自室で坂本龍一の「PURE BEST」のCDを引っ張り出し、久々に聞いていた。
「東風」まで聞き終わった後、飲料水を求めて台所へ行く途中、どんの仕事部屋をのぞいたら、どんも「東風」を聞いていた。但しどんはYMOでレコード。
偶然に驚きつつも、レコードとCDに世代間を感じた昨日の、夕方。
「ピンポーン」
静寂を破ったのは、訪問者の押したチャイム。む?と感じる妖気。
どんが仕事部屋より出てきてインターフォンを取る。
「はい……あ、どうも、はい……はい、お待ちください」
そこに居なさい、と手で制して、どんは玄関先へ、私は牛乳を飲んでいたリビングで身を顰めるも、耳はダンボ。
どこかの婦人部さんのご訪問であった。
えらく申し訳なさそうな声の割に、そこまでさせるか?!というお願い事。
ジャジャーン!新聞啓蒙のお願い。
しかも他県の啓蒙(つまりは他県からやってきたどんに、地元の友達に啓蒙しろということらしい)。
さらには、贈呈の場合は集金が大変だから、その友達にお金を送れ、現金書留だと手間だから普通の郵便でお金を紙で厳重に包めばわからない、私はいつもそうしてるから(贈呈の場合、代金は学会員持ち、現地の販売所に配達の手配をし、お金は新聞を取ってくださる方に送っておいて、そこから払ってもらうということらしい。銀行で振り込めばいいのに)。
明日の夕方までに返事をして欲しい。出来れば3件お願いしたい。
そういうことなんだそうで。
そのおばさまが申し訳なさげなわりにすごいお願いをしている合間に、どんの困ったような相づちが聞こえた。

おばさまが去り、どんがリビングに帰還。
「凄まじいくらい必死だね。お金をわざわざ郵便で送ってまで読んでもらえと?しかも費用こっち持ちでって言ってるんだよねっていうか、あのおばさま、どんに啓蒙した相手の新聞代払えって言ってるわけね」
「おうよ、まあ…贈呈の場合ね」
「そこまでしろと?」
「…まあ、正直、そこまでするのはどうかと思うんだけどねえ。大変みたいで…」
困った顔のまま正直な学会員、どんはぼやいた。
「はい!はい!質問!」
「なんでしょうか」
「どうして他県まで啓蒙しないといけないんでしょうか?」
「………まあ、いろいろとあるからです」
「はい!はい!質問!」
「なんでしょうか」
「友達なくしますよ!」
「…………ううう、うるさいよう」
「はい!はい!質問!」
「なんでしょうか」
「どうするんですか?」
「どうしようかなあ………」
困った顔のまま、眉もハの字でどんは唸った。
どんとて15年以上学会員やっていて、その間、地元の友達に啓蒙のお願いなどとっくにしているわけで、この度で一体何度目のお願いになるのやら。
正直、気が引けるらしい。
「人に勧めるような新聞じゃないと思うけど」
「それは華ちゃんがアンチだから」
「どんだって、先週の一面の韓国SGIの総会の記事の書き方にブーブー言ってたじゃん」
「……そうだけどさあ」
「普通の新聞のほうが、役に立つと思いますけれども。中国韓国寄りなとこや罵倒座談会記事を別にしても、仕事してる人間が読むには政治・社会・経済関連記事の中身が薄いと思います」
「だって、学会の機関紙じゃん
「出たよ?はいはい、そうですそうです機関紙ですから座談会と体験発表と生活お役立ち情報と学会情報とシュールな漫画で十分です。はいはい」
「あ、むかつく!なんだその言い方は!」
「ウヒャヒャヒャヒャヒャ!」
「聖教新聞はなあ、名誉会長からのお手紙なんだぞ!(注:どんの持ちネタである学会自虐モノマネ、妄信学会員さんの真似をしているところです)」
「アハハハハハハハハ!」
じゃれあいとも言い合いともつかないやりとりを暫くした後、
「で、どうするの?」
もう一度問うてみる。
やっぱり、どんは困った顔をした。
「聞きづらいならさ、聞いたことにすれば?」
「そういうわけにはさぁ、あの人、新聞長で啓蒙に苦労されてるわけだし、騙せないよ……」
なんにでも「長」がつくのなら、どんはさしずめ今の役職に加えて「アンチ妻対策長」だろうかと馬鹿なボケを心の中でかましつつも、どんの真面目さが学会につけこまれていることを感じて不愉快になる。

人にもよるだろうが、大人になって友達の数というものは、そうそう増えるものではない。もちろん仕事関係での知り合いは多岐に渡って増えていくものではあるが、そういう人々に向けて新聞啓蒙をしろとなると、酷な話であると思う。
相手がどう受け止めるかわからない。嫌がる人もいるだろう。そもそも仕事場に個人の信心を持ち込み、仕事先相手に勧めることも非常識だ。
自営ならまだしも、会社員は「会社の名前」を背負って働いている。迂闊なことをして仕事相手に不愉快な思いをさせたら……。
とはいえ、取引上立場が上であることを利用して「聖教新聞取ってくれませんか?」
と言ってくる学会員さんは実際に居て、知人の会社では新聞ラックに誰も読まない聖教新聞が毎日セットされるとのことで。しかしどんに、そこまで出来る図太さはない。
となれば、友達に啓蒙をということになるのだろうが、前出の通り「どんとて15年以上学会員やっていて、その間、地元の友達に啓蒙のお願いなどとっくにしているわけで、この度で一体何度目のお願いになるのやら」、そういうことで。
お願いする先のネタも尽きているのに、それでも一層、啓蒙煽り。しかも県外。場合によってはお願いする側の自腹負担まで暗に示唆。
先ほどの婦人部のおばさまとて、おそらくは上の方に啓蒙目標を提示されてのことだろう。遠方のご友人にまでお金を送り、新聞を取って頂くということを、もう何度もされているご様子。
申し訳なさそうなお声にも、迷惑であることも承知の上で、という気持ちが表れているが、実際要求するべきことはきっちりされているのがなんとも。真面目な方なのだろうけれど、どんに言われてもお願いするネタもとは尽きている。
「聖教新聞は啓蒙しづらいから、読みやすい雑誌やSGIグラフを渡す」という学会員さんもいるくらいな聖教新聞。
学会内の人間でも躊躇する内容が、学会外の人間に受け入れられることは難しいだろう。
魅力ある紙面作りをしないまま、啓蒙だけは推進するとは本末転倒。面白い話だ。
どんと結婚して以来、ネタ探しに毎日流し読みはしているが(おおう!俺様って熱心!)アンチだということを差し引いても、毎回同じような内容・同じような特集、最終的なオチは「この信心ってイイネ!」、マンネリ化しているのではないだろうかと感じる。時事問題の特集があっても一般紙と比べて今ひとつだし、唯一、オチが毎回予想できないシュールな4コマ漫画だけが私のマンネリ感を裏切ってくれる位で。
魅力のない製品は、売れない。
社会では当たり前の話だが、学会内では学会員の皆さまの努力次第で、売れてしまう。
流通させる営業マンたる学会員の皆さんが、時に一流のセールストークで、時に強引に、時に自腹で売り歩くから。
ある種の殿様商売か?これ。
いやはや、広告という形で流通に関わる身としては、羨ましいことこのうえないが(嫌味)。

さておき。一日たち、どんに聞いてみた。
「聞いた?」
「聞きました」
「実家は、兄ちゃん(幽霊学会員)が職場の人(学会員)から頼まれて既にとってて、次の友達は断られて、その次の友達は既に頼まれててとってた…から、収穫はなくて、そう連絡しておいたよ」
「…二軒も啓蒙先回りされていたわけですね。どこも必死ですね」
そうなのだ、どこも必死のご様子なのだ。遠方のどんが頼まなくても、近所や知り合いの誰かが学会員である確立はまんべんなくあって、ターゲットにされてしまうわけで。
でも、でも、そんな必死に啓蒙したって、読んでもらわなければ意味がない。
近所や友人・職場関係仕事関係を円滑にさせるために、頼まれたら断らないけど読んでいない人ってけっこういる。前出の知人の会社もそうだし、友人も近所の方から「お金出してあげるから読んで」と言われ、近所さんのおごりで聖教新聞を受け取ってはいるけれども、一度として読んだことなどない!そのまま資源ゴミ!と言っている。
もちろん、体験発表は読むとか、テレビ欄は読むとか、そういう読み方をする方もいらっしゃるだろうし、もっと言えばそれで入会しようという奇特な方もいるかもしれない。
ただ。
目的は、数を裁くことなのだろうか?
読ませることなのだろうか?
数打てば当たるかもしれない。だが、高い確率で当たりが出せるほど質の伴った紙面とはいえないと思う。
読んでもらえていないかもしれないのに、啓蒙といいながら軒数を増やすことに、何か意味があるのだろうか。
数は増えて収益はあがっても、啓蒙先の新聞そのものの扱いに救いが無ければ、啓蒙の意味すらないと思うのだが。
学会(聖教新聞)は収益を上げることが目的で、新聞に携わる学会員さんは「目標をクリアすれば功徳が…」なんて思っているのなら、それはそれでお好きにどうぞ、なのだけれど。

ちなみに、ここでは学会の用語通りに「啓蒙」という言葉を使っているが、「啓蒙」の「蒙」には良い意味ではないので、「啓発」という言葉で置き換えられるようになってきているのだが……ご存じないですかね、学会様は。