妻はアンチ、夫はバリバリ。archive

創価学会員の夫と結婚した創価学会アンチの妻の記録。
創価学会なぞ笑い飛ばす気持ちで。すったもんだの後、
夫は緩やかに非活へ。現在は穏やかな日々。夫公認。更新及びコメント受付終了。アーカイブ化。
※学会員との結婚や交際を推奨するものでも、安心材料となるものでもありません。
※しっかり話し合い、答えを見つけるための参考になさっていただければと思います。

しっかりしなきゃ

「ロード・オブ・ザ・リング」にレゴラス役で出演している俳優オーランド・ブルームが
イギリスの「創価学会仏教センター」仏教徒に改宗したそうで。
……海外の創価学会にも、創価班とかあるのだろうか?
とりあえず、公明党票はかき集めなくてもいいだろうけれど。
イライジャ・ウッドのほうが可愛いもん。
ヴィゴ・モーテンセンのほうが好みだもん。
…何を言ってるんだろうか私は。

ネットサーフィンの途中で見かけた掲示板で
「学会員の恋人や配偶者と話す時のアドバイスは
1.批判しない
2.否定しない
3.質問ばかりしない」
というのを見た。

……………………。無理!!!
無理。学会自体にツッコミ所満載だから、無理。
しかしどんの立場に立ってみれば、自分の信じるものを否定されたり批判されたり、質問され続けたりすればいい気分にはならないだろうと思う。
上記三項目、サイトで見かける前から、心がけてはいたけれど結構忍耐必要で。
だからこそブログが私のストレス解消に(すいませんすいません、いつも見てくださる方すいません)。
いつかこのブログも、アドバイスみたいなことを載せられるようになれば良いのだが。
でもそうなるには、長い時間を要する気がする。
ストレス解消しつつ(すいませんすいません)、学会員の夫との日常を綴りつつ、
凹みそうなことも理解できないことも、面白おかしく茶化して文章にしてみるというのが
今の私に出来ることだろうか。

そういえば一つ、どんと出会って数年という短い期間で得たアドバイスがひとつ。
「諦めろ」
……………なんの解決にもならないので、お薦めできません。

創価と結婚のキーワードを元にネットの海を泳げば、
やはり学会員と非学会員の結婚や恋愛から生じる悩みやアドバイスを目にする。
とても参考になるし、「しっかりしろ私」と思うし、「みんな一緒に頑張ろう」と思う。
創価学会はすでに、マイノリティとは言えない数まで増えてきた。
近い未来、私達「学会員と結婚した非学会員の悩み」が社会問題化するかもしれない。
しっかりしなきゃ、私。

スイッチ

どうにもこうにもしごとがいそがしい。

さておき。

どんは、自分の見解を持った人間である。政治的なことに関しては特にそうで、書籍や複数の新聞(喫茶店とかで読んでいるらしい)、両翼の主張など、ネットなど、素人が調べられる範囲で調べて自分なりの意見を組み立てていく。
故にどんの蔵書は創価学会以上に政治関係の書物が多い。
ある日、どんとイラクについて話していて、ふと私は質問した。
「戦争を止めるにはどうしたらいいと思う」
…幼稚な質問だったと思うが、ふと思いついたのだから仕方がない。
どんがどのような見解を持っているか知りたかったのだ。
が。
が。
どんは少し考えて、おもむろに口を開いた。
「対話かな」
……………………………………。
「やっぱりね、対話しかないんだよ」
………………………………………………………………。
分かる人には分かると思うが、「ザ・創価学会」である。
書籍にも新聞にもイベントにも会話にもこの単語は何かと出てくる。
なんじゃその眩しいくらいの理想論は。
なんじゃその眩しいくらいに輝く信じ切った瞳は。
どんのマンドコントロールっぷりと痛感する一瞬。
ついさっきまで、自分で調べて組み立てた見解を浪々と述べていた男が口にする言葉とは思えない。
スイッチが入ったが如く。
ああ、おもしろいな、この人………。あはははは………。

対話が重要でないとは言わない。でも対話「しかない」と言い切るのはあまりに安易ではないか。
国同士の付き合いには一般国民には計り知れない権力が介在しているわけだから、パワーバランスとかパワーゲームとか根回しとか、所詮、外交は駆け引きなのではないかと私は素人なりに思うのだから、どんだって理解しているはずなのである。
なのに突然どんが発した「対話」とは、駆け引き的な会話ではないだろう。心をさらけ出して納得するまで話し合う、そういう主旨の対話だろう。
国のトップに立つ人間が、心や手の内を明かしながら対話したら、とんでもないことになるじゃないか。そもそも非現実的だ。
宗教や民族対立など国民感情が敵対している場合はトップの対話だけで解決するだろうか?国民が納得するだろうか?
宗派や異教徒・民族がからめば、国の利益という物質ではなく、精神や哲学、国そのもののアイデンティティが関わる。対話どころか駆け引きさえも難しいのではないか?
私は戦争を肯定しているわけではなく仕方がないと思っているわけでもなく、勿論戦争反対だが、述べたとおりの理由で「対話」で解決するとは到底思えない。

でも、正直に言えば。
そういうこと以上に。
安全圏で要人と「対話」して、具体的には何を成したかわからない「平和貢献」に尽力され毎日のように勲章をもらう某名誉会長率いる団体に所属している人間の言う「対話」は、申し訳ないが、白々しい。
学会に関わる諍いが「対話」で解決しているとは思えないのに、戦争とか国とか平和とか、大きな枠で「対話」と語られても説得力がない。

そう言いたかった。

でも私はどんの発言をそのまま流して話題を変えた。
スイッチが入ったどんに何を言ってもダメなことは分かっている。
いつもの「大げさな演技で聖教新聞ばりのセリフを言ってみせる」どんではない。
どんは意識していないだろうが、さっきまでのどんの独自の建設的見解から突然飛躍した、唐突な「対話」という発言は、私にしてみればまさに創価中心思考であり、このまま話しても学会の話題に及ぶことは必須だった。そうなれば、「アンチに凝り固まっている」とどんに評される私と、「スイッチが入って創価モードになっている」と(心の中で)私に評されるどんが、何を話しても平行線である。
それ以前に無知な私には「対話しかないというのは安易で非現実的だ」という意見はあっても、その「対話」に代わる戦争回避・停止の代案が出せるわけではない。

とはいえ夫婦の間でさえ「対話」が成立しないうえに、片方が諦めて対話を避ける時もあるのに、「対話」で何が解決するというのだろうか。
謎だ。
どんの創価スイッチが切れるのを待ちながら、私は思った。



どんの創価スイッチネタでNHKの「ピタゴラスイッチ」の「おとうさんスイッチ」みたいなの作ろうかなあ。
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DESTINY'S CHILDのLose My Breathを最初にラジオで聞いたとき、私は痺れた。
マーチングバンドのドラムラインを全面にフューチャーしたアレンジ。イカス!(死語)
高校時代、マーチングバンドでトランペットを吹いていた私にとっては興奮の一曲。
今年は映画「ドラムライン」の公開も重なり、私の中ではマーチングバンドへの想いが一層深くなった一年であった。
できれば、バンドを現役でやっていた時にこの映画と、そしてこの一曲を聴きたかった。
マーチングってカッコイイ!と改めて感じ、練習に取り組むことが出来ただろう。
後悔していることの一つだが、私達のバンドは井の中の蛙以下だった。
本場アメリカのマーチングのビデオさえも見ることをしなかった。
自己満足していたわけではない。
部内や新しい顧問との間で色々あり、自信がないまま目の前のことをこなすことに必死な部員が、マジメに取り組むことを格好悪いとする部員を無理矢理引きずって走っているような状態に陥っていた。
他校や本場を参考にするということを思いつかないくらい全く余裕がなかった。
当時の記憶は「焦燥感」や「いっぱいいっぱい」という感情である。
そんな状態でよく、県大会を突破し地方大会まで駒を進めたものだと思う。しかし決定的なものが欠けていたから全国大会への道は絶たれ、地方大会で良い賞さえももらえなかったのだ。
マーチングバンドのスピリットを、私達は理解していなかった。
自分たちがどんなにカッコイイ事をしていたか、分かってもいなかった。
マーチングに対する造詣が深まった今、稚拙で無知で目の前しか見えていなかった当時を振り返ると、やはり後悔の2文字に尽きる。
市内に社会人バンドはある。でも所属することは出来ない。
この仕事の忙しさと、顎関節症と、腰椎椎間板ヘルニアと(笑)
ヘルニアは運動して筋肉をつけることでなんとかなろうものだが、顎関節症は歯の噛み合わせが悪いままトランペットを中学高校6年間吹き続けたことが原因。
矯正や手術か、管楽器から打楽器やカラーガードへの転向をしないと、そう簡単には戻れないものだからこそ、余計に後悔はつのるのかもしれない。

わざとらしい男

年賀状の季節だ。
今年の年賀状は、結婚写真をちりばめるという、強烈かつ破壊力が備わったデザインにした。
仕事の合間に自分が作ったわけだが、プロですから。デザイン自体はとてもナイス。自画自賛。(←馬鹿)

どんと私は結婚式も披露宴もしていない。
教会で好きなゴスペルに包まれながら粛々と、もといハーレムのミサ並に異様な盛り上がりを見せるゴスペルクワイアライブのようなソウルフル結婚式というのが叶わない夢なら見ないほうがいい。
という、どん(題目)とわたし(ゴスペル)の創価対立が原因では全くなく、
ただ単に。
結婚式と披露宴にかける金がもったいない。たった一日に何百万もかけられるかい!
という本音を「身の丈にあった形式で」というオブラートに隠しただけの話。
その代わり、写真は凝った。お見せできないのが残念なくらい。
実家で親の代からお世話になっている写真館でも両家の家族とともに結婚写真を撮影したが、
それとは別に、自分の居住している市でも二人の結婚写真を撮影した。
ブライダル雑誌に必ず掲載されている、ブライダル専門の写真スタジオで、「市内ロケプラン」を申し込んだのだ。
一生に一度、自己満足モデルばり撮影である。 
いや、ほんま。イケメンのプロカメラマンにモデルみたいに撮ってもらって、仕上がったアルバムはさながら写真集かファッション雑誌か。アルバムに載せなかった没写真を含めたネガもちゃんといただけて。
撮影は底抜けに楽しかった。ウエディングドレスを着て市中を移動するのも、全く苦にはならなかった。
で、仕上がった写真を見て卒倒した。
すごすぎ
で、私以上に良く撮れてるどんにも卒倒した。
腹立つ(主役は私じゃ!)
オススメです。マジで。話大脱線。

……とまあ、そういう経緯で撮影した力作をちりばめた自称ナイスデザインの年賀状をデザインし、どんに見せたわけだが。
どんは恥ずかしがった。
よく撮れているし、なかなか男前だと思う写真も選んだのに、恥ずかしがった。
「なんでじゃ」
「えええ、だってさあ、恥ずかしいじゃん」
「どこがじゃ」
「じゃあさ、友達と仕事関係にはこれを送るよ。でも創価関係はやだなあ」
「なんで?送ればいいじゃん」(そして学会に正月早々強烈破壊力を発揮させるのだ!)
「そりゃ、良いって言うだろうけど、話題になるよ」
「話題になればいいじゃん」
「やっぱ、創価は年賀状違うデザインを用意するよ、だって」
…いつもの調子の普通の会話が続き、どんがそこまで言ったその時、どんは口角をあげニヤリと笑った。
来る!
「だって、年賀状には『青年大勝利の年』って書かないといけないからさ!!!」
来た!!
「何に勝つんじゃボケ!バカ!誰が青年じゃ、オッサンだろうが!」
「ウヒャヒャヒャヒャ!」
どんは、創価関係の話題の時、わざと聖教新聞見出し級のセリフを演技がかった仕草で言う。
間髪置かず、私が罵声を浴びせるというその言動やら表情やら反応や、たまに無言で冷ややかな視線を投げかける仕草が、面白くて仕方ないらしい。
この男、実は自虐系の毒を持っていて、学会員が真顔で言う痛いセリフを、学会員であるどん自らが痛い演技と表情で再現してみせるのである。痛いことなど百も承知らしい。創価ネタで笑いを取る長井○和氏みたいなものだ。
で、私の方もそれが分かっていて間髪入れず罵声を浴びせ、もしくは冷笑を浴びせるのである。
いわばお約束。
「来年も、俺達は勝利するからさ!!!」
「あーはいはい勝ちます勝ちます、あーすごいすごい。新潮か?文春か?日蓮正宗にか?」
「アヒャヒャヒャヒャ!!………っていうのは冗談なんだけどさ」
そして急に素に戻る。
「恥ずかしいから、やっぱやだなあ」
「却下」

こうして、私達はなんとか日々を面白くして過ごしている。
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