朝、目覚めると、どんはまだ寝ていた。
……早朝バズーカ、もとい題目は?
「行くんじゃないの?」
揺すり起こして聞いてみる。
「……行かない……」
「なんで?約束してるんじゃないの?」
「……してない」
は?
「え、そうなの?」
「△△さんが●●さん家で題目あげるっていうから、一緒に行こうって俺が思っただけ……」
「思っただけ?」
「二人には言ってない…」
「眠気に負けたと?」
「……負けた……おやすみ……」
信心、足りないんじゃないですかねえ?

いや、別に行ってほしかったわけじゃないけど、
そんなにあっさり翻されると、いまいちアンチ心が盛り上がりに欠けちゃうと言うか(違)
「普段は起こそうとしても寝てるクセにこういう時は朝早く起きて題目あげに行くなんてヒドイわヒドイわ」って騒ぎたかったんだけど…。
ブログ的にはオチがついたので、まあいいか。
どんという男は、自分の体調と信仰、どっちを優先させる人間かと言うと、
100%自分の体調である。
自分の体に無理してでも活動しないので、その辺は安心している。
この場合は、体調管理というより「眠りたい」という自分の欲求に素直に従っただけか…。

結局、眠るどんをそのままに、ネタ探しで本日の聖教新聞チェック。
相変わらず一昔前の青春ドラマのセリフのような文言が並ぶ。
広告制作に携わる立場から言うと見出しや文章にセンスないな。あ、わざとなのかな?
注目は名物糾弾座談会(華命名)。「女房の尻に敷かれてるくせに(笑い)」。二度ほど出てきたこのセリフ。
今時、こういうセリフを人を揶揄する時に使うっていうのは……いかがなものかと思うんですけど。
熱烈熱血スローガン寸鉄(華命名)と並んで、糾弾座談会は学会員の中でさえ不評のページと聞く。
初めて見たときびっくりした。
機関誌とはいえ曲がりなりにも「新聞」を名乗る媒体がこんな事していいのかと。
団体をまとめ上げるには「敵」という存在が常に必要なのだろうか。
「敵対」団体を糾弾し続けることで、学会員の優位性・正当性と保障しているのだろうか。
まあ、それぞれの言い分やここに至るまでの確執はあるのだろうけれど。
気にくわんかったら無視しといたらいいのに。変なの。
私は新聞を畳むとマガジンラックに放り込んだ。

ちなみに、ウチはどんの自腹で聖教新聞、私の自腹で毎日新聞である。
実家ではずっと毎日新聞だったし、西原理恵子のエッセイもあるし、と思っていたのだが。
…………………………。
聖教新聞が毎日新聞や各地方新聞系列の印刷所で刷ってるって最近知った。…………○|?|_
学会系雑誌の広告費や印刷費の事とかは知っていたのだが、新聞の印刷所までとは……。
いや、でもねえうちの地方ではねえ、聖教新聞は地方紙の印刷所で刷ってるみたいだし。
あははは。…………○|?|_

最近、私は学会の疑問やら不審点をどんにぶつけなくなった。
時々、どんが何を話しているのか、わからなくなるからだ。
学会のことを話すどんの言葉は、日本語なのに日本語でないように感じる。
そういう時のどんを遠く感じるけれど、その日本語を理解することはできない。
でもそれはそれで、いいのかもしれない。
無理な歩み寄りは、互いの心の健康に良くない。

…………。
…………さて寝よう。難しいことは、眠って忘れてしまえ。