先日の聖教新聞様のトップは、名誉会長が韓国の慶尚南道議会からまたナニかもらったとか、名誉会長は友好の架け橋(で、何したの?)だとかで、また朝から面白くて笑ってしまうのだけれども。
時期が時期だけに、何か意図を感じたりするのだが。
創価学会名誉会長的には「こんな日韓が冷え切った時期にも韓国の議会から表彰される俺様サイコー!コイズミの写真が韓国で焼かれてる時に表彰される俺様サイコー!」ってなところだろうか。
んもう!名誉会長ったら!こんな時に!
国同士の揉め事さえも、利用しているように見えるのは、穿ちすぎ?

とりあえず、韓国が日本と韓国の友好の架け橋として誰かを表彰するならば、名誉会長よりも韓流ブームをしかけた広告代理店やメディア、それに乗って韓国へ足繁く通った恋するおば様方が先であろうと思われる。

で、本日の聖教新聞様の記事は「中国との友好」が云々と大々的に特集。

………。
二日連続では、ちょっとシャレになってませんね、名誉会長。

「韓国と中国と、日本との間に問題があって不穏な空気がある中でも、名誉会長様は両国に支持されているの、だから名誉会長様は偉いの」と、やはりそう言いたいのだろうか。
穿ちすぎではないような気がしてきた。
名誉会長様が偉大だと印象づけるためには、国と国との揉め事さえも利用する。
聖教新聞で表彰だ友好だと言いながら「日本(政府とか総理とか某県議会とか)は韓国や中国の神経を逆撫でしているけれど、我らが名誉会長様は別格なんだよ」と暗にアピールする。
それは、日本に対してだけでなく韓国や中国に対しても馬鹿にしている行為だと思う。
あまりに、やりすぎではないだろうか。

どの国でも同じことだが、外交政治は国の利益とか体面以上に、その国の全国民の生活がかかっている。
外国行って握手してスピーチして褒めてもらって(たくさん寄付して)勲章もらって機関紙トップで報告してエヘヘと笑っているどこぞの誰かさんとは、責任の重さが天と地ほど違うのだ。そんな人(とそのブレーン)が、外交の局面に立つ立場の人間をあざ笑う如く「韓国と中国と、日本との間に問題があって不穏な空気がある中でも、名誉会長様は両国に支持されているの、だから名誉会長様は偉いの」と機関紙使って大々的にアピールすることほど腹立たしいことはない。それは「微妙な時期だから政府に任せて大人しくしてろよ」ということではなく「こんな微妙な時期さえも利用して存在をアピールするなんて何考えてんだよ不謹慎だよ」という腹立たしさ。
加えて、常日頃から創価学会に対して「無理解」な日本を「迫害日本・精神後進国」という言葉で攻撃している学会だから、ここぞとばかりに嫌味をかましているつもりだろう。

「責任を負わないからいいでしょ?出来ることがあるでしょ?」とか、「こんな時期だから民間から友好の大切さをアピールしているんだよ」とか、そんな声も聞こえて来そうだが、このタイミング、記事内容、とてもじゃないがそんな風にはかけらも思えない。
ずっと疑問だったのだが、こういうことは「友好の架け橋」となりうる活動だろうか?
結局、外国行って握手してスピーチして褒めてもらって(たくさん寄付して)勲章もらって聖教新聞で「名誉会長はこんなに偉大です」と結論づけられるための活動である。それが「友好の架け橋」だろうか?
友好とは言うもの、名誉会長のした事は、相手国と日本との外交にも友好にも関係ない。良くなったという話も悪くなったという話も聞かない。
現在、韓国・中国と日本の間に流れる空気がそれを表している。
考えようによっては、こんな時期にあんな記事を掲載することは「韓国と中国と、日本との間に問題があって不穏な空気がある中でも、名誉会長様は両国に支持されているの、だから名誉会長様は偉いの」ではなく、「友好の架け橋だろうが勲章もらおうが顕彰もらおうが支持されていようが、名誉会長には日韓・日中の関係を改善できる力はない」ということをアピールすることになり逆に滑稽であるとも言えるかもしれない。

しかし、創価学会様って、自分たちさえ良ければそれでいいのだろうか。
一連の記事からは「日本とは微妙な関係の国からさえも支持される名誉会長」だけでなく、「自分たちさえ良ければそれでいい」という考えも感じられるのだが。

なんだかねえ。

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話はすっごく変わるが。
フガフガ・ラボさんの「ジョージのブログ」(レッツ検索!)3/22のブログは必見。
いいなあいいなあ、私もやりたいなあ。
名誉会長の写真使って、あんなのやりたいなあ。