wintercosmosさんの昨日ブログ宛のコメントを読んで、昨日は新聞の見出しを作ることに力を注いで(それで燃え尽きて)、内容がおざなりになってしまったことに反省。
今日は掘り下げていきたいと思う。

さてさて。人材グループの件について。
改めて言うまでもなく、どんは創価班である。
会合や同時中継などで会館にワラワラと集まってくる学会員の事故や近隣住民への迷惑を防ぐために、駐車場整理や誘導などをしている。
今まで無事故でやってきており、これからも無事故で、と、どん達創価班にかかる責任は重大である。
それなのに、努めを果たそうとすると「どうしてアンタの言うこと聞かないといけないのよ!」と怒鳴られることがある、というのは先日のブログに書いたところ。
怒鳴られることだけならまだしも、wintercosmosさんの旦那さんのように、注意すると逆ギレされ脅されることもあるという。
最低。

会合が終わり、一斉に出てくる学会員。歩道の狭い会館や、道そのものが狭く歩道の区切りの塗装さえもない会館もある。
しかも夜間。
大勢の学会員を、車道と歩道の間に立ってどんが誘導する。
「縦一列に歩いてください。車道に出ないでください」
夜、狭い道を車が通る。運転手にしてみれば、狭い道を歩く大勢の人は恐怖以外なにものでもない。
どんなに歩行者側が車道に広がっていたって、事故が起これば運転手の責任なのである。
しかし。
「うるさいねえ、いいじゃないのよ」
あからさまに言う人もいれば、不機嫌な顔で渋々指示に従う人もいるという。
高揚し、おしゃべりをする人もいる。そのたびにどんは注意する。
「すいません、静かにしてもらえませんか」
近隣住民は、休む準備をする時間。もしかしたらもう、眠りの中にいるのかもしれない。
そこを人の声で叩き起こされる。クレーム電話を入れる人もいるという。怒って当然である。
しかし。
「いいじゃない、それくらい」
悪びれずに刃向かう人もいれば、やはり不機嫌な顔で黙る人もいるという。
反応として、おかしくないか?
正しいことを言ったのは、人として気を付けるべき事を言ったのは、創価班なのに。
注意された人の反応は、まるで創価班が悪いとも言わんばかり。
嫉妬日本だ迫害日本だというが、自分たちで評判落としているのはスルーですか、無視ですか、ああそうですか。
最近、やったらめったら嫉妬、嫉妬というけれど、よく、口喧嘩で指摘されたり気にくわないことがあると「あなた私に嫉妬してるのね?だからそんなこと言うんでしょ?」「君は僕が羨ましいんだろ?だからそんなこと言うんだろ?」と言うのによく似ている。
次元の低い喧嘩をしているときによく聞く言葉だ。
必死に自分たちを優位な場所に立とうとしているようにしか見えない。迷惑行為も省みないで嫉妬とは愚の骨頂。ちょっと聖教新聞風。

さてさて。
注意するとキレる若者並の方々のことはさておき。
人材グループは無償である。
創価班はパンとジュースが「名誉会長からの激励品」。
牙城会はカップラーメン。(以前はお弁当だったそうだが、食中毒が出たらしい。どん情報によると、牙城会は給湯室で食べるそうで、防災上給湯室の戸は閉められず、麺をすすっているところを廊下を行き交う学会員に見られながらの食事だそう。どんの知人の牙城会メンバーが「嫌だ…」とぼやいていたとのこと)
時々、太っ腹な名誉会長様から領収書付お小遣い、なるものが出るらしい。(どんももらったらしい)
雨ノ降ル日モ、駐車場デ車ヲ整理シ、注意シタラ怒鳴ラレ。
雪ノ降ル日ハ、会合ガ無クナルノデ、安心シ。
春ノ花粉ガ飛散スル日モ、駐車場デ車ヲ整理シ、注意シタラ怒鳴ラレ。
夏ノ暑イ日モ、駐車場デ車ヲ整理シ、注意シタラ怒鳴ラレ。
秋ノ季節ノ変ワリ目モ、駐車場デ車ヲ整理シ、注意シタラ怒鳴ラレ。
冬ノ寒イ日モ、駐車場デ車ヲ整理シ、注意シタラ怒鳴ラレ。
パントジュースヲ支給サレ、無償ハ当然、コレハ戦イダ!ト言イ、
怒鳴ラレテモ頭ヲ下ゲ、黙々ト着任ニツク、ソンナ人ニ私ハナリタイワケナイダロ?!

wintercosmosさんのご指摘にもあるが、仕事の都合をつけて厳しい気候でも着任し、会館内外の安全を守るべく従事する、その責任の重い仕事が無償である。
有償であってくれ、というわけではない。でも正直なところ、綺麗事では済まされない。
人材グループはいわば、タダで使える警備員に思える。
警備員ということは、それ相応の危険な目に遭う可能性もあるわけだ。
交通整理中・駐車場整理中に事故にあうこともあるだろう、気候の変化や風雨に晒されることで体調も崩しやすいだろう。しかもそれは専任の仕事ではない。他に職を持った上で併行して行うことなのである。
それを仏道修行と言う学会員様もいるだろう。見返りを求めることなく、自分を研鑽し人の為に奉仕する、尊い役目だというのだろう。
そんな綺麗事で済むか!コルァ!
結局のところ、無償だ有償だという話は、万が一の備えという意味を帯びてくる。
仏道修行だから危険な目に遭わないとでも言うのか!コルァ!
もしも、万が一のことが起こったら、誰が責任を取るのだろうか。
「仏道修行だから」「ボランティアだから」本人の自己責任か?
それとも人材グループを使っている学会か?
病気に関しては自己管理もあるだろうが、自己管理を怠らせるほど責任において任務に忙殺されることもあるだろうし、事故であれば自己管理の範疇を超える。
どっちにしても学会が責任を取らないと思えてしまうのは、何故?
信用してほしい?いやいやいやいや、こんな面白恐ろしい噂が飛び交う学会を信用できるわけがない。そもそも、無償で人を使うような学会が信用できるわけがないのだ。
(そりゃ、人材グループの仲間は尽力してくださると思うけど)
修行だか、勝利だか、そんな非現実的な話はどうでもいい。
命あっての修行である。健康であって無事故であっての修行である。
最初に学会ありき、修行ありき、では本末転倒、お話にならない。
学会にとってのどんは腐るほどいる学会員の一人にしかすぎない。人材グループが欠けてもの補充することはいくらでも出来る。
でも私の夫は、どんしかいない。代わりなどどこにもいないのだ。

どんにある疑問をぶつけた。
「着任の時に事故にあった場合、学会は保険とか用意していたりしないの?」
どんの返事。
「さあ、考えたこともなかった。ネットで調べてみてよ」
………………。馬鹿!
やってる本人が無自覚なんだから。考えるだろう!普通!…ああ、学会が考えないようにさせてるんだったっけね。
そういうわけで、ネットで調べてみました。
「創価班 保険」「創価班 事故」等の検索ワードで検索。
為になるようなサイトはどこにもなかった。(無事故を守り抜け!とかはいっぱいあった)
それどころか。
自分のブログがヒットしたw

学会のために、学会員のために、近隣住民のために、無償で働き、暴言を吐かれる時もあり、万が一の時も保障もない。
全ては「仏道修行」の名の下において。便利な言葉だ。そんな言葉一つで誰かが動いてくれるなら、私だって使っちゃうぞ。
やっている当人はそりゃ仏道修行で、勝利のためで、人のためで、高尚なことだ、素晴らしいよ。
でもはっきり言って。そんなもの、私はどうでもいいのだ。
大事な家族が、見知らぬ学会員に暴言吐かれるだけでも腹立たしいのに、万が一のことがあったりしたら…。家族の安全や健康は、何事にも代え難い。
もし、どんに何かがあったら、私はきっと学会が許せないと思う。今以上に嫌悪すると思う。
どんに何かあるまで活動に送り出した自分を責めるだろうし、学会のために自分の健康や安全を犠牲にしたどんを責めるだろう。周囲の学会員に題目あげられたって、名誉会長の「名前で」お見舞いがあったって、腹立たしいだけだろう。

着任から帰って、ご飯を食べながら、婦人部に怒鳴られた、運営手順を失敗した、そんな話をするどん。時々、辞めたいな?任務解かれないかな?とぼやくこともある。
でもやっぱり、スーツを着て、髪を七三に分けて、出かけていく。
どんよ、学会にとって、お前さんの代わりはいくらでもいるのに。
駒にしかすぎないのに。
わかってて行くの?わからないで行くの?
「私にとっても、お義父さんやお義母さんにとっても、あんたの代わりは他にいないよ」
言葉を投げかけると、なんだよ?ってふざけた顔でニヤケてるけどその言葉の意味を、
わかってて行くの?わからないで行くの?