新婚生活というものがはじまったのは昨年の秋のことだった。
私達は式も披露宴もしていない。市内ロケという面白いプランでプロカメラマンに写真を撮ってもらい結婚アルバムを作ったことだけが、結婚のイベントだった。
地味ではあるが、それでも一緒に暮らし始め、結婚写真を撮った秋が、「はじまりの季節」になるのだろう。
引っ越した先は、古くからの住宅地だった。
一緒に暮らしだして一ヶ月ほど、秋も深まったある日。
家並みを繋げるように白いお飾りが続いていた。我が家も例外ではない。
どうやら近所の神社の祭りらしい。
その週の日曜日の午前、子どものかけ声で目が覚めた。
どんを起こして窓から道を覗くと。
お揃いの法被を着た子どもたちが、小さな御輿を抱えている。
わっしょい、というかけ声をあげながら、御輿を揺すり、通りを練り歩く。
都会に来て、こういう風景を見たことはなかった。
懐かしさを覚えて眺めていると、やはり田舎出身のどんも懐かしげに見ている。
台風の地震に翻弄された秋だったが、それでもその日の陽射しは穏やかで、通りを優しく照らしていた。
「あ、あの人」
どんが子どもたちの後ろからついていく、やはりお揃いの法被の世話人らしきおじさんを指さした。
「何?」
「学会の人、いつもお世話になっている人だよ」
「ふーん」
おじさんは他の世話人さん達と子どもたちのかけ声に併せながら、かけ声をあげている。
「他の人達は違うの?」
「ああ…違うね、学会員はあの人だけだね」
「ふーん」
「すごく良い人なんだよ」
「そういうことは言わなくてもいいよ」
「また、そんなこと言って」
「じゃなくて、そんなことわざわざ言わなくても、学会員だけど地域の神社の昔からの祭りの手伝いをしているような人なんだから、言わなくても良い人だってわかるでしょ」
「それはそうだね…………って、華ちゃん、どれだけ学会のイメージ悪いの?」
「…………」
「ねえ、ねえって?あのね、いろんな人がいるんだから」
いろんな人がいるって、何回聞いた事やら。皆同じ事を言う。
「…………さあねぇ」

秋をあと十回くらい過ごしたら、どんもあんなおじさんになるのだろう。
御輿は遠ざかっていく。
やがて角を曲がり見えなくなった。
わっしょい、という幼いかけ声だけは微かに響いていた。



-----------------

私の事情を何も知らない同僚の「創価学会って●●●するんだってね、なんでだろ?私らには分からないね」
という世間話的な疑問に「あ、それは○○○○が目的らしいよ」とスラスラ答えられるようになってしまった、私。
はたと気づいて慌てながらもさりげなく「私、学会員じゃないからね、むしろ大嫌いだから」と言い訳のように言う、私。
……………何者(笑)

詳しくはなっても、ミイラ取りがミイラにはならない自信はある。
だって、何一つ良いとは思えないもの、ごめんあそばせ。ホホホホホホホ。