寸鉄に「未入会の家族を大切に」と掲載されていた。
大切にされてますか?

●●市 Hさん(学会員の夫を持つ広告デザイナー、20代)
「(鼻水を拭いながら)ええ、確かに夫は創価学会員で…大切にしてくれています。えぐっえぐっ(涙を拭う)でも、でもですね、私達、平日は仕事で忙しくて、ゆっくり過ごせるのは週末だけなんです。ううぅ。でも、その週末でさえも、がっ学会の用事が入っていて、夫は、ふぇっく、夫は出かけてしまって…ズルズル(鼻水を拭う)…夜の時もありますし、昼の時もあります。だから、だから、夜に用事があるからって、遠出が出来なかったり、夕食を一緒に食べられなかったり、昼に学会の会合だかがあるときは、もう、どこにも…。いいんです、いいんですよ。夫の人生ですから。私も好きなことしてます。夫は気を遣ってくれて、いろいろやりくりしてくれています。私も、分かってて、結婚しました。でも、でも、こんなに酷いなんて!結婚前よりも酷くなったんです!容赦なく土日に会合入れるのは学会のほうです。平日も会合の着任や打ち合わせに出てるんだから、週末くらい…週末くらい……ウェェェェェェェェン!」

まあ、散々このブログでも書いているし、今更泣くほどのことでもない。この頃は諦めてもいる。
こっちの生活を省みずに、やれ家庭訪問だ新聞啓蒙だと自発的に出かけていっても困るが、創価班だ着任だ打ち合わせだと出かけていかれるのも困る。引き受けた以上は責任が発生することなので、どんを引き留めることは出来ないからだ。「家庭訪問に行かなきゃ!」なんて自発的に出かけられたら、こっちも大手振って「他人の家よりうちの家庭訪問が先じゃ!ゴルァ!学会のせいで夫婦の危機じゃ!ボケェ!」と引き留めも出来ようが、「それが役目だから、穴を空けるわけにはいかない、大勢の人が困る」と出かけられると、何も言えない。だからデートの約束も夕食の約束も、創価学会様にお譲りさせていただいている次第で。
そういうわけで、「未入会の家族を大切に」とは片腹痛い。
学会員が非学会員の家族を大切にしたくとも、遠慮無く連れ出すのは学会のほうだと思うのだが。
妄信学会員さんが、家族を顧みずに家庭訪問だ折伏だ新聞啓蒙だと出かけていくことに釘を刺しているつもりなのかもしればいが、学会や会合に集まる学会員の安全のために「出かけざるをえない」人材グループの存在は無視ですかそうですか。それで日曜の夜に「ジャンクスポーツ」とか「ビフォーアフター」とか見ながら一人でご飯を食べる私は無視ですかいいですけどね別に。「義経」なんぞ誰が見るか。
家族のあり方や生活パターンというのはそれぞれ違うので、家族は無理してでも一緒に…とは思わないけれど、実際に創価班のどんと暮らしてみて思ったのは、度を越すほど食卓に不在なのもどうかな、ということ。
どん以上の活動家もゴロゴロいらっしゃるので、食事時の365日、父がいないだ母がいないだ息子がいないだ娘がいないだじーちゃんばーちゃんがいないだっていう学会員持ち家庭はざらにあるだろう。(婦人部とか女子部は男子部ほど長時間拘束されないとは聞くが、それでもなあ)
ま、学会様が身勝手なことばかり言うのは、分かり切ったことなので、「未入会の家族を大切になんてアナタが言うなよ( ゜∀゜)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \ / \ / \」ってな具合だが、気にかかるはその言葉、「未入会」
「未ダ入会セズ」という言葉を連想させる「未入会」。なんだか意図を感じるぞ。虎視眈々と「何か」を狙っているような意図を感じちゃうぞ。
学会が「未ダ入会セズ」という意味で「未入会」を使うのならその先には「いずれ入会する」という勝手な期待があるように感じるのだ。それが虎視眈々と狙っているように感じる「何か」。
いやいやいやいやいやそうはさせませんけどね。その期待、一生裏切り続けますけどね。
「未活」にしたって「未だ活動せず」でいずれ活動することを示唆しているような感じがするし。
にしても上手い言葉を使うものである。
その「未」という言葉の端々に、「関わりたくない人をそっとしておいてくれない」学会特有の押しつけがましさを感じるが。
一生学会に入る気が1ミクロンもない私は「未入会」ではないし、活動するつもりはないけど学会員の親や周囲との都合上、籍だけ学会に置いている人は「未活」とは言わない。
言うなれば、「否入会」とか「否活」とか、そういうところだろうが、否定をしても「入会」とつくのも「活」とつくのも、それはそれで腹立たしくもあり、良い言葉はないものだろうか。
ということで、「無関係」
いいですね、強い拒否を感じますね。これいいですね。
そういうわけで、以後、未活や未入会を、全て「無関係」と脳内変換して使うことにする。
「学会とは無関係の家族を大切に」。ね、大切にしてね。

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今月、私の誕生日月なのだが、どんがあれこれ計画を立てているらしい。
さかのぼること数年前、出会って最初の誕生日。
どんが「お祝いに食事を」と申し出た。が、申し出たっきりなのである。店も選ばない、予約もしない。
結局、自分の誕生日にもかかわらず私が自らレストランに予約をした。
もっと間の悪いことに、当日、隣のテーブルで食事をしていたカップルの女の子が誕生日だった。
ほぼ同じタイミングでデザートになったのだが、予約をしたのは男の子のほうで、彼女が誕生日であることを伝えたのだろう。シェフをはじめお店のスタッフが花火を突き刺したケーキを持って現れ、「♪HAPPY BIRTHDAY TO YOU?」歌い始めたのである。
悔しかった。私だって、あんなふうにベタでもいいからサプライズを仕込んで欲しかった。なのになのにこのオトコと来たら、その光景を見て、しれっと「なんかさあ、恥ずかしいよね」………恥ずかしいことでも、私はやって欲しかったんじゃあああああああ!
以後、過度の期待を一切辞めた私は、その後の私やどんの誕生日の全てを私の仕切りで執り行ってきた。
が、不満は溜まる。
この先、男が変わる予定はない。つまり、「ドキドキ」や「ロマンチック」や「気の利いたサプライズ」は、私の人生にはもう二度と起こらないかもしれないのである。
せめてせめて、私の誕生日くらい……ううう………パタリ。
そういうわけで、私が散々、「あんたは段取りさえもしない!」とブーブーブーイングをし続けた結果、どんがついに腰を上げたのだ。(拍手)
が、慣れていないのか「アレ買ってあげる?」「どこそこのレストランにしてあげる?」と手の内バラしまくりで、どんが「サプライズが楽しい誕生日」の意図を理解していないことが明白になってきている。
それはいいです。あの段取り嫌いなどんが私のために計画を立てる、それだけで十分嬉しいです(麻痺してる…)。
が、最大の問題が。
私は既にカレンダーをチェックして、ある事に気づいている。そして私の誕生日祝いが今年は当日不履行になり前日か翌日にずれることを予測している。
が、どんは気づいていない。
私の誕生日がある曜日は、毎週、創価班の打ち合わせが入っていることに。
例外がなければ、誕生日当日の夜もおそらく打ち合わせが入っているはずである。
どんは、いつ気づくだろうか、その時一体、どうするのだろうか。オーホホホホホホホホ!(←鬼嫁)