どんのGWの予定は空白であることが判明した。
祝。

さておき。
最近の、ある日の夜中、0時40分。
ここまで書くと、何が起こったかはおわかりになるであろう。
毎度毎度の創価「睡眠妨害」学会である。

眠りは浅かった。どんの携帯が鳴っていることに気づいて、私は目を開けた。
電子音は静寂を、着信ランプは闇を、発信者は私の安眠を、それぞれ破る。
のっそり、体を起こした。
携帯を探す。出てやる。絶対出てやる。
今日こそ物申してやる。例え創価班地区幹部のどんが「何時になっても良いから電話くれ」と指示を出していたとしても、どんごと物申してやる。幹部に従うな。常識に従え。何人たりとも私の眠りを妨げる奴は許さない。
ようやっと、携帯を見つけた。なんだって、こんなところに埋もれているのだ。どんの枕元の書籍の山の谷間に埋もれている。
画面を確認する。創価班の素敵なお仲間の名前が表示されている。
出てやる。絶対出て…。

切れた。

間に合わなかった。残念。
とはいえ、シャクに触るのは、私が起こされてどんが寝ていることである。
発信者はどんと話したくて電話してきたのに、私が起きる、この不条理さ。
私が起きる前に、どんが起きろ。
鬼嫁は容赦なくどんを揺さぶった。ついでにリズミカルに布団の上から叩く。
「なな何!何!」
「電話!電話!電話が鳴った。●●さんから電話!電話!夜中に電話!」
隣家への騒音被害で逮捕された女の真似をしながら、布団を叩く。
「なんだよ?」
顔をしかめて、どんが目を開けた。
「何?」
「●●さんから0時40分に電話がありました。起こされました。出ようと思ったら切れました。次から出ます。絶対出ます。出て、一言物申します。創価班のアナタ方が深夜の電話を控える気はないとおっしゃるなら、私は夜中の電話に出続けて物申し続けることにします。っていうか、なんで夜中に電話してくる?」
「多分、着任手配の件…」
「明日じゃいけませんか?いけないんですか?」
「いけなくはないけど…」
「かけてくることを止められないなら、電源切ってよ」
「緊急の電話があるかもしれないじゃん…。学会員の誰かが事故にあって血液が足りないとかあるかもしれないじゃん」
「そういう突発的な出来事を引き合いに出すな。日頃から献血行け」
「なんでさあ?、そんな目くじら立てるのさあ?、仕方がないときとかあるじゃん」
「じゃあ、自分で出てよ。というか、睡眠を妨害されたから、だけじゃないよ」
「何」
「私さ、どんよりも早く起きて、会社に行くんですけど。遅刻できないんですけど。皆勤手当とかあるんですけど。遅く起きて自宅で自分のペースで仕事するアンタとは違うんですけど」
「………すいませんでした。次からマナーモードに」
「そういう問題か?!」

たまに聖教新聞様に「深夜の電話は控えて、常識を持ってどーのこーの」と書いてあるが、「聖教新聞は名誉会長からの手紙」とか言うわりに、読んでいないんじゃないか?と思う。
学会に忠実に活動しているわりには、そういうところは忠実でないとは一体どういうことじゃゴルァ!どうせならそこまでキッチリ徹底しろよ!責任者だせ責任者!!
と、その責任者は創価班の地区幹部のどんである。
現場にしてみれば、そう学会上層部が言うように杓子定規には物事が動くわけない、とそういう言い分だろう。
会合運営を仕事の合間にこなそうと思えば、手間や時間がかかるのはわかる。
そもそも学会がアレ(会合してちょ)もコレ(常識も守ってちょ)もと要求することに無理があるのである。
ま、学会の現場と上層部の確執なぞ、外部の私の生活には何ら関係のないのだが。
とはいえ、人間には許容範囲というものが存在しており、それを越えることで新しいステージが福運溢れる薔薇色の人生が待っているわけでは決してなく、体が壊れ心が壊れ家族友人職場の人間関係が壊れる、ただそれだけのことである。
そんなことはない!幸せだ!という人は、恐らくは壊れたことに気づかない本当に幸せな人かもしれない。
どんにも許容範囲があり、私にも許容範囲がある。
私は文句を言いつつも、やっぱりどことなく許している部分があるが、それもいつまで持つだろうか。
どんに至っては、実際に活動している立場である。真夜中までかかる諸々の手配だけでなく、各部毎に別々に創価班に来る着任要請をとりまとめてスケジュールを立てたり、実際に着任したり、シャトルでついたり、運営準備したり…この人の許容範囲もそろそろ限界に近い様子。

私のことだけでなく、だからこそ、夜はどんを休ませてほしいのだが。
だったら、「電話!電話!」とたたき起こさなければいいわけだが、それはそれ。起こされた怒りの持って行き場がなかったので。

なんとかならんもんか。

とりあえず、次、深夜にかかってきたら出る。
電話の相手に物申しても、何の解決にもならないことくらい、わかっているけど。

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人権擁護法案。どうなるだろうか。一任って何。
押尾先生の兄貴分、反町隆史氏の「POISON」のフレーズがぐるぐる回る。
最初にこの曲を聴いた当時、違うツボを刺激されモノマネカラオケを極めそうになったが、今にして思えば、あのフレーズは深いのである。「言いたいことも?」と始まり「? POISON」で終わる。当時はふざけて何にでも語尾にPOISONとつけていたが、「? POISON」で終わるその言葉こそに今は濃い意味を感じるのである。笑ってごめんねPOISON。昔ジャニーズにちょっとだけいたことを「平家派」だったことを今でも覚えててごめんねPOISON。
(語録のグレートさで行くと、反町隆史氏より押尾先生なわけだがPOISON。)
さておき。
人権侵害は取り締まりによって無くす物ではなく、啓発や理解によって無くす物だと思うのだが。違うらしい。
「人権擁護」の絡みで反対派からフェミやらセクシュアルマイノリティがこの法案問題においても、(また)バッシングされていたりするが、そんな法案、こっち(フェミやらセクシュアルマイノリティ側)だって反対である。
余談だが「こういう立場の人は右で、こういう立場の人は左で」という思いこみカテゴライズが出来ているように感じる。しかし思想は人それぞれなので、十把一絡げに政治的に右か左かは分けることは出来ないように思う。
例えば、「中国の歴史教科書に共感できないフェミ」とか「フェミが嫌いなゲイ」とか「ゲイの愛国主義者」とか「愛国主義者だけど女性の人権も大事」とか「学会の中国韓国に対する態度が嫌いな創価学会員」等々、たくさんの考え方・立場の中でそれぞれが共感できるものをチョイスしていくと、(一般的に)右的(とされる)なものと左的(とされる)なもの両方を選ぶ人だっているわけで。主張が一貫して片翼に寄る人(特に一般人)もそうそういないように思う。ではどうして「こういう立場の人は右で、こういう立場の人は左で」という発想になるかというと、メディアに登場する識者個人の主張・立場が規準になるのではないか。識者の意見に共感したからといって、全面的に識者の立場に追随するわけではないのだが。
何か自分の意見を口にしただけで、過激だサヨクだウヨクだとレッテル貼られるのはたまったもんではない。
で、余談終了。それにしたって右だろうが左だろうが真ん中だろうが両方だろうが無関係だろうが極だろうが、こういう法はあまりに犠牲にするものが大きすぎる。
言葉を発する自由が奪われるなんて、まともな法治国家のすることか?
本当に差別されている人々はこういう法を必要としているのだろうか?恐怖政治的に法で護られたって、余計に苦しいだけだし、理解にはなっていない。少数派多数派入り乱れて新たな差別も生まれるだろう。
よく言われるところの「人権擁護法案」と言う名の「人権弾圧法」である。
やっぱり「差別される人」のための法ではなく、「人権を建前にして言論を規制したい人」の法だと思うのだが。
誰だろうね。「人権を建前にして言論を規制したい人」。
もしかして心当たりがありますか?
それって私が考えている人と同じかもPOISON。