない」と、腹をくくって選挙運動を辞めてしまうだろうか。
振り返って思い出せば、私が彼女たちくらいの年齢の時に過ごした夏は、学生だったこともあるが、馬鹿みたいに楽しかった。俗に言う青春の1ページとはこういうことなのだろうと今は思う。
「ついていけない」という気持ちを大事にして、せっかくの20歳だか21歳だか22歳だか23歳だかの夏を満喫して欲しいけれど。
青春の1ページを、組織に言われた活動をして不満を持って疲れた顔で描くのは、つまらなくないか?
二度と会うこともない彼女たちの疲れた顔を思い出して、そう思った。
……ああ、これが老婆心、そして余計なお世話というやつなのね。