JR福知山線脱線事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
亡くなられた方の「日常」が新聞やネットの記事で描かれているのを読むと、またテレビで遺体安置所の体育館で打ちひしがれる遺族の方や告別式の様子を見ると、その「日常」がある日突然終わる(たまたま乗り合わせた電車の事故によって終わらされる)不条理さ胸が詰まります。


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ブログのカウンタが30,000ヒット越えていた。(ご来訪の皆さまありがとうございました)
と、いうことで、きりのいい数字になったらやってみようと思っていたことを実行した。
突撃!隣の学会会館!隣じゃないし、晩ごはんもないし。
といっても、別に中に入るわけではない。着任しているどん(七三&スーツver)を見に行ってどんなことをしているのか様子を伺おうという、すごくくだらない企画である。

決行日はどんの着任の日。
会社の帰り、会館のある方角に向け私は自転車を漕いでいた。
一度も行ったことはなく、ネットで住所と地図を確認しての出発。頭の中の地図と照らし合わせながら、どこだどこだと探していると、あっさり見つけた上にどんにも見つかった。
ので、そのまま通り過ぎた。

企画倒れ。
…。

込み入った昔ながらの住宅地にある地区の会館の前の道路は凄まじい交通量だった。しかも道幅も狭い上に緩くカーブしており見通しも悪い。
その交通量の中で、会館前に車で乗り付けたり、タクシーが客待ちしたり、危険極まりないのである。
その中でどんは、七三&スーツに赤い誘導灯を持ち駐車場入口に立っていた。

以前、無報酬の創価班にせめて保険だけでも用意してくれという主旨のブログを書いた。
実際に行ってみて、やはり保険を導入して欲しいと思った。
どういう種類の保険になるのかわからないが、あれだけ大きい団体なのだから、着任中に起こりうるトラブルや事故に対しての手頃な保険のプランくらい、保険会社に作ってもらえないのだろうか。掛け金払うから。
大学校で訓練受けたとはいえ、あの任務は危険だ。危険手当もない無償労働の度を超えている。
実際、着任中のトラブルや事故で怪我をしたとして、必要なのは入院費・治療費、リハビリの間の生活費、後遺症が残って働けなくなったら…。どんの完治のために、どんの人生のために、お金は必要だ。私の稼ぎだけでは苦しい。
題目で怪我は治らない。題目で解決できるものではない。綺麗事ではないのだ。
怪我で済めばまだいい。
怪我で済まなかったら?
学会的には、創価班を一人増やせばいい。
しかし、学会幹部の皆さまはご存知ないだろうが、私にとっても、どんの両親にとっても、どんの代わりはいないのだ。
尊い任務だとか人材グループに感謝だとか、聖教新聞に書かれるそういう薄っぺらい言葉はいいから、その原稿を書く手間を、しかるべき保障のための手間に割いて欲しい。あの危険地帯から会館にくる学会員を守るために、どうせ誰かがやらなければならないのだから。
末端学会員など、駒でしかないのだろう。「功徳」だとかいう言葉に加え、学会員個人の「責任感を」利用して、無償で働かせること自体、そのことを表している。
以前「保険はないのか」という話をどんにした時、「考えなかった?」とびっくりしたような顔で言われた。学会員個人に自覚がないのだから、団体としての危機管理や保障に対する考え方のレベルは伺いしれる。
その時「ちょっと上に言ってみてよ」と言ってみたのだが、どうやらどんは(また)忘れているらしい。
といっても、どうせ上の誰かに言ったところで聞き入られるはずはないだろうが。
これは、男子部長に言ってみればいいのか?直接、創価学会様にメールすればいいのか?
といっても、どうせこれも誰かに言ったところで聞き入られるはずはないだろうが。

正直なところ、創価班を辞めて欲しい。
どんは「あと1年もたてば運営の役職を辞めてラクになるから(本当か?)」、「創価班は俺の誇りだ」とか好きなことを言っているが、万一のことがあったら「誇り」など訳に立たない。仲間の学会員に「どんさんは誇りを持って任務にあたられ」なんて言われたら、間違いなく私はブチキレて大暴れするだろう。
誇りは確かに大事だ。しかし会館前の状態を見て、その誇りを尊重したいとはどうしても思えない。
理解のない妻だと思われても、私にとって大事なのは、夫の誇りより夫の命である。

会館前で、改めて思った。