石を投げたら、創価に当たる、とはよく言ったもので。
私の投げた石は、学会員に当たった。それが夫だ。
過去、創価学会に良い思い出はない。王道中の王道、選挙前攻撃。悩み事を相談したら折伏されそうになった、など。おそらくは多くの人が体験し、気分を害す出来事に、私も遭遇している。そういうわけで、アンチである。がんばれ週刊新潮!くらいの勢いである。
なのに、夫は創価学会。しかも、バリバリの活動家。
なのに、アンチの私は奴と結婚した。しかもプロポーズは私がした。ついでに新婚である。

学会員と非学会員の恋愛や結婚は不幸だと言う。
2ちゃん○るにもスレッドが立つくらい、悩んでいる人は多い。
それらを見ていて共感することは多い。
そして私にも悩みはある。あまり良くは思われていない宗教ゆえに、それを人に相談することはできない。
学会員の結婚を持つ非学会員の友達などいない。親(姑・舅含む)に愚痴っても心配をかけるだけだ。
孤独である。孤軍奮闘である。がんばれ自分。でもどうすることもできない。
そのつもりつもった不満を、悩みを、ストレスを、どうするか。
夫は矛先を自分に向けられつつあることを察したのか、私に言った。
「ブログっていうの、書いたら?学会員と結婚してる人ゆえの悩みを持ってる人、多いと思うし」
…………そう言うわけで、流行りに乗らない私が、流行りに乗っかっている。

夫は30代後半、私は20代後半。
結婚願望があまりなかった私が、奴と結婚を決めたのは、その性格の良さだろうか。
温厚で、前向き、人望が厚い、真面目。で、楽しい。楽ちん。
政治から音楽・映画まで、話は合った。
パートナーとするには相応しい男だと思った。
しかし創価学会である。
ただ活動家とはいえ、世間でよく聞く創価命!な人間ではなく、批判の意見も聞き入れ、おかしいと思えば反論し、またその通りだと思えば素直に認める。
夫は私を尊重した。折伏もしなかった。選挙の時も、何も言わなかった。バランスのとれた人間だった。
なんとかなるだろうと思った。
ここで奴を逃がすには、惜しい人材である。
しかしその人材の心を支え、ここまでの良い人に仕上げたのが創価学会というのも、また複雑な心境だ。(本人の資質だと思いたい。思わせて。きっとそう)

付き合い初めて初期の段階で創価学会だと告白された。
付き合う前に言わなかったのは、また奴も過去の恋愛で創価学会であることを理由に去られたことがあり、それを恐れてのことだったらしい。………あれ、詐欺?
いくらアンチとはいえ、私はその時点で引き返せなかった。
だって、お母様、私、彼を愛してしまったんだもの!
…………すみません。まあ、陳腐なセリフではあるが、その通りである。

学会員を伴侶にした人が直面するのが、家族の問題である。一家総創価で、結婚を機に入会させられた、など。(その逆もしかりだろう)
結婚と家族の関係は結局切り離せないのだと感じる。未だ持って、結婚は個人のものではない。ついでに宗教もやはり、個人のものではないらしい。
では、私のケースはというと。彼の一族の中で、学会員は彼一人。
かつて舅が学会員で、二人の息子に入会を薦め、結果二人の息子も学会員になったのだが、後に舅は脱会し日蓮正宗へ、長男は名ばかりの会員(脱会を忘れている感が…)、次男だけが残った(しかも活動家)。その次男が夫である。ちなみに姑は現在に至るまでアンチだ。アンチ妻の先輩である。
私の一族に創価学会員はいない。真宗である。亡くなった祖父は信心深かったものの、両親にはそこまで深い信心はない。
夫を気に入っている私の両親は、唯一の心配事がその創価学会であるが、夫が私や私の一族を折伏する気がないこと、うちの行事(葬式法事他)にきちんと参加することを確認すると、特に何も言わなかった。
母はちょっと嫌な顔をしていたが、父は「宗教の自由だから」。それ以前に、夫が私の苗字になってくれることの喜びが大きかったらしい。
家と結婚と創価学会が絡んだ泥沼の話を聞くにつれ、その辺はウチは大丈夫だなあ、と思う反面、苦しまれている当事者の方を心中を察するに、やはり私も苦しい。別れてしまったなんていうことを聞くと、宗教って一体何なんだと思う。人を幸せにするはずのものなのに、人を苦しめている。不条理だと思う瞬間。

休日の昼、平日の深夜、学会活動とやらで夫は家を空ける。
その背中を見送りながら感じたことを、明るくかつ淡々とつづっていきたい。
……どうなることやら。
読んでくださる方がいらっしゃるかどうかわからないけれど、
聖教新聞の、あの座談会ページで取り上げられて嘲り笑いをされるくらい頑張ろうかと……なんてね。
ちなみに喧嘩や論戦を繰り広げますが、基本的には仲良しです。はい。
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