田口選手が、無事、カージナルスと再契約したぞう!
ビバ!日記職人!来季の選手としてのより素晴らしい活躍と、日記の充実を祈りつつ。

夕方からどんと出かけて買い物をして外食して、夜。
帰宅してみればポストの上に大きな茶封筒。
どんの仕事の届け物かと中をのぞき込めば、衝撃の一冊。
創価学会系女性向け雑誌、パンプキン。
いやいやいやいやいやいや、なんですかなんですかコレ。
「どん」
「何」
「婦人部が来た」
「なんで」
「コレ」
「あ」
私はあっと言う間に不機嫌になった。
もうお気づきのことと思うが、私は短気で度量の狭い人間である。(開き直り)
創価学会の許容範囲はどん一人で十分である。先走りのAさんというキャラが加われば食傷気味、過剰反応するというのに、その上さらにパンプキン無料配布キャラに関わられると、私の狭い器は破壊される。
というか、破壊された。
新たな新キャラ登場に怒りながら添えられていた手紙を読む。
概要は[とても良い雑誌があってお友達にも喜ばれているので、オススメします。月に一度持ってきますね]
すいません。頼んでません。
持ってこられた方は、どんがお世話になっている婦人部のEさんという方。
私は直接会っていないが、一度我が家にイベントの案内に来られて対応に出たどんに「取って食べはしないからって奥さんに伝えてね」と言った、かの方である。どんは学会員さん仲間には「うちのカミさん、学会が大嫌いだから」と言っているそうなのだが、Eさんにもそう言ったそうで。Eさんはその時「あー、嫌な目にあわれたんだねえ」と納得され「直接行ったら怖がられるかもね」とおっしゃっていたそうなのだが。
いやだからって、こんな間接的に来られても。
どん曰く「Eさんは『学会外の人のほうがよっぽど出来た人が多い』とポロッと言ってしまって婦人部の中でたまに浮くんだよね」。
このどんの発言を訳すと「熱心な学会員ではあるけれども、学会全面受け入れタイプではないから警戒しなくてもいいよ」、という意味になる。
警戒しますよ
学会嫌いの人間のところに頼んでもいない学会系雑誌を毎月自腹で配達しますね♪という不条理極まりない価値観の中に放り込まれているのだから。
「あのですね、読まないんですよパンプキン。月に一回配達されても、読まないんです。読みたくないんです。興味もないんです。電車内の吊り広告見るのも嫌なんです」
「そこまで言わなくても」
「読まない雑誌を頼んでもいないのに月に一回配達するということが理解できない。っていうか、自腹切ってるわけでしょ、Eさん。だったら読まないものを毎月毎月受け取ることは、Eさんに対しても失礼じゃないの?」
「それはそうだけど、そういう言い方って」
「じゃあさ、パンプキンじゃなくてもいいでしょ。良いと思ったものを持ってくるんだったら婦人公論でもクロワッサンでもPATI-PATIでもアエラでもいいわけでしょ?そっちのほうが嬉しいもん。持ってきてくれるの?無料で私が読みたい本をくれるの?違うでしょ。わざわざ自腹切って人にあげるのって、自主的な学会広報活動でしょ。嫌いだって知ってるの配るのって、結局は押しつけじゃん。毎月持ってきますって、誰が頼んだ?」
結局、どんから断りを言ってもらうことになったが、そのことで創価スイッチの入ったどんと、短気で口調が荒く物言いが傲慢な私との間で言い争いが勃発。(どちらも救いがたい……)
現在は無事に沈静化したが。
ああ、また無駄に頭に血を上らせてしまった。創価のことは怒らずに笑い飛ばそうと決めていたのに。
いつか創価のことで怒って頭の血管が切れてそのまま逝ってしまったら嫌だな。
そうなったら勿論、何代先までも創価学会を祟る気満々だが。(勿論、逆恨み)
話がそれた。
Eさんの意図するところは分かる。
学会に良いイメージを持っていない私だからこそ、学会の良いところを知って欲しくて、聖教新聞よりも読みやすいパンプキンを読んで欲しいと思われたのだろう。
どんの言うとおり、彼女は良い方なのだと思う。
だが、それとこれは別問題。
いくら良い方でも、頼まれていないものを「嫌いだ」と言っている人間のところに持ってくるのは、Eさんには本当に申し訳ないが、正直迷惑で非常識だ。
カンベンしてください(泣)

表紙デザインだけは悔しいかな良いパンプキン(相場より高い値段でデザイン会社に発注してるのかも)は今はどんの仕事部屋。どんはそれを見ながら文句をつけたり感心してみたり。
でも来月からはパンプキンは届くことはない(はず)。
頑なかもしれないが、創価学会を知ることは、私の人生には必要のないこと。
どんとブログで以外で創価に関わる時間は持ち合わせていない。
過剰な警戒かもしれないが、私は私の生活を今以上に乱されたくないのだ。
でも学会云々より前に、誰だって、嫌いなものを例え善意でも押しつけられるのは不快だ。
想像してみてほしい。自分の嫌いなものを押しつけられたらどんなに不愉快か。
心が狭いとか頑固だとか、言われても構わない。言いたいなら好きに言えば良い。
だが、私は嫌いなものは嫌いなのだ。理屈じゃない。私の美意識が拒否する。

以前にも触れたがEさんは学会が世間で悪いイメージを持たれていることを、経験からもよくわかっていらっしゃるという。だからこそ、良い面も知ってもらいたいと努力されるのだろう。
だが末端の現場の学会員にそういう気苦労や努力をさせるような団体というのは、如何なものだろうか。
Eさんが自腹を切ってお友達にパンプキンを配って良いイメージを持ってもらおうとしても、聖教新聞の座談会ページで一気に覆る。
外部からの白眼視をなんとかしたければ、学会内部をなんとかするほうが先だろう。

ときに、ふと思ったのだが。
創価学会のために手弁当で奔走する学会員さん達。創価班、牙城会、白蓮グループ。
その力、その組織。学会じゃなくてボランティア活動に生かしたら、すごい行動力になるんだろうなあ。
あっと言う間にボランティア大国日本として世界の頂点を目指せるのに。
もったいないなあ。